先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

カナダの極北の先住民イヌイットは…

2012-07-06 | 先住民族関連
西日本新聞朝刊 2012/07/05付
 カナダの極北の先住民イヌイットは、白という色を表す言葉を数多く持っている、と何かの本で読んだ。彼らが生きる雪と氷の世界がそうさせる
▼温帯の極東の島国に生きる日本人は、「雨」を表現する言葉を数多く持っている。ほぼ一年を通して降る雨に、四季折々の景色を重ねて種々名づけてきた
▼「木の芽起こし」や「虹の小便」のように、降られてみたい雨もあれば、「婆(ばば)おどし」や「鍋割(なべわり)」のように、遠慮願いたい雨もある。帰ろうとする人を引き留めるかのように降りだす「遣(や)らずの雨」など、心の風景も映した雨の名を持つ国はほかにない
▼豊かに降る雨が千変万化の呼び方を可能にした。日本の年間平均雨量は地球表面全体の平均の2倍近い。約1800ミリと学校では習った。温暖化で雨量は増えているかもしれない。近年は「ゲリラ豪雨」など無粋な名を耳にすることが増えた
▼無粋を昔から代表してきた豪雨が今夏は九州を襲う。大分県や福岡県では一部で避難指示・勧告が出された。1時間の雨量が110ミリを記録した地域もある。気象庁によると、時間雨量が80ミリを超えると「恐怖を感じる」。110ミリの恐怖は想像を超える
▼梅雨は二つの雨を持つ。アジサイをやさしくぬらす雨と、もう一つは気象用語に言う「猛烈な雨」(80ミリ以上)のたぐいだ。今回は死者や行方不明者も出た。暴力的な雨に対しては天をにらんで耐えるしかないのがつらい。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/311159

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米ロなど先住民の捕鯨枠を維持 IWC総会で可決

2012-07-05 | 先住民族関連
日本経済新聞 2012/7/4 11:44
 【パナマ市=共同】パナマ市で開かれている国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会は3日、米国とロシア、カリブ海の島国セントビンセント・グレナディーンで先住民が実施している捕鯨について、2013年以降6年間、現状維持とすることを投票で可決した。
 アラスカなどで先住民による捕鯨の捕獲枠が今年で切れるため、米国など3カ国は共同で、現状と同じ1年平均で計184頭の捕獲枠を要求していた。
 ブラジルなど南米の国の多くは、セントビンセントの捕鯨について「外国からもたらされたもので先住民捕鯨ではない」などと反対したが、投票の結果、賛成が4分の3以上に達し、要求案が可決された。日本も賛成に回った。
 一方、デンマークの先住民捕鯨は捕獲枠拡大を求めたため、米国などとは別に議論した。捕獲枠拡大には反対意見が多く、結論は4日以降に持ち越された。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0402G_U2A700C1EB2000/

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“道南の歴史”5冊目 函館の85歳 坪谷さん 最新は力作「アイヌ文化」

2012-07-05 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 07/04 16:00)
 函館市旭岡町のケアハウス「ベレル旭ケ岡の家」に入居している坪谷(つぼや)照子さん(85)が、道南の歴史をコツコツ調べ、「渡島半島 歴史物語り」として本にまとめている。80歳から歴史に興味を持ち始め、まとめた本は5冊。あちこちに足を運んで調べ上げ、充実した内容に専門家も感嘆するほどだ。
 坪谷さんは奥尻町生まれ。1993年から同施設で暮らしている。
 6年ほど前、縄文土器が出土した住吉町や函館空港を施設から眺めるうち、ふと大昔の人々の暮らしに思いをはせ「80歳になるのに何にも知らない。恥ずかしい」と歴史を調べることを思い立った。
 手始めに、自分の足で歩いてみようと、住吉町の海岸を訪れた。コンブ干しをしていた男性に土器が出土した場所を訪ねると、「あっこだ」と近くを指さした。「歴史や遺跡はアカデミックなものだと思っていたが、生活の中にあるんだなあ」と感銘を受け、歴史を知るのが楽しくなったという。
 それから遺跡や国宝「中空土偶」の展覧会を見に行ったり、市立函館博物館に出前講座を依頼したりし、図書館にも足を運んで史料を集めた。
 そうして2007年5月、24ページの「太古篇(へん) 旧石器時代」としてまとめ、以後、年1冊のペースで本にまとめている。いずれもB4判のコピーを製本した手作りで、読みやすい楷書の手書き。地図や写真、年表などを入れ、ところどころに感想も書き入れた。
 中でも今年3月に完成した5冊目「アイヌ文化期篇」は、233ページに及ぶ力作。アイヌの人々の衣食住や和人との関わりの歴史、胆振管内白老町のアイヌ民族博物館を訪れたリポートなど内容の充実ぶりに、本を監修した市立函館博物館の田原良信館長は「丹念に調べて、自分の言葉で分かりやすく書き残している。大学生でも書けない」と感心しきりだ。
 「アイヌ文化期篇」までの各篇はそれぞれ10部作製し、5冊一組のセットにしてお世話になった人に配った。80歳からあらためて学んだ道南の歴史に、「時代の移り変わりとは、こういうことかと。人生を重ねてしまいます」としみじみと語り、現在は松前藩について勉強を続けている。(内田晶子)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/384997.html

