はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

納豆

2013-03-06 22:38:41 | はがき随筆


 きれいなわらをもらったので納豆を作った。納豆は平安時代、八幡太郎義家が大豆を煮ている最中に敵襲を受け、煮えた大豆をわら袋に詰めて持ち歩くうち大豆が発酵して、おいしそうな香りがした。これが糸引き納豆の始まりとか。私の納豆造りはわら苞を作り蒸して雑菌を払い、これに煮た大豆を詰め、発泡スチロールの箱に温湯を入れたペットボトルを入れて密封した。翌日、大豆の表面に麹がつき、混ぜると糸を引く。たれをかけて暖かいご飯にのせて食した。出来立ての納豆は格別においしい。かの兵たちも相好をくずして食べただろう。
  出水市 年神貞子 2013/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載

これとて親孝行

2013-03-06 22:32:05 | はがき随筆
 私の名前は「三男(みつお)」で昭和16年生まれ。同級生には時節柄「勇・勝・征」などの漢字を持つのが多い。が、私の名前は力強さなど全く感じさせない。小学生の頃は、何となく引け目を感じたものだ。「ただの三男(さんなん)か」と。親となり子供の命名の時を迎えて、遅きに失したが、そこに親の願いを読み取れた。戦争にかり出され、敵を幾万倒してなんになろう。男の子として3番目に生まれたのも事実だし、名前通りに平凡に生きてくれればいい。平凡なる親の願いであったろう。その願い通り平々凡々に生きてきた。私が両親にしたたった一つの親孝行である。
  肝付町 吉井三男 2013/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載

あおい?

2013-03-06 22:24:58 | はがき随筆


 昨年10月、3人目の孫が生まれ、息子は「碧一」と名付けた。「あおい」と読ませるそうだ。紺碧の空やみどりとは読めるけれど……。辞書をひいてみた。「水天一碧」とあり、晴れ渡った海上などで、海と空が一続きになって青々としていることとあった。「ぺきいち」ではなく「あおい」と読んでもよさそうだ。ちょっと安心する。海好きの息子が名付けたのだ。3ヶ月目になり、送られてくる写真はとにかく可愛い。90歳の大ジジババも63歳のジジババも写真を見ては、にやけている。さわやかにまっすぐに育ってほしい。「碧一くん!」
  肝付町 永瀬悦子 2013/3/4 毎日新聞鹿児島版掲載

とっさの一言

2013-03-06 22:17:37 | はがき随筆
 久しぶりに友達数人で食事をすることになった。2歳年上でおしゃれなMさんが横に座った。すると「すてきな時計ね」とのぞき込む。私はシーッと指を口に当てた。身の丈暮らしに知恵を絞っている日々なのにとっさに「あなたにいわれるとうれしい。高かったの」と真顔でささやいてしまった。冗談は通じなかったのか「やっぱりね、すごくいい」と。話題は並んだ料理に変わり、本音を明かすタイミングを逃して何とも後ろめたい。気分転換に衝動買いした安い物。褒められてまんざらでもない女心が顔を出す。苦笑しながら時計を眺めた。
 薩摩川内市 田中由利子 2013/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

発刊と長い人生

2013-03-06 21:38:09 | はがき随筆


 高山本城を居城として600年近く大隅、日向さらに薩摩の一部を領した名門大伴氏の末孫、肝付氏盛衰をまとめた郷土史と、90余年の道程を短歌でつづった自分誌。この2冊を昨年12月に発刊した。
 短歌で自分史をつづり上げたものは珍しく、見たことも聞いたこともないなど、各地から興味深いと、評価をいただいている。3月に92歳になる。いま長い人生を振り返る。大正の末から昭和初期の世界同時不況は、日本も深刻な大不況に陥った。戦前から戦中戦後の日本の全てを身に受けた波瀾万丈の長い人生であった。
  鹿屋市 森園愛吉 2013/3/2 毎日新聞鹿児島版掲載

母の名

2013-03-06 21:30:19 | はがき随筆
 明治末生まれの母の名はナヘだった。40代に姓名判断をしてもらい「萎えるに通じ悪い。郁代がよいと告げられた」と、79歳で死ぬまで郁代を通そうとした。親の付けた名が嫌だったのだろうかと疑問に思っていた。その後、沖縄・奄美の言語を研究していたS教授にこの話をした。すると「沖縄の士族の子には台所に関する名を付ける習わしがあり、ナヘはナベのことでいい名ですよ」教えていただいた。そう言えば、母の看護士免状の氏名の上に士族とあったのを思い出した。母はこの習わしを知らなかったのだ。今はただ、哀れでならない。
  薩摩川内市 森孝子 2013/3/1 毎日新聞鹿児島版掲載