共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

出雲大社

2015年01月24日 23時49分40秒 | 日記
今日も寒中らしい、寒々とした天候の一日となりました。そんな中、何だか急に思い立って、以前から何となく気になっていた御社に参詣することにしました。

本厚木から小田急線に乗って小田原方面に向かって5つ目の秦野駅で下車し、そこから歩いて20分ほど歩いたところに出雲大社の相模分祠があります。ここは明治22年に、大国主大神の御神徳を関東地方に広めたいと発願した当時の出雲大社本社第80代国造・千家尊福の要請を受けて、今もこの御社の隣に建つ御嶽神社の当時の宮司であった草山貞胤が、大神の御分靈をこの地に御鎮座申し上げたのが始まりなのだそうです。

考えてみると、厚木の隣の伊勢原市に伊勢神宮の御分靈を勧請した伊勢原大神宮があって、その更に隣の秦野市に出雲大社の相模分祠があるということは、この神奈川県央域一帯が、大山という霊場を中心とした神徳に適った土地柄なのだろうということを、改めて想起させられます。

大きな鳥居の前に立つと、凛とした空気に身が引き締まりました。やはりここは特別な場所なのだと感じさせられます。
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嘘みたいですが

2015年01月24日 23時47分37秒 | 日記
拝殿に進むと、当たり前ですが、ちゃんと妻入りで階が右側にずれた大社造りの建物になっていました。こういう光景をみると、改めてここが出雲大社であるということを実感します。

ちょうど御祈祷が始まったらしく、拝殿の中から厳かな太鼓の音が響いてきました。巫女さん達も慌ただしそうにあちこち歩き回っています。私も拝殿前に進んで遥拝しました。因みにここは出雲大社ですから、二礼・四拍手・一礼です。

ここに限らず秦野市は湧水の豊富さでも有名で、ここに来る道すがらにあったお豆腐屋さんの店先にも豊富な水を湛えた泉がありました。この御社も手水舎の水に湧水が使われ、境内にある龍蛇神の社の前の泉からも懇々と水が湧き出していました。

ところで、その湧水に関してちょっと不思議なことがありました。手水舎で手水を使い、最後に左手に水を取って口を濯いだ時、今まで食欲不振だったお腹がグ~…と鳴ったのです。しかも、龍蛇神の社の前の水を一口頂いたら、何だか胃に感じていたモヤモヤ感がスゥっと消えたのです。今まできちんとしたものも口にしていなかったのですが、その感覚を受けて何だかちゃんとした食事が出来そうな気がしました。

何だか嘘のような話ですが、本当に感じた話です。もしかしたら今日ここに来たのは偶然ではなく、こうなるべく大国主大神のお導きがあったのかしら…などと思ってしまったのでした。
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古代浪漫

2015年01月24日 23時42分36秒 | 日記
拝殿横の出雲記念館には、毎年秦野市で開催される大相撲秦野場所に因んで、横綱旭富士と日馬富士が奉納土俵入りで締めた大綱が展示されていました。何でも日馬富士の四股名の名付け親は、ここの現宮司さんらしいのです。

そして、出雲大社と言えばこれを抜きには語れません。かつて平安末期に出雲の地に実際に建っていた本殿の1/100模型も、ちゃんと展示されていました。

後白河法皇が編纂させた《梁塵秘抄》の中に、当時の大型建造物を唄った『雲太、和二、京三』…当時の日本で三番目に大きな建物が平安京大極殿、二番目が奈良(大和)東大寺大仏殿、そして一番大きい建物が出雲大社だ…という囃し歌が残されていますが、その歌詞に違わず当時の出雲大社本殿の高さは約48m、本殿に向かう階段の長さは一丁=約109mもあったというのです!

それだけの威容を誇った証として、歴代出雲大社の宮司を務める千家国造家に《金輪御造営差図(かなわのおんぞうえいさしず)》という絵図が残されています。それによると、3本の丸太を金輪で締めて1本の太い柱にしたものを正方形状に9本揃えて立て、その上に床を張って本殿を建てたことが記録されていますが、当時の建築技術ではそんな巨大な神殿を建てるだけの技術はないとして、長らく絵空事と思われていました。

ところが平成12年から13年にかけて行われた境内の発掘調査で、現本殿の前の敷地の地下から、巨大な3本の杉の丸太が出土してニュースになったことがありました。後にこれは、旧神殿を支えていた宇豆柱(うずばしら)であるということがわかり、国造家に伝えられた絵図の通りの建物が存在したことが証明されたのでした。

これだけ巨大な神殿をどうやって建てたのか…当時はクレーンはおろか、滑車すら存在していなかったかも知れないことを考えると、ただひたすら驚嘆するばかりです。いつか、実際の出雲大社にも行ってみたくなりました。
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