黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

四国八十八箇所霊場・第六十六番札所「雲辺寺」

2019年12月23日 | 四国88箇所霊場


        



        


 雲辺寺は、徳島県三好市池田町白地ノロウチの雲辺寺山、山頂(標高927m)近くに位置する真言宗御室派の寺院で本尊は千手観世音菩薩である。


 四国八十八箇所霊場・第六十六番札所で、所在地は徳島県(阿波)であるが霊場としては讃岐の札所として扱われ、「涅槃の道場」の始まりで八十八箇所中で最も標高が高い位置(本堂の位置で標高900m付近)にあり、最後の「関所寺」である。夏は、紫陽花が全山一面に咲き、晩秋には紅葉の名所と成り、冬はロープウェイ利用が可能なため、雪の風景となる。


 寺伝に寄れば延暦8年(789年)に佐伯真魚(後の空海、弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、此の地を霊山と感得し堂宇を建立した事を起源とする。空海は又、大同2年(807年)には密教灌頂の修法行い、更に弘仁9年(818年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行なったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場と成り、貞観年間(857年~877年)には清和天皇の勅願寺となった。


 承徳2年(1098年)火災で全山焼失するも、其の後に鹿を追って当地に入った猟師の与成は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれて発心し堂宇の再建を果たした。平安末期の中興の祖と云われるに相応しい願西上人が住職のとき、現存する本尊、千手観音と毘沙門天が造られた。鎌倉時代には阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。応長元年(1311年)には京都西園寺家に寄り寺領が寄進され貞冶2年(1363年)には足利氏より法華経真読を依頼される。



         


 此の札所には香川県側のロープウェイを利用するか徳島県側の池田町白地からの道路を利用して雲辺寺に至るルートがあるが私達は車で徳島県側から道路を登る事にした。私は以前に此の山から無線の移動運用をする為に此の山道を登ったが真冬で在ったので路面が完璧に凍って居てタイヤがスリップして車が真横に成った経験が有り、今回は可也心配しながら車を進めたが前日が可也暖かい天気だったので幸いに路面の凍結は無かったが山を200mHも登らぬ内に寺名の如く車は雲海の中にスッポリ入り視界が悪く少し驚いた。頂上付近の駐車場から数百メートルを歩き山門を潜り階段を上がると右手に鐘楼が、其の正面奥には大師堂があり其の場所に至る石畳の表面上は完全に凍って居て油断すると滑り転倒する様な状態に成って居た。 


 此の日は納経所が開く07時頃に山門前に到着したが(当然一番の納経者と思って居たが)既に10人くらいのお遍路さんが居られ其の熱心さに驚いた。此の場所は可也山深い場所にあるが此の場所に此れだけの寺院を造るのには可也の困難と莫大な費用が掛かったと思うのだが?其れを何らかの形でバックアップする人々の信仰心の厚さに感服し、私の様な俄仕立ての「なんちゃって遍路旅」を大変申し訳なく思った。
  

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今朝の7MHz帯で聞えたDX局(2019/12/23)

2019年12月23日 | アマチュア無線

 今朝は06:20JST辺りから何時もの様に7MHz帯を聞き始めた。ワッチを開始したらバンド内のノイズの立ち方が軽やかな感じ!此れはDXコンディションが開けて居る証拠なのだが何故か?バンド内を下から上へとサーチして今度は逆方向にサーチしてチェックしてみたがDX局の信号は殆ど聞こえなかった。


 「如何も おかしい?」と思いながら偶々、アンテナ切替器を見たらポジションが24MHzのアンテナ側に切替えている。「あちゃ~原因は此れか!」の感じ、アンテナを7MHzの八木に切替えると当たり前の事だが無線機のSメーターが俄然振れ始めDX局の信号が聞こえ始めた。昨日に10MHz帯のチェックをした後に24MHz帯のアンテナもチェックをしたので切替器が其の侭に成って居たのに気付かず其の侭運用して大失敗の巻であった。


       今朝7MHz帯で聞こえたDX局 (06:20~08:20JST)


  4U1WB(44)      VP2EIH(45)      DH0YOTA(599)


  HA6YOTA(59)    IZ8WGS(59)      S58FA(59)


  A71FJ(59)      LZ1EV(599)       4O4T(599)


  ZP5RPO(59)     LW4EU(55)       IQ8PC(579)
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今朝の7MHz帯 (2019/12/22)

