はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆特集「風」-12

2009-09-21 20:32:14 | はがき随筆
「漂う」
 船一面の干し物の中、裕次郎が缶詰をほおばる。「太平洋ひとりぼっち」のワンシーンである。
 現在の私の人生も似たようなもの。プカプカ漂うだけで風が吹かない。これまでだって順風満帆ではなかったが、逆風を乗り越え乗り越えやってきた。ところが還暦を過ぎるや否や病魔がいっぺんに襲う。予期せぬ事態に私はうろたえ心身共に消耗した。今やっと小康状態の波間で立ち直る機会を得て、ヨットは動こうとしている。
 このチャンスをつかみたい。
 人生の帆にいっぱい追い風をはらみ、さあ進んでいこう。
 伊佐市 山室恒人(63) 2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載




はがき随筆特集「風」-11

2009-09-21 20:31:50 | はがき随筆
「涼風探し」

 やっと見つけた川内川の下流が見えるコンクリートに腰をおろし「脳を鍛える大人の名作絵本」を開く。
 5年前、知人のお見舞いに5冊求めたが不要になる。今の自分に適当だと思い、早速、指示通り最初の1㌻だけ音読。あとはじっくり気の向くまま読み込むことにした。しかし朝から32度の8月上旬の暑さに耐えられずエアコンの使用で体調を崩した。
 1時間だけでも自然の風が欲しい。狭い裏庭に水をまき蚊取り線香。涼風をみつけた。幸せなひとときだ。シソの白い花が本に散る。音のない世界。
  薩摩川内市 上野昭子(80) 2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆特集「風」-10

2009-09-21 20:31:44 | はがき随筆
「台風18号の記憶」
 平成11年9月24日未明、最大瞬間風速83.9メートルと認知された台風18号は、強い勢力を保ったまま私の故郷、甑島を暴風域に9時間入れ、直撃した。その時、私と母は家にいた。風圧で弓形に反り、飛ばされそうになる戸を風が収まるまでずっと押さえ続けた。生きた心地がしなかった。
 夜が明けて外に出てみると、我が家も近所の家も瓦ははぎ取られていた。島内の状況が分かってきた。港のボートが山の高さ約120㍍のところまで飛ばされるなど被害甚大であった。
 あれから10年たつが、今もあの記憶が薄らぐことはない。
  鹿児島市 川端清一郎(62)2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆特集「風」-9

2009-09-21 20:08:50 | はがき随筆
「台風の思い出」
 私が14歳の秋、夜中に強い台風が吹き庭の外に特別に作られた便所が、下の方から屋根ごと横だおしに倒れた。昔は今様のトイレではなく雨や風の日、また夜でも懐中電灯で用足しに出たものです。
 大事な便所が倒れ即、困ることに。父が中学校に勤めていたので、その朝職員室で話題にしたと思う。全員で笑ったことでしょう。その話は知っているのに、知らないふりして、学級担任が教室に来てすぐ質問。「昨夜はひどい風だったね。災害は。便所が倒れた所は手を上げて」と私の方を見ておもしろそうに笑った。
 私が手を上げると思ったの?
  肝付町 鳥取部京子(69)2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆特集「風」-8

2009-09-21 20:04:36 | はがき随筆
「秋の風」
 休診の土曜日の午後、明日投稿の短歌を作り終え、たそがれの庭に出てみる。
 赤く熟れた柿がいっぱい実った梢でふと法師ゼミが鳴き出し、今までと違った風が肌につめたく流れ始めてきた。庭の隅を見ると、彼岸花が芽を出し、そこに秋がきていた。秋の風は忙しい。
 妻を失って6ヵ月。はじめての秋は風がつめたく寂しいと言うがほんとうなのだろう。一人になってこの秋をどう生きるか、風の冷たさが身にしみてくる。
 老いて一人、つめたくなった風を浴びながら、秋から冬の寂しさに耐えて生きたいと思う。
   志布志市小村豊一郎(83) 2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆特集「風」-7

