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香園寺は、愛媛県西条市小松町南川に在る真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)栴檀山(せんだんさん)、院号は教王院(きょうおういん)、本尊は大日如来、四国八十八箇所霊場の第六十一番札所で在り、子安大師の寺として親しまれている。
寺伝に寄れば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立し、天皇からは教王院の勅号を賜ったとされる。天平年間(729年~749年)には行基が巡錫、大同年間には、空海(弘法大師)巡錫中、当寺の門前で身重の婦人が苦しんで居た。空海は栴檀の香を焚いて加持祈祷をすると元気な男の子が無事に出産した。また、栴檀の香を焚いて、安産・子育て・身代り・女人成仏を祈る護摩修法をした。以来、安産・子育ての信仰の寺となったという。
実際の創建年は不詳であるが、奥の院の白滝不動から北に行った海岸辺りで山中川下流に大日という場所が在り、其処にあった大日堂が白滝不動で修行する人達の納経所に成って、さらに大日如来を本尊とする寺に成り、現在地に移ったとも云われて居る。
天正年間(1573年~1592年)に兵火に遭って焼失したが、江戸時代に入り小松藩主、一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年~1644年)に再興されて居る。また古くは高鴨神社の別当寺であったとされる。
此の寺の参道を進むと左側に手水場が、右手に写真の鐘楼が在り、其の奥に遍明堂(釈迦堂)、正面に本堂と大師堂を兼ねた大聖堂が建って居る。2番目の写真は戦争慰霊観音像、右の御手には兵隊さんが抱かれている。此の寺は四国八十八箇所霊場の中で唯一、近代的な鉄筋コンクリート造りと成って居る。
松山市内から伊予西条方面の第五十番札所の繁田寺から第五十九番札所の国分寺は以前の巡礼で既に納経は終わって居たので今回の松山市の第四十九番札所の「浄土寺」の納経が終ったら次は西条市の此の札所からの巡礼コースと成った。