2019年12月22日 | アマチュア無線





 今朝起きたのは06:20JST頃で7MHz帯をワッチするには調度良い時間帯で直ぐに無線機の電源を入れてワッチを開始したがCWモードの周波数帯で「CQ TEST」が連打されて居たので「何のDX Contestかな?」と思い早速、インターネットで検索を懸けたらCROATIAN CW Contestと出て来た。コンテスト規約を調べたら対象は全世界相手でRST プラス シリアル・ナンバーの交換と解かった。


 DXコンディションは余り芳しくなかったが冷やかし半分で聞こえる局を呼掛け始めたが呼掛ける度に[??」を打たれる始末で此方の電波は余り飛んでいない感じであったが「CQ Test」を出して居る局は片っ端から呼掛けて見たが応答率は余り良くなかったが十数局と交信して全周波数帯での1stQSOが5局程、出来て08:30JST頃に閉局した。


 今朝のコンテスト以外でダイヤルが止まった局はEA8CXY(45),A71AM(45),C5YK(45)くらいか全体を通して今朝は決してDXコンディションは良い様には思えなかった。
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四国八十八箇所霊場・第六十四番札所「前神寺」

2019年12月22日 | 四国88箇所霊場

        


 前神寺は愛媛県西条市洲之内にある真言宗の寺院で石鎚山、金色院と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所霊場・第64番札所で日本七霊場の一つ、霊峰石鎚山の麓に位置する。


 西日本最高峰・石鎚山の七合目の標高1400mにあり、発祥より千年法灯を守ってきた山岳寺院であったが、江戸時代以降の変遷に寄り麓の西(標高50m付近)に本拠を移すも、其の後の神仏分離令に寄り廃寺の憂き目にあったが苦難の末、再興し現在の隆盛に繋げている。本堂前での柴燈護摩は年三回ある。(節分、山開きの日と閉山の日)又不動護摩は、管長自ら導師として元旦の年明け直後に護摩堂と続いて奥前神寺とで行なわれ、又毎月20日夜に護摩堂でも催行されて居る。


 寺伝に寄ると役の行者(役小角)が石鎚山の頂上を目指すも余りの厳しさで諦めて下山しようとした時に、斧を砥石で磨く老人に出会い、行者が問うと曰く「之は磨いて針にするのだ。」と、此の言葉に行者は挫折しては成らない。「成せば成る」と自分に言い聞かせ再び頂上に向かい、遂には登り着き修行を続けると釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するため合体し石鎚蔵王権現と成って現れたを感得した。其の後、行者が当地(石鎚神社中宮成就社のある場所)まで下山して来たとき「我が願い成就せり」と云ったといわれる。そして其の尊像を彫って祀ったのが当寺の開基とされて居る。


 後に石仙(しゃくせん)が当地に堂を建て常住舎と云われた。そして其の弟子の寂仙が山頂への登山道を整備した。桓武天皇(782年~805年)が病気を患った時、常住舎で平癒の祈願を成就した事に寄って当地に七堂伽藍が建てられ勅願寺とし「金剛院前神寺」の称号を下賜され、石仙には菩薩号を賜ったと伝えられる。更に空海(弘法大師)が19歳(793年)の時に石峯(石鎚山)に誇りてと「三教指帰」に自ら記されているように当山で修行をし、後年、当寺を巡錫している。また文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇、後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られ当寺に1591年に伊予の領主と成った福島正則が参籠した。其の後1610年に豊臣秀頼が神殿を修築、福島正則が其の普請奉行と成る。そして西条藩主・小松藩主も厚く遇した。


 江戸時代の初期には、札所としての便宜をはかる為に麓の橘郷に出張所として里寺納経所として通称里前神寺を設置したため、本寺を通称として奥前神寺と呼ぶように成った。真念の「四国遍路道指南」には里前神寺には前札所で本札所は麓より12里の石づち山前神寺(奥前神寺)と書かれて居て、寂本の「四国遍礼霊場木」には奥前神寺は本堂護摩堂其の他、堂宇相連なり本社は拝殿釣殿奥殿の重層で多数の摂者があり、と壮大な伽藍であった事を表している。なお、奥前神寺から山頂弥山への登拝は6月1日から3日の三日間しか許されて居なかった。1657年西条藩主・一柳直興が里前神寺に仏殿を建立し、西条藩主に成った松平家の信仰も集め松平頼純は寛永10年(1670年)東照宮を里前神寺にまつり。高三石を寄附し、三葉葵の寺紋を許した。1752年には徳川家重が1778年には徳川家治が、里前神寺に厄除け命じたとの記録がある。


