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四国八十八箇所霊場の第5番札所の地蔵寺は嵯峨天皇の勅願に寄り弘仁12年に弘法大師が開創された寺で大師は自ら5.5cmの勝軍地蔵菩薩を彫られ本尊に安置されたと伝えられて居る。其の後、淳和天皇、仁明天皇の三代にわたり(809~883年)天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州、熊野権現の導師を務めて居た浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、其の体内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられて居る。此の勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経を始め後の蜂須賀家などの武将達の多くの寄進に寄り寺領は拡大し現在でも其の寺領は40000平方メートル(12000坪)にも及ぶ古刹である。
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上段写真の本堂左の参道を通り石段を上った所が奥の院で五百羅漢堂が有ります。此の羅漢堂は18世紀に実名、実聞という兄弟の僧が諸国を行脚した際に得た浄財で作ったと云われています。然し其の当時のお堂は大正4年に起きた火災で焼失して仕舞い、現在の建物は其の後に再建された物です。因みに「羅漢」とは阿羅漢の略で、煩悩を脱した尊敬されるべき修行者の事で小乗仏教においては仏弟子の到達する最高の階位として、厳しい修行の末に到達する究極の仏弟子の事で五百羅漢とはブッダに常に付き添った五百人のお弟子さんの事です。
此の五百羅漢が居る回廊は第5番札所の本堂から少し離れて居る為に此の日は人影は少なかったのですが四国内の他の寺院には無いので一押しのお勧めの場所です。