2009-09-21 20:01:15 | はがき随筆
「風は私の絵本」
 風は絵本。思い出の中も今も、いつも風が吹く。めくってもめくっても際限なく、さまざまな情景が頭の中をかけ巡る。
 春。ヒメジョオンのゆれる白い野道。風は柔らかくやさしい。
 夏。太陽に光り輝きそよぐ夏草。まぶしすぎる空に雲が流れる。
 秋だよ、と風が一番にそっと肌に触れる。暑さに疲れた体がふっと元気を取り戻す。
 冬。寝しずまったころ、カタリとかすかにガラス戸をたたく。だあれ?
 四季の風の中は、1人の時もある。懐かしい人々がそばにいる時も。いつも風と一緒。私の絵本。
  鹿屋市 戸高昭子(65) 2009/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆特集「風」-6

2009-09-21 19:45:40 | はがき随筆
「彼岸の風」
 かなたに阿久根大島を望み、こなたにヒガンバナやコスモスが咲き誇る畑の片隅。
 ここは私の天国である。
 草刈りを終え、お茶を飲み、長椅子に横たわる。
 心地よい疲れに、いつしかウトウトする。
 ペットボトルの風車が急に回り始め、目が覚めた。
 「あ、千の風さん。いらっしゃい。私よ、私」
 27年前、彼岸の中日に旅立った夫はどこ? 風は「こんなおばさん知らないよ」と言わんばかりに、涼やかに過ぎていった。
  阿久根市 別枝由井(67) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆特集「風」-5

2009-09-21 19:41:29 | はがき随筆
「再会の熱風」
 還暦を過ぎこんなに興奮を覚えたことはいまだかつてない。それは突然、小学卒業の同窓会案内状が舞い込み半世紀ぶりに会える「うそ」のような話。仲間の顔が浮かび、胸がざわめき、早く会いたいと気持ちが募る。
 自分の変容は棚に上げ友は見分けがつかないのでは? しかし兄弟のように遊んだK君や学芸会で私の妹役のAさん、キャンデー屋のH君など、面影はしっかり残っていた。忘れることのない学友。よくぞ元気で巡り合えた。再会のひとときを過ごし窓を開けると向かい合う笑顔に「えも言われぬ喜び」の熱い風が吹きつけた。
  鹿児島市 鵜家育男(64) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆特集「風」-4

2009-09-21 19:31:30 | はがき随筆
「人生の風」
 人生には二つの風が吹く。追い風の時はすべてが順風満帆だ。ひとたび向かい風に遭うと難行苦行となり人生が狂う。現役時は仕事上処理に迷う案件が生じた時、どんな圧力があろうが適正に処理した。向かい風を招かないためである。かように自分の信念で風向きを変えるのは可能だ。ところが自ら向かい風を招き罪を犯す人が絶えない。特に定年間際のケースは凡人の小生には理解できない。家族の心情を察すると心痛む。我が人生を振り返ると、追い風が微笑んでくれたが、いつ向かい風になるか分からない。残りの人生を追い風を逃がさぬよう努力したい。
  指宿市 新留栄太郎(67) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載



はがき随筆特集版「風」-3

2009-09-21 19:28:03 | はがき随筆
「風」
 一夏、クーラーや扇風機の世話になった。今は朝夕の風が涼しい。だが雨不足で野菜が値上がりし日本の水がめが干上がっている。台風はいただけないが、程良い風で水がめを満たしてくれるとよいが。インフルエンザの風は魔物、要注意。散歩道を風が吹き抜ける。垂穂の面を風がなぞってゆく。海の風がたおやかな波を岸に運ぶ。雄大な桜島を目前に風がおいしい。8月は民主党風が列島を吹きまくった。結末に国民は驚き、不安と期待の中にいる。人々の幸を保証する千の風になってほしい。さて我が心の中にも時々つむじ曲がりの風が発生する。反省多し。
  霧島市 楠元勇一(82) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆特集「風」-2

2009-09-21 19:23:19 | はがき随筆
「私の秋」
 今から42年前。エアコンもない産科病棟で、大きなお腹を抱えた私は、連日のうだるような暑さにじっと耐えていた。長い不妊治療の末、やっと授かった小さな命は、妊娠37週に切迫流産と言う試練にみまわれ、絶対安静を言い渡された。天井の扇風機から届く風は生ぬるく、仕事帰りの夫が額の汗をぬぐいつつ、うちわであおいでくれたものだった。
 忘れもしない9月12日。一陣の涼風が汗ばむほおをそっとなでた。ああ秋の風だ!
 それから私の秋は9月12日。
 晩秋に元気な産声を上げたのは男の子だった。
  鹿屋市 西尾フミ子(75) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載



