今日は用事があって都内へ出たこともあって、ちょっと思い立って江戸綜鎮守の神田明神にお参りに行くことにしました。
あまり早く行くとAKB48のメンバーの成人式を境内でやっていて相当ごった返しているはずなので、今日はちょっと順路を変えてみました。神田明神は平安時代にまで遡るという名刹ですが、現在鎮座している場所は江戸時代以降に遷座させられたところですので、それ以前に御社のあったところへ向かうことにしました。
やって来たのは大手町。そう、昨今はパワースポット的に有名になってしまった《将門塚》です。
平安時代中頃に平将門が起こした《天慶の乱》で、将門は自らを『親皇』と名乗って坂東八か国を平定するも朝廷から遣わされた藤原秀郷の奇襲によって討ち取られ、その御首は京都で獄門に曝されました。しかし、その首はさながら生きているかのように目を見開き、夜毎身体を求めて咆哮したといい、三日目の夜に白く光り輝きながら遥か東を目指して飛んでいったといいます。
恐らく挙兵した下総国を目指したのかも知れませんが、それが力尽きて墜ちたのがこの辺りと云われています。やがてその当時の住人の手に寄って塚が築かれ手厚く祀られたのが神田明神で、久しくこの地に鎮座坐していたのですが、江戸時代になって神社社殿は現在の湯島聖堂の近くに遷され、将門塚だけが残されました。
高層ビルが林立する大手町のど真ん中に、ここだけ樹木が生い茂って光を遮っていて、塚の前に供えられた香炉から線香の香りが漂ってくると、やはり不思議な気分にさせられます。ただ、ここ最近TVで取り上げられることが多くなったせいか、今日は家族連れやらカップルやらで無駄に賑わっていました。
それはそれで結構なのですが、ともすると塚の周りでキャアキャア子供を騒がせっぱなしにしたり、どこそこ構わず写メを撮りまくったりしている図を見ると「違うだろ…」と思ってしまいます。
ここはあくまでも、平将門という『日本三大怨霊』の御一方の御霊を鎮めるために、遊行寺二世真教上人が築いた霊場なのです。ですから、こちらもそういったことを弁えたうえで静かに手を合わせるべきところですから、あたやおろそかにはしゃぎ回ったりなさいませんよう御注意願いたいものです。
あまり早く行くとAKB48のメンバーの成人式を境内でやっていて相当ごった返しているはずなので、今日はちょっと順路を変えてみました。神田明神は平安時代にまで遡るという名刹ですが、現在鎮座している場所は江戸時代以降に遷座させられたところですので、それ以前に御社のあったところへ向かうことにしました。
やって来たのは大手町。そう、昨今はパワースポット的に有名になってしまった《将門塚》です。
平安時代中頃に平将門が起こした《天慶の乱》で、将門は自らを『親皇』と名乗って坂東八か国を平定するも朝廷から遣わされた藤原秀郷の奇襲によって討ち取られ、その御首は京都で獄門に曝されました。しかし、その首はさながら生きているかのように目を見開き、夜毎身体を求めて咆哮したといい、三日目の夜に白く光り輝きながら遥か東を目指して飛んでいったといいます。
恐らく挙兵した下総国を目指したのかも知れませんが、それが力尽きて墜ちたのがこの辺りと云われています。やがてその当時の住人の手に寄って塚が築かれ手厚く祀られたのが神田明神で、久しくこの地に鎮座坐していたのですが、江戸時代になって神社社殿は現在の湯島聖堂の近くに遷され、将門塚だけが残されました。
高層ビルが林立する大手町のど真ん中に、ここだけ樹木が生い茂って光を遮っていて、塚の前に供えられた香炉から線香の香りが漂ってくると、やはり不思議な気分にさせられます。ただ、ここ最近TVで取り上げられることが多くなったせいか、今日は家族連れやらカップルやらで無駄に賑わっていました。
それはそれで結構なのですが、ともすると塚の周りでキャアキャア子供を騒がせっぱなしにしたり、どこそこ構わず写メを撮りまくったりしている図を見ると「違うだろ…」と思ってしまいます。
ここはあくまでも、平将門という『日本三大怨霊』の御一方の御霊を鎮めるために、遊行寺二世真教上人が築いた霊場なのです。ですから、こちらもそういったことを弁えたうえで静かに手を合わせるべきところですから、あたやおろそかにはしゃぎ回ったりなさいませんよう御注意願いたいものです。