黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 東北の三銃士との再会

2014年10月03日 | アマチュア無線


 前回の福島の旅は2010年の7月で宮城県から高速道路で磐梯河東ICまで走り其の後は一般道で引き返す形で猪苗代湖を一周し会津若松鶴ヶ城を見学し沼田街道を只見川に沿って新潟方面に進み途中の大沼郡金山町のスキー場の臨時駐車場で金山町を運用した。其の場所は非常に寂しい場所で真っ暗の中でこの様な場所にアイボールに来られる人も無いだろうと今から思えば随分ラフなパンツのみの姿で運用していた。



 運用途中で目黒さん(JH7KUK/7)からお呼びが掛かり「今日は何処からの運用?」と私が聞いたら「直ぐ近く」と返事が帰って来た「直ぐ其処と言っても何処かな?」と再度聞くと「車の後ろ」の返事と同時に後ろでパカパカとヘッドランプが点滅した。まさかこの様な場所まで登って来るとは思って居なかった私は驚いて「チョット待って」と言って身支度をしながら数局と交信した後に閉局して後ろの車に近づくと運転席に目黒さんと助手席に大塚さん(JE7SBA)が乗っていた。私は後部座席に座って暗い中で2時間くらい無線談議に花が咲いた。お二人とは初対面であったが目黒さんは7エリヤの移動運用で御世話に成り特に此の運用地の大沼郡金山町は私が交信出来ていない事を知ると私の為だけに移動して下さり大変御世話に成ったり その後66回の交信を頂いている。大塚さんとは283回の交信をして頂き私が移動運用すると必ずと言って良い程 声掛け頂いて御世話に成っていた。特に大塚さんは声の質が高く弩パイルの中でも一発で解るほどクリアーな音質で菅野さん(JH7BYC)曰く「大塚さんの声は自然にRFスピーチ・プロセッサを備えて居るので適わない」と言わしめる程の絶大な効果がある。事実、私の全国各地の移動運用でもエリヤ的に不利な条件でも殆ど一発で了解する事が出来る素晴らしく通りの良い声質である。此の年の移動運用では宮城県で菅野さんに福島の金山では目黒さんと大塚さんに大変御世話に成った。年齢的には私よりは大分若い世代でアクティブに運用されて貴重な存在で私には強く印象に残っている。



 その後、目黒さんとは大震災の影響もあり無線で御会いする機会が少なく成り菅野さんも東北から帰った2年間は毎日の如く信号が聞こえていたが最近は仕事の関係で余り御声を聞く機会が少なくなり寂しい感じがするが大塚さんの元気な声は現在でもバンド内でよく聞えている。今回、四年振りに東北に立寄ったので私が勝手に命名した東北の三銃士に会いたくなり福島で再会する事に成ったが皆さん其々に職場の中心的存在で中々時間調整が付かず、其々に個々での再会と成った。目黒さんとは無線の上では御無沙汰気味であったが2日間に渡って御会い出来て久し振りにお互いの近況や無線の話をユックリ出来た。大塚さんは地域の世話役の会議で遅くなった為に夜半に湯川村の運用場所に来て頂いて再会、偶々運悪く土砂降りの雨の中の立話に成ったが四年振りに元気そうな顔を見れたが今回も暗い中でのアイボールに成ってしまった。菅野さんとは時間調整が出来ずに電話での話に成ったが皆さん其々に元気に頑張って居る事が分かって安心した。皆さんのお話を聞いていると其々お子さんが成長して大学在学中や進学を目前の物心両面で一番大変な時期、自分を振り返ると子供二人が県外の大学に進学し仕送りしながら溜息をつく時代を送った事を大変では有ったが懐かしく思い出した。皆さんには今は此処一番の頑張り所だが元気に乗り切って貰い時々は忘れずにお空で元気な声を聞かして貰いたいと思いながら東北の旅をを終えて車は北関東に向かった。



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