はがき随筆特集「風」-1

2009-09-21 19:17:53 | はがき随筆
「高原の風」
 娘夫婦の招待で、1泊の小旅行をすることになった。メンバーは私たち夫婦と、婿の両親の計6人である。婿の運転で、残暑の厳しいハイウエーを北へ走り、霧島に到着する。高原温泉街の風情を体感するのは久しぶりだ。
 しばらく久闊を叙してから、うたげの席に着いて驚いた。私と婿のご母堂の、傘寿の祝宴だという。乾杯の杯に涙をこぼしそうになり、ありがとうの心が声にならない。
 娘夫婦も近く銀婚式を迎えるらしい。うれしいことだ。高原の風に満天の星が揺れている。
<神々の里に傘寿の新酒酌む>
 鹿児島市 福元啓刀(79) 2009/9/20 毎日新聞鹿児島版掲載





真夏の昼の夢

2009-09-21 19:05:58 | はがき随筆
 部屋に涼しい風が入り、読書していると睡魔に襲われ夢うつつ……。孫息子が出現し「ばあちゃん、セミがたくさん止まっているよ。捕ってね」とおねだり。網で捕った。セミたちのオーケストラは華やかでにぎやかでダイナミックだ。バイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノ、ラッパもそろう。孫息子とセミー匹はチョウネクタイにタキシードで正装。タクトを振っている。合唱団も□を大きく開き歌ってる。スポットライトを浴びて輝かしい光景。無邪気で可愛い。夢の世界。やがて目覚めた。ああ夢だったのか。幻想的な1シーン。真夏の昼の夢。
  加治木町 堀美代子(64) 2009/9/19 毎日新聞鹿児島版掲載

節目に生きた90代

2009-09-21 18:55:34 | はがき随筆
 大正14年11月21日生まれ。昭和との境。大正、昭和、平成と移り変わるその中で上海・満州事変と幼少時代より軍国調。昭和12年、日中戦争。拡大して大東亜戦争へ。世は国防色(緑)一色、教科書もさくら読本へ。満19才、徴兵引き下げ。学業半ばで現役入隊。復員して再び学業へ。教職38年。民主主義への移行。受け入れるのに苦労した。過去の教育をぬぐい去るのに大変だった。
 幾多の先輩、同窓を戦争で失った。人生20年が、80年まで生きのびた。変遷きわまりない人生、残りの人生を平和のために語りついでいきたい。
  薩摩川内市 新開譲(83) 2009/9/18 毎日新聞鹿児島版掲載


兄の復員

2009-09-21 18:50:54 | 女の気持ち/男の気持ち
 終戦の翌年の夏のことだった。夜中に玄関の戸をたたく音で目が覚めた。戸が開く音と同時に「おう! 帰って来たか」という父の声。私は跳び起きて玄関へ向かった。そこには南方から復員してきた軍服姿の兄がいた。
 それから家の中は興奮の坩堝と化した。母はうれし涙にくれながら風呂をわかし、食事の支度をした。私とすぐ上の兄はやたらと興奮し、何をしていいか分からず、ただ部屋の中をうろうろするばかりだった。
 父のこんなにうれしそうな姿を見たことはない。父は戦中戦後、兄のことを一度も□にしたことはなかった。けれども心の中では、長男の生還をどれほど願っていたことだろう。その思いが今、満面の笑みとなって表れている。
 栄養失調で青白くむくんだ兄の顔を見つめ、父は「日本の米を腹いっぱい食べてくれ」と言った。兄は満足しきった表情でおいしそうに食べている。15歳の私はそれをしげしげと眺めながら、うれしくて仕方なかった。4、5年の空白を埋めるように、話はいつまでもつきなかった。
 数日後、兄の戦友のお母さんが訪ねて来られた。息子さんのことを聞かれた兄は、戦死したことをどうしても言えず、知りません、分かりませんで通した。肩を落として帰るお母さんの後ろ姿を見ながら、私は涙が止まらなかった。
 その日一日、兄は無言のままだった。
  福岡県久留米市 坂井 幸子・78歳 2009/9/16 毎日新聞の気持ち掲載