 此の日、惣門をくぐって長い参道を進み左に折れて薬師谷川を渡ると右手に手水場、鐘楼が左手に庫裏、納経所がありそして右に折れると左に大師堂、穴薬師が右手には金比羅堂、修行大師像、水子地蔵菩薩が像が並び、浄土橋を渡ると右に水が滴り落ちる、お滝不動明王像、石段を上がると直ぐに護摩堂、薬師堂があり、最も奥に入母屋造りで屋根は青い銅板葺きの其れは立派な此の日訪れた札所の中では一番荘厳な本堂が建って居た。また参道の鬱蒼ととした杉・檜の木立や古い灯籠が何基も立並ぶ境内には老樹が生茂り、深山幽谷の佇まいを見せていた。



        
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今朝の7MHz帯 (2019/12/21)

2019年12月21日 | アマチュア無線

 昨日の朝は都合で7MHz帯のワッチが出来なかったので今朝は05時過ぎにワッチする為に05:30JST頃に無線機の電源を入れた。此の所の此の時間帯のバンド内のノイズ・レベルは低いのだがDX信号は余り聞こえず、常連組みの日頃強力に入感するDX局でも信号は可也弱い、今朝のDXコンディションがアップしたのは06:30JST頃からであった。


 効率的なDXingを心がけるなら此の時間に起き出せば良いのだが私の場合は04時~05時の間に必ず一度目を覚ますので此の段階で早過ぎる為に二度寝に入ると必ず肝心な時間帯に起きられず寝過ごして仕舞って失敗をして仕舞うのでワッチの時間帯としては一寸早過ぎるのだが如何しても05時前後からのワッチ開始と成って仕舞う。


 今朝も取り立てる様なDX局のQRVは無かったが強いて挙げるならA71FJ(SSB)か?信号はハッキリと了解出来たが可也高い周波数に出て居たので呼掛ける事が出来なかった。(当局の八木アンテナは周波数拡張に未対応の為)然し全周波数帯での1stQSOと成る3局とCWモードでQSOする事が出来て朝起きした成果は其れ成りにあった。


    今朝7MHz帯で聞こえたDX局(05:30~08:00JST)]


 YO3YX(59)     OR18TLS(599)     DK2MH(59)


 IW3IBK(55)    HA6YOTA(599)     ER4KAA(599)


 YU0CW(599)    4O4T(599)        YU5DR(559)


 HA6YOTA(59)   YT19YOTA(59)     A71FJ(45)


 SM0BRF(459)



 


  
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四国八十八箇所・第六十三番札所「吉祥寺」

2019年12月20日 | 四国88箇所霊場

        



 吉祥寺は愛媛県西条市にある真言宗東寺派の寺院で密教山(みっきょうざん)胎蔵院(たいぞういん)と号し四国八十八箇所の第六十三番札所である。本尊は毘沙門天で此の毘沙門天を本尊とするのは、四国八十八箇所では此処だけと成って居る。


 寺伝に寄れば弘仁年間(810年~823年)に空海(弘法大師)が光を放つ檜から毘沙門天・吉祥天・善賦師童子を刻み、安置したのが起源と云われる。

 
 其の頃の寺は坂元山(現在地より南に約2Kmほど上った標高368m地点)に在り、塔頭を21坊も有する様に成って居たが、豊臣秀吉の四国征伐の際に全山焼失した。詳しくは天正13年(1585年)に小早川隆景が高尾城を攻めた時、其の山中にあった此の寺も兵に放火された。本尊だけは助け出されて麓の大師堂のあった所に移されていたが万治元年(1659年)に塔頭の檜木寺と合併して現在の場所に再建され現在に至っている。
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四国八十八箇所霊場・第六十二番札所「宝寿寺」

2019年12月19日 | 四国88箇所霊場

      


 宝寿寺は愛媛県西条市小松町に在る寺院で。天養山(てんようざん)、観音院(かんおんいん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第六十二番札所である。


