主人公は、父と兄を処刑された「楚」への復讐を心に誓う「伍 子胥」(ご ししょ、? - 紀元前484年)。
この巻では、いよいよ呉王闔廬(こうりょ、? - 紀元前496年)は孫武、伍子胥を従えて楚に攻め込み、ついに楚都を陥落させるが、楚王を取り逃がす。
伍子胥は平王の墓を暴くことで己の気持ちを静める。
伍子胥の楚にいた頃の友人「申包胥」(しん ほうしょ)は「秦」を説き伏せ援軍を得、闔廬の弟が楚の謀略に引っかかり離反して帰国した事もあって、闔閭も帰国する事になる。
孫武は病死する。
翌年、伍子胥は佐将と軍師を兼任して太子終纍(しゅうるい)を佐て再び楚を攻め、大勝して首都を移動させ呉王の汚名をすすぐ。
終纍が病死する。
終纍の子夫差(ふさ、? - 紀元前473年)が太子になる。
越王允常(いんじょう)が亡くなり、句践(こうせん、? - 紀元前465年)が嗣ぐ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
次巻からは、いよいよ呉越の物語・・。
楚の首都、郢(えい)の近くで、「随」と「唐」と言う地名が出て来る。
気になってWikiを見ると、
「隋という国号(王朝名)は建業者である高祖楊堅の北周時代の爵号である隨(随)国公に因む。この隨(国)は地名で現中華人民共和国湖北省随州市に名を遺しているが・・」
「・・別に、春秋時代に今の湖北省の一部に唐を国号とする小国があったことが知られ、呉・蔡と盟約を結ぶも、紀元前505年に楚と秦によって滅ぼされた。」
(17/12/16撮影)
この巻では、いよいよ呉王闔廬(こうりょ、? - 紀元前496年)は孫武、伍子胥を従えて楚に攻め込み、ついに楚都を陥落させるが、楚王を取り逃がす。
伍子胥は平王の墓を暴くことで己の気持ちを静める。
伍子胥の楚にいた頃の友人「申包胥」(しん ほうしょ)は「秦」を説き伏せ援軍を得、闔廬の弟が楚の謀略に引っかかり離反して帰国した事もあって、闔閭も帰国する事になる。
孫武は病死する。
翌年、伍子胥は佐将と軍師を兼任して太子終纍(しゅうるい)を佐て再び楚を攻め、大勝して首都を移動させ呉王の汚名をすすぐ。
終纍が病死する。
終纍の子夫差(ふさ、? - 紀元前473年)が太子になる。
越王允常(いんじょう)が亡くなり、句践(こうせん、? - 紀元前465年)が嗣ぐ。
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次巻からは、いよいよ呉越の物語・・。
楚の首都、郢(えい)の近くで、「随」と「唐」と言う地名が出て来る。
気になってWikiを見ると、
「隋という国号(王朝名)は建業者である高祖楊堅の北周時代の爵号である隨(随)国公に因む。この隨(国)は地名で現中華人民共和国湖北省随州市に名を遺しているが・・」
「・・別に、春秋時代に今の湖北省の一部に唐を国号とする小国があったことが知られ、呉・蔡と盟約を結ぶも、紀元前505年に楚と秦によって滅ぼされた。」
