いきなり明日の話で恐縮ですが、明日は母の日です。本厚木駅のコンコースでも明日の母の日に備えてカーネーションを中心とした花屋の出店が出ていて、行き交う人達が足を止めていました。
私の母が彼岸に経ってから、もう20年を越えました。送った私もそれだけ歳を取ったわけで、改めて月日の流れの速さを感じさせられます。
母が他界した時、52歳でした。そして今、着実にその年齢に近づいている自分に気づきます。
何でしょう…さしたる根拠は何もないのですが、何となく
『自分は母の年齢を越えないのではないか…』
という思いに駆られることがよくあります。
そんなもの、実際に迎えてみなければ分かりませんし、鬼も笑わないような先の話だと思っていました。それが、いざ45歳を迎えた今、ふと考えるとその年齢まで残すところあと7年になっているのです。改めてその数字と向き合うと、何とも感慨深いものを感じずにはいられません。
まぁ、言ってもこれは私の妄想の域を出ない話ですので、私自身もあまり深刻に考えているわけではありません。むしろ、今月半ばで御歳107歳を迎える祖母が健在ですから、祖母に呆れられないような日々を送らなければ…ということも、これまた毎年のように考えております、ハイ…。
私の母が彼岸に経ってから、もう20年を越えました。送った私もそれだけ歳を取ったわけで、改めて月日の流れの速さを感じさせられます。
母が他界した時、52歳でした。そして今、着実にその年齢に近づいている自分に気づきます。
何でしょう…さしたる根拠は何もないのですが、何となく
『自分は母の年齢を越えないのではないか…』
という思いに駆られることがよくあります。
そんなもの、実際に迎えてみなければ分かりませんし、鬼も笑わないような先の話だと思っていました。それが、いざ45歳を迎えた今、ふと考えるとその年齢まで残すところあと7年になっているのです。改めてその数字と向き合うと、何とも感慨深いものを感じずにはいられません。
まぁ、言ってもこれは私の妄想の域を出ない話ですので、私自身もあまり深刻に考えているわけではありません。むしろ、今月半ばで御歳107歳を迎える祖母が健在ですから、祖母に呆れられないような日々を送らなければ…ということも、これまた毎年のように考えております、ハイ…。