 聖武天皇の勅願に寄って天平年間(729年~748年)大国主大神の信託に寄り大国主大神ら三神を白坪の里(現在地より約1Km北に中山川があり、其の北岸辺り)に奉斎したという、其の際、道慈律師に寄って、其の法楽所として当時は傍らに建立され金剛宝寺と名付けられた。


 大同年間(806年~810年)空海(弘法大師)が逗留し光明皇后を模写した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とし、また、此の頃 国司だった越智氏の夫人が難産で空海に祈念を頼み、空海は境内の玉ノ井の水を加持し越智夫人に与えたところ、夫人は玉の様な男子を無事出産した。此れに因み、寺名を宝寿寺に改め、本尊は安産の観音として信仰を集めるように成った。


 天正13年(1585年)羽柴秀吉の戦禍に寄って荒廃したが寛永13年(1636年)宥伝上人に寄って当寺だけ新屋敷の現在地付近に移されて再興されたので、巡拝者は白坪の神社に札を納めた後、当寺で納経を行なう事と成ったが、其の後の延宝7年(1679年)藩主の命に寄り洪水を避ける為に今度は神社が当寺の横に移転された。


 明治初期の廃仏毀釈に寄って当寺は神社と分離され廃寺となったが、大石龍遍上人に寄って明治10年(1877年)神社の南隣に移し再興され大正10年(1921年)には予讃線鉄道工事に伴い更に南側の現在地に移転したという。


 私達が此の寺を巡礼した時には全く知らなかったのだが納経し納経所で記帳を御願いした処、他の札所よりも料金が高かったので驚いたが、此の寺だけ省く事は出来ずに仕方なく支払ったが不思議に思って帰ってからインターネットで調べたら八十八箇所札所の団体である霊場会と揉め事が在り裁判沙汰に成って此の寺は団体組織から脱会して居る(裁判では勝訴)らしく現在は別の場所に霊場会(八十八箇所霊場の団体会)の作った納経所が在るらしい。従って此の段階では第62番札所が二箇所在る事に成って居る。此の日私達は巡礼の効率を上げる為に札所を順番には回らなかったので其の事を知らずに宝寿寺に直接に向かったが境内にお遍路さんの姿が全く見当たらなかったので不思議な感じはしたのだが・・・・・・然し私は俄か仕立ての礼拝所(納経所)で本来あるべき御本尊は如何したのか?とか、お大師さん所縁で無い礼拝所で納経するのも如何なものかと疑問を感じた。此の問題は寺同士の揉め事で千数百年に渡る弘法大師所縁の寺を巡る私達巡礼者には何ら関わりのない事、(確かに納経時間の問題は在る様だが本当に純粋に、お大師さんを慕い所縁の寺を回る者にとっては此れは然程大きい問題では無い)私としては、どちらを支持するわけでは無く、仏の道に進み信者を導く立場の人達の集団が何故、円満な解決が出来なかったのか?現在の状況は如何なものか?と呆れると同時に弘法大師が此の現状を嘆いているのでは感じた。
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今朝の7MHz帯(2019/12/19)

2019年12月19日 | アマチュア無線
 今朝は05時頃に目覚めて何時も通り直ぐに無線機の電源を入れワッチを開始した。今朝もQRVして居るのは何時も通りの常連局が多く目新しさは無い、其れでも聞いて居るだけで楽しく成るのだから「本当に無線が好きなんだなぁ~」と我ながら呆れて仕舞う。


 今朝は07時前に信号は強くは無かったがVE3DZ,XQ6CF,VP2EIH,KL7KKなどが聞こえて居たが矢張り目玉はVP2EIH(カリブ海)か、神経を集中すると何途か?送信内容は了解できるが呼掛けても応答が無いだろうと諦めて只管ワッチを続けた。今朝は此処連日QRVして何時も599プラスでガンガン聞こえるLZ50ZF,4O4T等の信号が少し弱い感じがした。



      今朝の7MHz帯で聞こえたDX局(05:00~07:00JST)


  RT6DE(59)     SV2KBL(57)     LZ2PP(579)


  LZ50ZF(599)   ON4CGB(43)     LZ0XZD(459)


  404T(579)     VP2EIH(43)     VE3DZ(559)


  XQ6CF(559)    LZ3QE(599)     Z68MA(579)
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四国八十八箇所霊場・第六十番札所「横峰寺」

2019年12月18日 | 四国88箇所霊場

         


