今日は春分の日(彼岸の中日)実は2日前に家内から「お墓の掃除に行ってね」と言われていたのだが21日と思っていたら今年は閏年、1日 計算がずれていた、家内は本来火曜日が休みなのだが同僚が病気で入院、代わりの出勤となり朝から出勤、私は遊び人なので一人で行く事に成った。朝に私の日々の仕事と成って居る無線を聞いたがハイ・バンドの海外からの信号は入感なし(24MHz帯)
10時頃 花屋さんに行き菊の花を買いお墓に向かう。我家のお墓は小高い山の頂上付近、何時もはきつい勾配の坂道で1回、立ち止まるのだが毎朝の散歩が効いているのか?今回は休み無しで一気に上がれた。
半年振りに行くと落ち葉や草が早くも首を出し蔓延っていた。たいした量では無かったので手で雑草を抜き周りを軽く掃除して花を供え暫く思いに耽った。私が此の地に眠るのは、そう遠い先では無い。此れから先は何が有っても不思議で無い状況、体調の方は悪くは無いのだが其処彼処に衰えはハッキリと実感する。何時もは2~3分で山を下りるのだが今日は1時間程 其の場に佇んだ。
帰りに実家の墓にお参り、久し振りに両親の顔と祖父母の顔を思い出した。母親は不幸にも交通事故で亡くした。道路を横断中、若い人が運転する車に跳ねられ、救急車で搬送される途中、心臓の鼓動がゆっくり成り家族の中で私一人が母親の臨終に立ち会う事に成ったが人間が悲しみの極限状態に成る時は涙が出ない事を知った。
母親は昔風のただひたすら自分を殺し夫に仕えるタイプ 親父は結構厳しい人だったが夫婦仲は良かった。親父は92歳まで生きたが戦争を体験、この時代の人は皆そうだが激動の時代を走り抜けた人達だ。残念ながら農家の長男に生まれたが故に百姓で終わったが自由な身で有れば息子が言うのも何だが、其れなりの出世はしていただろう。見識、文を書いたり、特に毛筆の字は超一級で私も書を遣って師範の免許を持っているので ある程度の正しい評価が出来ると思うが同世代で親父を超える人に遭った事が無い(書道と言う事に成れば意味が少し違うのだが とても百姓の親父さんが書く字では無かった)
祖父は飲み打つ買うの昔の遊び人、私達孫には良い爺さんだった様に思うが両親にとっては少し問題の有る2代目だった様だが博識で傾きかけた我家に子供の頃から経済新聞を取っていて昼間から新聞を2紙、日当たりの良い所で読み昼の2時が来ると近くの銭湯に行き帰りに酒屋に立寄り一杯遣るタイプ私が酒をのんでいる所を見つけて寄って行くと『父ちゃんには内緒ぞ!』と駄菓子を買ってくれたりした実利のある人で有った。祖母は近所の人が放送局と呼ぶ程、賑やかな人、私が無線をするように成ったDNAはひょっとすると祖母からの物かも知れ無い。
墓参りから随分話が脱線したが何十年か後、息子が私の年頃に成った時、お墓参りに来て『うちの親父は夜昼の区別無くジャパン~ジャパンと叫んでいたなぁ~』等と思い出す事であろう。
墓参りから帰り1時間半ほどウォーキング、其の後 24MHz帯に出て15:34JST~18:30JSTに掛けてヨーロッパを中心に28局と交信、内CWの交信は4局 信号は上がり下がりの激しいコンディションでは有ったが海外が平日の割にはDXコンディションが良かった様に思う。