黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

今日のコンディション (2013/06/30)

2013年06月30日 | アマチュア無線

  昨日に続き本日も7時頃から50MHzを聞き始めたが数局8エリヤの信号が聞えたが安定な交信が出来る状態では無く、バンド内のノイズレベルも低くバンドは全体に死んでいる状態、此れでは期待出来ないと判断、24Mhz、21MHzと下がっても同じ状態、そして18MHzに降りても何も聞えない状態、ただ8エリヤの移動局が1局だけ59で入感しCQを連発していたが何処からも声が掛からず やがて諦めてQRTした。私も一瞬、ダイヤルが止まったがマイク。コンプレッサーをガンガンかけてサイドがバリバリ言っている其の局を正直、呼ぶ気持ちには成れなかった。少なくても18MHzは国際バンド、近年3級にも解放されて上級で無くても運用できる様に成ったがもう少し自分の電波を確認する必要が有るのではと感じた。


 少なくともコンプレッサーをかけた段階から音声は歪むと言う事をもっと認識すべきであろう。如何しても電波を相手に届かせたい思いで一時的にスイッチを入れるなら未だしも常時、スイッチをONの状態でCQの連呼は戴けない。私も御大層な電波では無いが少なくてもコンプレッサーを国内QSOに使う事は無い。実際の交信中も余程、歪んだ状態か?汚い電波で無い限り其の事を指摘される事は無いし、相手も其の事を指摘し難いものだ。オペレート技術は(話し方や運用態度)其の人となりを表して居る事も勿論だが電波の質も在る意味、其の局の評価につながる。特に、このバンドは開放当時は上級資格者しか運用できなかった事や、安定に国内ラグチューが可能な為にアマチュア無線暦の長い人達が多いので、言わなくともオペレート技術や電波の質に関してシビアに聞いて居る方が居る事を知るべきで有る様に思う。


 余談に成ったが18MHzのコンディションは08:20JST辺りから少し開けたが信号の上り下がりが激しく最初59で入感の信号が次の送信時にはノイズの中に埋もれたり乱高下が激しく尻切れ状態に成る交信も何回か有った。従って連続した呼掛けは少なく1局終る毎にCQを出してお呼びが掛かる様な交信が多かった。21MHz帯の方も少しは信号も入っていたが呼んでも届いていない様子だしCQを出しても声が掛かる事が無かった。24MHzは長くは聞かなかったが私が聞いている間、国内の信号を聞く事は無かった。50MHz帯も時間の許す限り聞いてみたが近距離のG・Wの3エリヤの信号を受信したのみであった。此れで3週間連続で週末のコンディションは余り良くなかったが「聞かない事には始まらないアマチュア無線」中々辛抱の要る遊びである。
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島根県鹿足郡津和野町での移動運用 (2013/05/16)

2013年06月30日 | アマチュア無線 移動運用

      



   阿蘇の白水温泉で日帰り温泉を楽しんだ後、阿蘇パノラマ・ラインを引返し山頂駅の御土産屋さんで家内への土産を買った後、来た道を草千里を通って阿蘇市側に下った。パノラマ・ラインと57号線が交わる交差点を直行すると「道の駅 阿蘇」の駐車場に入り小休止、一応、九州での予定した観光も終わったので後は深夜割引を利用して九州自動車道に乗り島根に向うのみ、57号線を熊本ICまで向かい午前0時過ぎた所で高速に乗り古賀SAで車中泊し翌朝に関門海峡を渡り山陽道へ更に途中から中国道に乗り換えた。カーナビのルートは中国道を岡山県まで進み鳥取に出て引返す形で境港までのコースを選んで居た為、時間的には早いのかも知れないが大変な遠回りのコースの為、途中のSAでコースの再検討を行った。


 私は2年前に島根県の移動運用として隠岐の3町1村(隠岐の島町、海士町、西ノ島町、知夫村)を運用したが其の時は九州からの帰り道に中国道の庄原ICで高速を降り432号線の山越えで松江市まで走ったが時間が掛かったのと同じコースを走ってもつまらないと思った事、島根県の本州側での町村の運用は一度もして居なかった事、更に今から幾ら急いでも本日の隠岐向けのフェリー便には間に合わず、何れにしても島根県内(本州側)での今晩の車中泊は必至で有った為、其れならプチ・アワードで私としては島根県内で最後まで残った津和野町に行く事にした。ナビの設定を津和野に変更すると六日市ICを降りた後、187号線を北上して津和野に入るコースが設定された。


 古賀町から津和野町(日原)に入ったら20代の前半に訪れた町筋とは随分印象が違っていたが観光に来た訳では無いので移動運用地を探した。ナビで周辺検索を掛けると日原天文台が有ったので山に登ったが良い場所が無く少し下のキャンプ場にも行ってみたが山中で駐車場も狭かったので下山し反対側の312号線の桐長峠方面と向った。そして可也奥まった北緯34度33分58秒、東経131度52分06秒、海抜236mHの場所、地元の功徳を称える石碑の有る駐車帯でアンテナを設営し16:16JST~20:41JST間7MHz帯で運用し163局との交信で終わった。


 この地点でのアンテナ設営の写真は無い、実は一旦、この場所をナビに登録後、津和野の雰囲気が以前来た時と余りにも相違が有ったので一旦、山を降り町筋で年配の人に聞いたら「若い人に人気が有る津和野の町は9号線を西に可也走った道の右側に有る」と教えてくれた。其れでは写真だけでも撮ろうと思い観光地として有名な「津和野の町」へ向った。場所は直ぐに解り9号線を少し下がった川筋に40年前に来た津和野の町は有ったが余り大きい町では無く自動車では街中を走りまわる事が出来ず。自動車の駐車場も良く解らず写真を撮る事を諦めた。「道の駅つわの」も探したが解らない状態、諦めて近辺で移動運用が出来る所を探して9号線を更に西方向へと進むと道の側帯に運用が出来そうな場所も有ったが大きいアンテナを張れば直ぐにパトカーが来そうな場所ばかり可也走ってトンネルを抜けて左に曲がった所に広い駐車場が有ったので中に入ると「道の駅 願成就温泉」の看板が道の駅の移動運用は基本的に遣らないのだが場所を確認すると山口県山口市と出た「此れはアカン」と来た道を引返し前記の運用場所に戻った。その様な事情から2時間半くらい時間をロスしアンテナを設営すると写真を撮るのも忘れ運用を開始、其の日は其の場所の車中泊の予定で有ったが地元の方と話した時、隠岐行きのフェリー乗り場までは5~6時間は掛かると聞いて驚いてQRTしてアンテナ設営の写真を撮ろうとしたがデジカメのストロボでは発光が足らず写らなかった。現場を21時頃に出発し9号線を東に向いて出発し夜中をひたすら走った。途中で2時間ほど仮眠したが隠岐方面の発着港の七類には明け方の6時前に到着した。矢張り移動運用は一時の気紛れや、調子ずいて色気を出して決行しては成らない事を身に沁みて感じた。


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