 横峰寺は愛媛県西条市小松町にある真言宗御室派の寺院で石鎚山、福智院と号す。本尊は大日如来で、四国八十八箇所・第六十番札所


 此の横峰寺は標高745m付近に在り伊予国で最高所にて関所寺、四国八十八箇所霊場の中で雲辺寺に次いで2番目の高さ、本堂の本尊は金剛界大日如来像、向かって右脇仏は石仙菩薩、同左脇仏は蔵王権現で、いずれも秘仏であるが明治の神仏分離で一時期、横峰社と成った名残で、脇陣にいる右大臣と左大臣が拝見できる。又本堂の前には一対の狛犬がいる。


 此の寺は湯波と虎杖と白滝の三箇所の何れかからの険しい遍路道を登るしか行き着けなかった為、麓に前札所のある三つの札所の一つであったが、昭和59年に此の寺より1.5Kmの所まで林道が開通し、残り30分程度の緩やかな道を歩くのみと成り、更に其の後に林道は延びて今では500m程を歩くだけに成って居る。私達は本堂より高い位置の駐車場に車を停めて下りの参道で本堂へと向かったので行きは楽であったが帰りは上り坂を上がる何時もとは逆のパターンで女性達には一寸大変な様子であった。


 寺伝に寄れば、白雉2年(651年)に役行者が石鎚山を臨む星ヶ森で修行をして居たところ、山頂付近に蔵王権現が現れたので其の姿を石楠花の木に刻んで小堂を建て安置したのが創建と云われ、其の後、行基が天平年間(729年~748年)に入山した。又、延暦年間(782年~806年)石仙が往持し桓武天皇の脳病平癒を成就した事から菩薩号を賜り、当寺には金の御幣を賜ったと伝えられる。


 大同年間(806年~810年)には空海(弘法大師)が入山し星ヶ森で星供養の修法をした際、蔵王権現を感得し、大日如来を刻んで本尊とし堂宇を整備したという。 




        


 此の日、私達は何時も通りに第61番札所を出発する時にカーナビに横峰寺の電話番号を入力しカーナビのガイド通りに何の疑いもせずに車を進ませたらトイレと駐車場の在る場所に辿り着いたが参道らしき物も山門も無いので不思議に思った。調度、其処に清水が湧き出て居るのか?若い二人の男性がポリ容器に水を汲んで居たので「横峰寺に行く予定でナビ設定をしたら此処に案内されたのですがお寺に行くには如何すれば良いのでしょうか?」と尋ねたら其の若い男性は「皆さん良く迷われる様ですが此処からは歩きの遍路道で途中の道は険しく大変でお寺までは大体40分程掛かるので此のルートは止められて、一度入って来た11号線まで戻り其の道を6Km程東に進み左手に石鎚自動車、右手にローソンが在る交差点を右折すると横峰寺に至る有料道路に突き当たるので其処でお金を払うと後は一本道です。」と地面に地図を書きながら丁寧に教えて下さった。お礼を述べると「遠路ご苦労さまです。お気を付けて」と笑顔で見送ってくれた。



 思わぬ失敗で?可也の距離を引き返し時間的には約1時間近いロス、此の事が此の日に愛媛県の最後の札所、第65番札所「三角寺」(川之江市)まで終える予定が此の日は残念ながら最終記帳時間に僅かに間に合わず愛媛県内の札所を一つだけ残す事と成った。


 上段最初の写真は横峰寺の駐車場から西条市の瀬戸内海側を撮った物。下段の最後の写真は西日本の最高峰、1982mの霊峰・石鎚山方面を撮った物、頂に雪を被っている。


 


 
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今朝の7MHz帯で聞えたDX局(2019/12/18)

2019年12月18日 | アマチュア無線

 今朝は05:30JSTに起き出して05:40JST頃から7MHz帯のワッチを開始した。聞き出した最初の頃は昨日のコンディションと同じでDX局の信号を余り確認出来なかった。其の後06:03JST頃に瞬時にDXコンディションは上昇して日頃の常連組の信号が聞こえ始めたが局数は少なく当局としては1stQSOに成るZ68MA(コソボ)がスプリットでJAを捌いて居たので呼掛けを開始し直ぐにピック・アップして貰えるだろうと安易に思って居たが中々、CBが無く、QSOまでには20分以上を要し自分で思って居る程は自局の電波は飛んで居ない事を実感した。また昨日は全く確認出来なかった北方向のV44KAOが弱いながらも確認出来たので昨日の早朝よりはDXコンディションは良い様に感じた。



