黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 今年の交信数目標

2018年01月08日 | アマチュア無線


    


 重くて寝心地の悪い蒲団の性で今朝も02時頃に圧迫感で早々と目覚めた。昨日は二度寝の失敗を遣らかしたので今朝は蒲団に入る事無くワッチ状態に入った。03:30JST頃までは3.5~7MHz帯でDXの信号は余り聞こえなかったが此れ以後の時間帯は7MHz帯で[ARRL RTTY Round Up DX Contest]に参加する信号が聞こえ始め呼掛けたらCWモード以上に応答率が良かったので此のモードでの未交信局を片っ端から呼掛けて交信を始めた。交信相手は旧ソビエト連邦に属して居た国々が中心であったが2~3分に1局の割合で慣れないオペレートに調度良い間隔で進みDXコンディションは05:20JST頃には可也アップして06:30JST頃には明らかにEU方面へのコンディションは落ちて行った。


 其の後07時頃から運用を14MHz帯に切替えて運用しコンテスト終了の09:00JSTまでRTTYモードで運用し当初の目標の100交信には届かなかったが89局と交信する事が出来た。14MHz帯の08時前にはW方面を呼掛けるJA局の信号も時々は聞こえたが混信に成る程は強く無かったので受信に梃子摺る事も無く淡々とした感じで進み結果的に呼掛けながらも交信出来なかったのは2局のみで日頃は全く運用しないモードだけに其の応答率の良さには驚いた。


 今回のコンテスト・ナンバーはRSTプラス シリアルナンバーの送出で交信が終わる毎にナンバーを入れ変えなくては成らなかったので其の書き換え作業が一番タイムロスに繋がったが此の効率を高めた所でそれだけのコンテスト参加局が居る訳では無いので楽しむのには調度良い感じで7時間近い運用だったが終了後のストレスを感じる事無く終える事が出来てRTTYの運用に少し慣れる事が出来た。


 昨年の総交信数の実績は2200局余り自分としては2年連続の不本意な実績に終わったので今年は目標を5000交信に定めた。国内QSOを熱心に取り入れればそう難しい数字とは思わないが此処数年間は国内QSOは殆ど遣らずにDXを中心にした運用と成って然もCWモード中心なので矢張り小まめなコンテストを利用しなければ此の数字の達成は無理と思われる。従って国内QSOは勿論の事、今まで余り熱心で無かったRTTYやPSKモードも確り運用しようと考えている。

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 蒲団に纏わるくだらない話

2018年01月08日 | その他


    


 此の所3日連続で日付が変わった時間帯に寝床に入ったにも関わらず何か重苦しい感じで魘されて2時間も寝ていないのに早々と目覚めた。今回は自分で起きようとの意識はして居なかったので年末から正月の4日までは殆ど無線の運用はしていなかった関係で私の無線キチの悪い病気の虫が騒いで居るのかな?位に思って居たが今朝の目覚めは夢見の中で何かに圧迫された感じに成って驚いて起きてしまった。


 何が原因か?と色々考えて居たら思い当たる事が一つだけ有った。実は年末に二階の押入れの整理をしたのだが家内が嫁入りに持って来た布団が二重ね有ったが我家に人が泊まる事が殆ど無い為に(確か2~3回は客布団として使ったが)殆ど使う事が無いので此の侭押入れで朽ちらせるのは勿体無いので一重ねだけは客用に残してもう一重ねは自分達用におろす事にした。


 私達は7~8年前から布団が非常に軽い割には体にフィットして暖かい羽根布団を使用して居たが(此れは綿布団とは別世界の物であった)長年使用すると原因は良く解からないが多分中の材料の羽毛の分布が均一で無く成って仕舞うのだろうか?冬場に部分的に寒い箇所が出来て使用感が悪いので新しい羽毛布団に買い替えした。調度、其の頃に私の若い時にスキーで傷めた腰痛に夜中に気だるい痛みから逃れる為に無為意識の内に反射的に布団を蹴り上げる癖が有って(家内曰く若い時からだったらしいが本人は良く解からない)家内としては冬場は寒くて大変だったらしく私のリタイヤを契機に「貴方は仕事に行く事が無いので良いが私は毎日仕事に行かねば成らないし現状ではユックリ睡眠が取れないので別々の布団で寝る事にしましょう。そうすれば貴方の好きな無線を何時でも好きな時に楽しむ事が出来て御互いに良いのでは?」と私の寝相が悪い事と無線運用の事で寝る時間が様々な事を理由に体良く同じ布団で寝る事から追い出されて暫くは同じ部屋の別布団で寝る事に成ったが徳川家康の大阪城攻略術と同じで痛い弱みを握られ一度譲歩して仕舞うと後は坂を転がり落ちる感じで亭主の値打ちは落ちる一方・・・・・然も年金以外の収入が無く成り生活の経済的基盤は家内の給料で担い出すと「貴方の大好きな無線を好きな時間に思う存分楽しむ為に無線機の有る部屋での寝起きが便利と違う?」と最終的に部屋をも追い出される結末と成った。


