黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

何時の間にか12月に入って居た。

2019年12月03日 | その他

  


 今朝は少し寝過ごして起き出したのは06:10JST頃であった。7MHz帯のワッチを開始したのは06:15JSTからであったが下から上へと聞いてみたが不思議な事にDX局の信号を捉える事は出来ずに「おかしいなぁ~」と思いながら今度は上から下の方にゆっくりと周波数を変化しながら受信してみたが此の段階でもDX局の信号でダイヤルが止まる事は無かった。


 其の後の06:34JST頃に7.040MHz辺りでラグチューをする東南アジアの局の信号は57程度で受信出来たが其れ以外はFT8,FT4モードの信号か?デジタルモードの信号は聞こえて居たがCWやSSBモードのDX局の信号は当局では殆ど聞こえずに「此の状態では如何しようもないなぁ~」と無線機の電源を落とし、其の後にプリンターを起動し一寸早いが4~5日前に印刷が出来上がって来た年賀状の表側の印刷を始めた。今年は例年寄り喪中のハガキが少なく7枚程度で在ったので190枚程の表書きの印刷が終了、後はお歳暮の発送手配を終えると12月中に遣らねば成らぬ事は終了、其れにしても早くも今日は12月3日で師走に入った感じは全くしないが今年の終わりも、もう目の先に来て居る。


 年賀状の手配とお歳暮の手配が終れば四国88箇所巡礼で残った香川県内の札所、24箇所を回るか如何かを現在検討中、取敢えず先ずは目先のお歳暮の発送を明日にでも行なう予定にして居る。
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四国88箇所霊場・第40番札所「観自在寺」

2019年12月03日 | 四国88箇所霊場

        


      



 四国88箇所霊場・第40番札所の観自在寺の寺伝に寄れば平安時代初期の大同2年(807年)に平城天皇の勅願によって、空海(弘法大師)は、一本の霊木から本尊の薬師如来、十一面観世音菩薩を刻み安置して開創したと伝えられて居る。此の時に残った霊木に庶民の病根を除く祈願をして「南無阿弥陀仏」と彫ったと云われる。なお、其の版木に寄り晒し木綿に押印された宝印守を購入する事が出来る。また、嵯峨天皇は勅額「平城山」を下賜し、当地に行幸したと云われ、一切経と大般若経を奉納、毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修したとされている。


 江戸時代初期の寛永15年(1638年)に京都の空性法親王が巡拝、薬師院の号を受けた。其の後、宇和島藩主、伊達宗利の勅願所に成ったという歴史を持って居る。一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが、火災で焼失し延宝6年(1678年)に再建されたが、昭和34年(1959年)に失火で本堂を焼失し昭和39年に再建、大師堂は平静5年(1993年)に再建された。


 此の日の最初に訪れた第39番札所の「延光寺」で高知県内の札所の巡礼は終わり、此の「観自在寺」から愛媛県内の札所の巡礼の旅がスタートした。
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