黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 口之島(十島村)の最後の運用と出港

2013年06月23日 | アマチュア無線 移動運用

    


    


     




 フリイ岳の下の駐車場で一夜を過ごした後、翌日の早朝、島の北端のセリ岬と北緯30度の石碑の写真を撮る為、島の北端部へと向った。上段の写真が北緯30度上の石碑とそれ以後の写真は北端のセリ岬の風景、強い風と波の影響で口之島内で一番変化のある景色が広がっていた。この日は昼頃に入港の予定の「フェリーとしま」で鹿児島港へ帰る日であったので運用の予定は無かったのだが、時間的余裕が有った事と前日の11日の午前中に21Mhz帯が少し開けて居たので、北緯30度ラインの近くの海岸に車を停め偶々、モービル・ホイップ・アンテナで21MHz帯を聞いてみた。


 強くは無かったが国内が聞えていたので「もしや?」と思い従来のアンテナを設営した。そして07:32JSTから21MHzで運用を開始、07:45分で北海道の新得町の牧野さんとの交信終了時に運用情況をJクラスターに書込みを御願いしたら快く引受けて下さり07:52分頃から明らかに呼ばれ方が変わった。其の後はQRTする10時前までは途切れる事無く呼掛けが有り230局の方と21MHzで交信する事が出来た。


 私は十島村46006Dとの交信は過去8回有るが7MHzが7局と18MHzが1局、其の中でSSBでの交信は2006・03・18の7MHzのJN1JFO/6の1回だけ、それ以外は総てCWモードによる交信と成っている。矢張り車の持込で無いと条件の良い所で(高さや、ノイズ、場所)の運用は難しいので少し条件が悪くても良く飛び且つ効率の良いCWモードの運用に成るのだと思った。其の意味で今回の移動運用の中で21MHz帯のSSBで300局近い方々と交信出来た事は全体的に低調に終始した移動運用の中で一番の達成感に成った。



 10時頃にアンテナを撤収し、港に向かいフェリー便を待ったが予定より30分遅れて「フェリーとしま」は港に入港して乗船する状態で地元の方から声を掛けられた。其の方は地元のアマチュア局の方でJA6???(聞いたのだがメモら無かったので忘れてしまった)免許状も設備も有ると言われていたので多分、私の信号を聞いて港までお越し頂いたと思うのだが乗船段階で走り走りの会話に成ったのが残念で成らない。別れ際に十島村に対する全国からの要望は多いので是非、アクティブに運用して下さる様に御話してお別れした。中段の最後の写真は主に運用した鳥帽子岳方面を撮ったもの、下段の3枚目までは鹿児島に北上中に屋久島が薄っすらと見えた時に、後の2枚は反対側の口之永良部島が見えた時に撮ったもの「フェリーとしま」は両島の間を抜けながら一路、鹿児島港へと進んだ。







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