先日、実家の近くに住んでいる従兄弟に頼んで、実家からあるものを送ってもらいました。それがこの古い置き時計です。これは昔、祖父母の家にあったものを譲り受けたのですが、まだ私が実家に住んでいた頃から他の家族は誰もメンテナンスをしなかったので、長らく止まったまま実家の床の間に放置されていました。そのことを何かの話のはずみで思い出して、無理を言って従兄弟に実家に行って取ってきて宅配便で送ってもらい、今日無事に届きました。
この時計はアメリカのアンソニア・クロック社製の『マントル・クロック』というタイプのものです。アンソニア・クロック社はアメリカ南北戦争が勃発する10年前の1851年にコネティカットで創業し、1878年にニューヨークに移転して多くの時計を作り上げた会社で、イングラハム社、セストーマス社に次いでアメリカで三番目に古い時計会社です。ちょうどマーガレット・ミッチェルの《風と共に去りぬ》の時代であり、タイタニック号が世界を騒がせていた時代と言えば分かって頂けるでしょうか。インテリアとしての華美な装飾こそありませんが、その分精巧さと頑丈さが売りの時計を数多く輸出していたのだそうです。
この時計の正確な制作年代は不明ですが、生前の祖父の話によると、曾祖父が大正時代初期くらいに購入したものではないかということでした。もし本当にそうだとしたら、およそ100年は昔のものだということになります。その後、大東亜戦争末期の艦砲射撃の戦火をもくぐり抜け、戦中・戦後を通して父を含めた四人の息子の誕生と成長、そして我々孫の誕生と成長をも、祖父の書斎机の片隅でこの時計はずっと見守り続けて来たのでした。
縦23cm、横21cm、奥行き12cmと小柄な時計なのですが、本体が鉄製なので子供の頃には持ち上げられませんでした。ただ、私はこの時計の時報のベルの音が好きで、正時や半時になるちょっと前に時計の置いてある書斎机のところにいって、控えめに鳴るボン…ボン…という時報の音を聞いていました。そのうち、そんなに好きならあげようと言って祖父が私に、これまた祖父母宅の台所にあったMeijiというメーカーのぜんまい式柱時計と一緒に、何度目かの誕生日にプレゼントしてくれたのでした。
年季が入って本体がだいぶ錆びたり、裏蓋がとれて何処かにいってしまったりしていますが、ぜんまいにちょっと油を注して巻き上げて、振り子を取り付けて振らせてみたら、10年以上放ったらかしにしていたにもかかわらず、ちゃんと動き出しました。時刻を合わせると、昔聞いていた音と全く同じ控えめな音色のベルがボン…ボン…と鳴り、それを聞いた途端、幼少期に訪れていた祖父母の家の中の光景がありありと甦ってきました。
できればこの音を、特別養護老人ホームに入居している105歳の祖母にも聞かせてあげたい…ところですが、何しろ見た目以上に重たいこの時計を片道4時間近くも持ち歩くのは、多少足腰に自信のある私でもさすがに無理です。それにもしかすると、あまりにも生活の中に居続けた時計と再会することによって、長年連れ添った亡き祖父のことを思い出して辛くなってしまうかも知れませんし…。
長いこと動いていなかったこともあって、まだ何となく寝ぼけている感がありますが、これからコンスタントに動かし続けたり振り子を調整したりすることによって、徐々に調子を上げていければと思っています。
なお次の枠に、この時計と非常によく似た時計の動画を転載しました。細部やベルの音については、そちらを御覧下さい。
この時計はアメリカのアンソニア・クロック社製の『マントル・クロック』というタイプのものです。アンソニア・クロック社はアメリカ南北戦争が勃発する10年前の1851年にコネティカットで創業し、1878年にニューヨークに移転して多くの時計を作り上げた会社で、イングラハム社、セストーマス社に次いでアメリカで三番目に古い時計会社です。ちょうどマーガレット・ミッチェルの《風と共に去りぬ》の時代であり、タイタニック号が世界を騒がせていた時代と言えば分かって頂けるでしょうか。インテリアとしての華美な装飾こそありませんが、その分精巧さと頑丈さが売りの時計を数多く輸出していたのだそうです。
この時計の正確な制作年代は不明ですが、生前の祖父の話によると、曾祖父が大正時代初期くらいに購入したものではないかということでした。もし本当にそうだとしたら、およそ100年は昔のものだということになります。その後、大東亜戦争末期の艦砲射撃の戦火をもくぐり抜け、戦中・戦後を通して父を含めた四人の息子の誕生と成長、そして我々孫の誕生と成長をも、祖父の書斎机の片隅でこの時計はずっと見守り続けて来たのでした。
縦23cm、横21cm、奥行き12cmと小柄な時計なのですが、本体が鉄製なので子供の頃には持ち上げられませんでした。ただ、私はこの時計の時報のベルの音が好きで、正時や半時になるちょっと前に時計の置いてある書斎机のところにいって、控えめに鳴るボン…ボン…という時報の音を聞いていました。そのうち、そんなに好きならあげようと言って祖父が私に、これまた祖父母宅の台所にあったMeijiというメーカーのぜんまい式柱時計と一緒に、何度目かの誕生日にプレゼントしてくれたのでした。
年季が入って本体がだいぶ錆びたり、裏蓋がとれて何処かにいってしまったりしていますが、ぜんまいにちょっと油を注して巻き上げて、振り子を取り付けて振らせてみたら、10年以上放ったらかしにしていたにもかかわらず、ちゃんと動き出しました。時刻を合わせると、昔聞いていた音と全く同じ控えめな音色のベルがボン…ボン…と鳴り、それを聞いた途端、幼少期に訪れていた祖父母の家の中の光景がありありと甦ってきました。
できればこの音を、特別養護老人ホームに入居している105歳の祖母にも聞かせてあげたい…ところですが、何しろ見た目以上に重たいこの時計を片道4時間近くも持ち歩くのは、多少足腰に自信のある私でもさすがに無理です。それにもしかすると、あまりにも生活の中に居続けた時計と再会することによって、長年連れ添った亡き祖父のことを思い出して辛くなってしまうかも知れませんし…。
長いこと動いていなかったこともあって、まだ何となく寝ぼけている感がありますが、これからコンスタントに動かし続けたり振り子を調整したりすることによって、徐々に調子を上げていければと思っています。
なお次の枠に、この時計と非常によく似た時計の動画を転載しました。細部やベルの音については、そちらを御覧下さい。