     今朝7MHz帯で聞こえたDX局(05:40~07:30JST)



  9A01GPPVC(559)    IK2CLB(599)    I6WJB(599)


  5Z4/G3AB(559)     Z68MA(599)     4U1UN(579)


  V44KAO(459)
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四国八十八箇所霊場・第六十一番札所「香園寺」

2019年12月17日 | 四国88箇所霊場

      


 香園寺は、愛媛県西条市小松町南川に在る真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)栴檀山(せんだんさん)、院号は教王院(きょうおういん)、本尊は大日如来、四国八十八箇所霊場の第六十一番札所で在り、子安大師の寺として親しまれている。


 寺伝に寄れば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立し、天皇からは教王院の勅号を賜ったとされる。天平年間(729年~749年)には行基が巡錫、大同年間には、空海(弘法大師)巡錫中、当寺の門前で身重の婦人が苦しんで居た。空海は栴檀の香を焚いて加持祈祷をすると元気な男の子が無事に出産した。また、栴檀の香を焚いて、安産・子育て・身代り・女人成仏を祈る護摩修法をした。以来、安産・子育ての信仰の寺となったという。


 実際の創建年は不詳であるが、奥の院の白滝不動から北に行った海岸辺りで山中川下流に大日という場所が在り、其処にあった大日堂が白滝不動で修行する人達の納経所に成って、さらに大日如来を本尊とする寺に成り、現在地に移ったとも云われて居る。


 天正年間(1573年~1592年)に兵火に遭って焼失したが、江戸時代に入り小松藩主、一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年~1644年)に再興されて居る。また古くは高鴨神社の別当寺であったとされる。


 此の寺の参道を進むと左側に手水場が、右手に写真の鐘楼が在り、其の奥に遍明堂(釈迦堂)、正面に本堂と大師堂を兼ねた大聖堂が建って居る。2番目の写真は戦争慰霊観音像、右の御手には兵隊さんが抱かれている。此の寺は四国八十八箇所霊場の中で唯一、近代的な鉄筋コンクリート造りと成って居る。


 松山市内から伊予西条方面の第五十番札所の繁田寺から第五十九番札所の国分寺は以前の巡礼で既に納経は終わって居たので今回の松山市の第四十九番札所の「浄土寺」の納経が終ったら次は西条市の此の札所からの巡礼コースと成った。
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今朝の7MHzで聞こえたDX局(2019/12/17)

2019年12月17日 | アマチュア無線

 



 昨日の朝は不覚にも寝過ごして仕舞い朝方のワッチが出来なかった。今朝は如何しても起きなければと思い早めに寝たが起きたのは近くのお寺の06時の梵鐘の音で寝覚めた。直ぐにおきて何時も通りに7MHz帯のワッチを始めたが此処最近には珍しい程、バンド内のノイズ・レベルは低く非常に静かな反面、DX局の信号は殆ど聞こえず、SSBの周波数帯ではIU8LMCのCQを出す強力な信号と下のCW周波数はLZ50ZFの強力な信号が聞きえるだけで後は聞こえず。


 今朝は何時と可也違ったDXコンディションで07時頃まで丁寧にバンド内を探ったが聞こえて来たDX局は此の周波数帯では保々毎日聞こえて来る常連組の局ばかりで、此の所07時前後に聞こえて来る中近東やアフリカ方面の信号は当局には全く聞こえて来なかった。



       今朝7MHzで聞こえたDX局(06:00~07:00JST)


  IU8LMC(59)     LZ50ZF(559)     T40T(599)


  UW4CLF/3(599)  ER3MM(599)      EM5YOTA(599)


  R6AW(559)      PY7BR(559)      4L8A(559)
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四国八十八箇所霊場・第四十九番札所「浄土寺」

2019年12月16日 | 四国88箇所霊場

        


 浄土寺は、愛媛県松山市に在る真言宗豊山派の寺院で山号は西林山、院号は三蔵院と云い本尊は釈迦如来で四国八十八箇所霊場・第四十九番札所である。


 伝承に寄れば、天平勝宝年間(749年~757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗したと云う。