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知床とアイヌ民族重ね写真展 東京の写真家

2012-07-03 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2012年07月02日
■札幌で3日まで
 ささやぶの向こうでヒグマの目が鋭く光る。暗闇の中、シマフクロウがたくましい脚を見せて飛ぶ。東京在住の写真家、戸川覚さん(33)が知床の自然をテーマに撮影した写真展「在りて」が、札幌市内で開かれている。
 戸川さんは大学時代、ネパールで中国から逃れて暮らすチベット族の人々と出会い、写真家を志した。日本の先住民族へと関心がつながり、「アイヌ民族の自然観が根付く土地、野生動物を写し、アイヌの人たちの姿を重ねたい」。そう思い、撮影地に最も変わらない風景がある知床を選んだ。
 3年前から本格的に撮影を開始。羅臼町の祖父(動物小説家の戸川幸夫)の知人宅に住み込み、地元の人々との会話の中からヒグマの習性など自然や動物への考え方や知識を学んだ。
 会場中央に天を仰いで角で背中をかくエゾシカの写真がある。森の中で5メートルほどの近さで2、3時間すごした。「最後の最後に、ぼくの存在に安心したのか体をかき出した。祈るようにも見える姿は、人間の姿と重なるように思うんです」
 3日まで札幌市中央区北3西4のキヤノンギャラリーで。8月8~16日、羅臼町栄町の羅臼町公民館でも開く。
 (林美子)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001207020007

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樺太アイヌ強制移住の地を見学 民衆史道連

2012-07-03 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2012年07月01日
■樺太アイヌ民族 江別強制移住
■受難の歴史 現地で考える
 樺太に住んでいたアイヌ民族が明治時代に道内に強制移住させられ、伝染病で多くが亡くなった事件のゆかりの地をめぐるフィールドワークが30日に開かれた。約60人が江別市と石狩市を訪れ、犠牲になった人々に思いをはせた。
 主催は、20年ぶりに活動を再開した「平和・人権と民主主義を守る民衆史掘りおこし北海道連絡会(民衆史道連)」。1875(明治8)年の樺太千島交換条約で樺太がロシア領になると、北海道開拓使は、樺太アイヌ民族を開拓に使うため841人を江別市対雁(ついしかり)に強制移住させた。反発した人々は多くが石狩川河口の来札(らいさつ)(石狩市八幡町)に移ったが、天然痘などで約330人が死亡したという。
 最初に訪れた対雁の居住地は、今は石狩川の川底と河川敷になっている。説明役の田澤守・樺太アイヌ協会会長は「海洋民族なのに内陸に移住させられた。理想の住まいだったら今ここに人がいっぱい住んでいるはずで、強制移住だったのは明らか」と強調した。
 遺骨が埋葬された近くの墓地や、来札の墓地と居住地跡にも足を運んだ。民衆史道連の小松豊事務局長は「遺骨の行方など不明なことが多く、責任者が真相を解明し公表すべきだ」と語った。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001207020003

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ユピック

2012-07-02 | 先住民族関連
時事通信 2012年7月2日(月)
 ユピック 米アラスカ州西部やロシア・シベリア東部など、主にベーリング海沿岸で暮らす先住民族。アラスカ先住民族6グループのうち、人口約2万9000人で最大のグループとされる。
 主にカナダの先住民族に対しては「エスキモー」は蔑称とされ、「イヌイット」の呼称が使われる。しかし、アラスカ州のユピックなどはイヌイットとは別の民族。同州ではエスキモーの呼称が公的に使われ、ユピックの人々も自らをエスキモーあるいはユピックと称する。
 ユピックに属するニュートックの人々は「カルヤミュート」(たも網の人々)と呼ばれ、約2000年もの間、ベーリング海沿岸で暮らしてきた。村に定住するようになった現在でも、犬ぞりで狩猟場を転々としていた当時の自給自足の生活文化が受け継がれている。(ニュートック時事)(2012/07/01-15:47)
http://www.jiji.com/jc/c?g=tha_30&k=2012070100106

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南アフリカ:先住民サンのリーダー葬儀 土地返還勝ち取る

2012-07-02 | 先住民族関連
毎日新聞 2012年07月01日 19時47分
 【アピントン(南アフリカ北部)服部正法】南アフリカの先住民「サン」のリーダーで、6月13日に76歳で病死したダビッド・クレイパー氏の葬儀が30日、同国北ケープ州ウィッドライのカラハリ砂漠で営まれた。クレイパー氏はサンの居住地域の回復を求める運動を展開し、南ア政府から土地返還を勝ち取ったことで国際的にも著名。国内外の先住民ら約2000人が集まって死を悼んだ。
 サンは南ア、ボツワナ、ナミビアにまたがるカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族で、かつて白人らに「ブッシュマン」と呼ばれた。南ア政府は1931年、サンの居住地域を国立公園とし、サンを追放。伝統的な生活が営めなくなったサンは貧困にあえいできた。
 クレイパー氏は94年、ジュネーブの国連で演説し、先住民の権利回復を訴えてアパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃・民主化後の黒人政権に土地返還を働きかけ、02年までに計約6万ヘクタールの土地について、政府にサン側の所有権などを認めさせた。
http://mainichi.jp/select/news/20120702k0000m030045000c.html

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