今日の早朝には雨が降る天気であったが9時前には雨も上がり雲が多かったが時折、青空が覗く天気と成った。台風の進路は気に成る処、一時間毎の進路をインターネットで確認しているが如何やら嫌なコースを辿っている。特に1時間くらい前から進路を東寄りに変えて北九州に近づく方向に曲がった。
北九州に上陸して日本海(山陰地方)に抜けるコースの場合は四国は如何しても長時間風雨に曝される。台風の規模は強い台風だが暴風圏内が規模の割には狭いので少し救われる感じだが決して予断は許されない。今の所、徳島では風も吹かず雨も降らない状態だが今晩の夜半から影響が現れ明日の朝から昼前の時間帯が一番影響を受ける感じ、「嵐の前の静けさ」で不気味な感じがする。取敢えず雨の無い内の午前中に家回りの台風に対する対応を行った。
午前中にテレビを見ていたら今回の台風は与論島を直撃したらしく瞬間最大風速で50m台の風を観測したらしい。風を受けた町筋の情景が流れていたが町筋と言っても小さい島なので其の場所が島のどの位置に在るのか直ぐに解かり懐かしく感じた。私が与論島に移動運用に言ったのは2011年の6月、沖縄本島を23日間掛けて移動運用し帰り道の最初の離島運用として与論島に初めて上陸した。
しかしタイミングが悪く其の年の台風1号に遭遇し連絡フェリーが欠航して初めての離島シリーズで足止めを食らった。其の時の台風は大型では無かったが与論島の直ぐ西側の海上を通ったので曇天の中を丸い円状の青空が(台風の目)が北に向かうのを確認できた。滞在は長かったので車で一周10分前後の島の周回道路を何周もしてあらゆる所を回ったので島内の景色は鮮明に良く憶えて居た。此の年は運が悪く奄美大島の最後の運用地の龍郷町でも台風2号に追い掛けられ与論島の経験から龍郷町の運用を途中で切り上げて宮崎の安養子さん宅に避難した事も思い出深い。
過去の全国行脚は無線運用が中心ではあったが保々全国各地を車で回ったので全国のニュースや旅番組等を見ていると過去に訪れた場所の情景が映り出される機会が有るが其の度毎に色んな思い出や情景を思い出し懐かしく機会があれば再度訪れたいと思う。今日は与論の百合が浜で台風の余波の大雨が降った時に「雨宿りして行きなさい」とみやげ物売り場の小母さんに呼び止められて雨宿りしながら世間話した時、ジュースやコーヒー挙句にはラーメンまで御馳走になった事が有ったが「御元気なのだろうか?台風の被害は無かったのだろうか?」と思いながら忘れかかっていた小母さんの顔を思い出した。