 平安時代中期の天台宗の僧空也が天徳年間(957年~960年)に此の寺に滞在し布教に努めた。建久3年(1192年)に源 頼朝が堂宇を修復するが応永23年(1416年)には兵火で焼失、河野通宣に寄って文明14年(1482年)に再建された。現在の本堂(上段4番目の写真)其の時のものである。慶安2年(1649年)には大規模な修繕、昭和36年には解体修理が行なわれ現在に至って居る。


        
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四国八十八箇所霊場・第四十八番札所「西林寺」

2019年12月15日 | 四国88箇所霊場

        


 西林寺は、愛媛県松山市高井にある真言宗豊山派の寺院。清滝山(せいりゅうざん)、安養院(あんよういん)と号し、本尊は十一面観世音菩薩で四国八十八箇所霊場の第四十八番札所である。


 伊予の関所寺(別の寺が関所寺と云う説もあり)で、境内は周り寄り一段低い場所に在り、邪悪な者が此処に踏み入れると無間地獄に落ちると考えられている。


 寺伝に寄れば、現在地よりも北東に3Kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に、聖武天皇の勅願を受け、天平13年(741年)に行基が伊予国国司の越智氏と共に一宮別当として堂宇を建立、本尊の十一観世音菩薩を刻んで開基したという。大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折、今の場所に寺を移されたと云われて居て、日照りに苦しむ里人のため、奥の院に成っている杖の渕の清水を湧出させたとも伝えられている。


 17世紀末に火災で焼失したが、元禄13年(1700年)松平定直らに寄って一部再建、其の後の宝永4年(1707年)には中興の祖の覚栄法印が村人の「雨乞い祈願」を成就して松山藩に帰依され本堂と鐘楼堂が再興、更に文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。


 此の寺の前に立てば立派な仁王門が聳え立ち其の山門を入ると左側に鐘楼、其の奥に庫裏・納経所が右側に手水場、正面奥には本堂が建ち、其の左には阿弥陀堂が在り、本堂右に大師堂が在る。



            
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今朝7MHz帯で聞こえたDX局(2019/12/15)

2019年12月15日 | アマチュア無線

 此の週末の土曜日は平日よりもDX局のQRVの確率が高いので何が在ってもワッチすべき日なのに此の土曜日は完全に寝過ごして仕舞い目が覚めた時には周囲は既に明るく成って居た。時計を見ると針は既に08時を過ぎて居る。「此れではワッチしても駄目だな!」と諦めてワッチする事を止めた。


 今朝は絶対に「早起きをせねば」と思い昨晩は何時も寄り早めの23時前に眠りに入ったら今朝は05時前にパッチリと目覚めた。此の時間帯では「早すぎるかな?」と思いながら無線機の電源を入れて聞き始めたら週末の性か?ポツポツとDX局の信号が聞こえて居た。CWの周波数帯でのDX局は消え入りそうな信号強度がSSBモードでQRVして居る此の周波数帯での常連局は59~59プラスで聞えて居る。


 早い時間帯ではEU方面の局が大半だったが06時前に成るとEU方面の信号強度は落ちて半面、アフリカやWや中米やカリブ方面の信号が聞こえ始めるがカリブ海方の信号はS・PかL・Pでの信号なのか?当局のアンテナでは信号差が余り無く良く解からない?JAのビッグ・ガン局が最近、時々CQ Caribbean sea Long Pass とCQを出して居るのでロング・パスでの可能性が強い様に思うのだが当局では良く解からない。


 今朝に聞こえたDX局の中で注目は4U1UN,9G2HO,FM5BH,ZS1SBWか? 此れ等の信号は当局では何途か受信は出来るがEU局を呼んだ段階で「??」の連発が返って来る様では交信できる可能性は少なく今朝はワッチに徹したが此の辺りが聞こえると聞いて居るだけでも楽しい。


     今朝7MHz帯で聞こえたDX局(05:00~07:10JST)



  S589PMC(559)     EO65QRC(559)     OT4T(599)


  RT6DE(59)        YT1AD(59)        YT8WW(59)


  UW1GZ(59)        PA1CC(599)       ER3MM(599)


  IZ0GYR(59)       OR18AAA(45)      HB9EOU(59)


  ZS1SBW(59)       OR18PHI(559)     FM5BH(559)


  HA0NAR(599)      4U1UN(579)       9G2HO(459) 
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