 其の時に私が羽毛布団を選択し家内は以前から有る布団を使用していたが最近「上布団を新しい物に買い替え様と思うのだけれど?」と相談が有ったので「御前が嫁入り道具に持って来た布団を此の侭使わずに朽ちらすのは勿体無いので下ろして使ったら」と進めたら二日間程使った後に「あの布団は重た過ぎて夜中に目覚めて仕舞う」と言って新しい蒲団を購入して来た。嫁入り道具の購入時は私も同伴で決めたので値段も知っている高級蒲団だったので「そんな馬鹿な?」と思い数日間使ってみたのだけれど?矢張り羽毛布団に慣れた体には此の蒲団は重た過ぎるのか?寝心地は良く無く、更に此処数日間は朝方の寒さ対応に其の上蒲団の上に厚手の毛布を掛けて寝て居たので其の重たさで目覚めるのでは?と思い当たった。


 私が子供の頃は今の様に蒲団は良い物では無く然も我家は今の建物の様に雨戸にサッシが入った状態では無く古い木造の家で台風や地震で部屋を仕切る障子や部屋戸と柱との間に隙間が有り冬は其処を隙間風が流れる状態で可也寒かったので上布団はびっしり綿が詰まった布団を二枚重ねて使用していたが子供心に兄弟でオーバーながら「殺人蒲団」と仇名して呼んで居た。何せ重たくて其の蒲団自体の重さで蒲団を体に密着させて寒さを防いだり、其の重さに対抗する自熱で体が温まって居るのでは?と思える感じで朝方は疲れた様な感覚が有った。それと原因はよくは解からなかったが当時2~3年に1回くらいは「布団の仕直し」と云う作業を母親が行って居て蒲団から綿を取り出して業者に渡して帰って来た物を再度、蒲団袋に並び替えをして仕立て直しをして居たし「綿を打ち直す業者」の人が各家庭を廻って持ち帰り仕上がり品を届ける仕事が商売として成り立って居た事を憶えて居る。


 何せ其の時代は可也小さい子供の頃で何故その様な作業が定期的に必要だったのか解からないが?仕立て直した蒲団は暫く軽かったので多分蒲団の中の綿が湿気を帯びて重たく成って居たのでは?と自分成りに想像する。今回の蒲団は殆ど使用する事無くきちんと保管して居たので新品に近い状態だが彼是40年近く二階の押し込みに蒲団袋の中で保管されて居たので矢張り湿気は防ぎ様が無いのかな?最近の寝心地の悪さから直ぐに目覚める状態に子供の頃の「殺人蒲団」の事を腑と思い出したが さて此の蒲団の結末は如何した物か?と考えて仕舞う。綿の打ち直しは布団店に頼めば今も可能だろうが?其の仕立て直しの仕方は家内には解からないだろうし其の様な事を専門店に依頼すれば新しい布団が購入出来る金額が請求されそう、先ず其れ寄りふとん店が買い替えを進めるだろうから此の侭処分をするか我慢して使用するか?は暫く経ってから結論を出す事にする。


 如何も昔気質の人間は自分事より滅多に来ない客人の方に重きを置いて滅多に使う事が無いのに其方を重要視して御大層に祭つぼって結果的に其の快適さを味わう事無く終わって仕舞う様だ。


 先程、家内が帰って来たので「綿の打ち直し」の事を聞いたら家内もハッッキリとは解からないが多分その事は「綿と綿との間に空気を入れる作業ではないのかなぁ~」と言って居たが矢張り子供の頃は重い布団に喘いで居た様で「それは、あの時代の綿布団と現在の羽毛布団では比較に成らないほど布団が軽いし柔らかいので体のラインに沿って布団と体の間に隙間が出来ず暖かいし最高!」と笑って居た。


 (文中の布団と蒲団が入り乱れて入るが御容赦を)


 

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