「故郷忘じがたく候」はもちろん、「坂の上の雲」「竜馬がゆく」などで知られる作家、司馬遼太郎さん(1923~96)が、薩摩焼宗家十四代沈寿官さん(86)の生い立ちなどを描いた作品だ。68年に文芸春秋から発行され、今も文庫本で読まれている。
400年前、朝鮮から連れてこられた初代沈家や今に至る一族の作品へのこだわり、日本人について、歴史観などを、わずかな時間で聞けるはずはないと分かってはいても、一度お会いしたいと思っていた。念願かなって、先日うかがった。
十四代沈寿官さんが待つ日置市へ向かうと、ここは東郷茂徳・元外相(1882~1950)の出身地で、朝鮮の陶工の子孫であることを知った。
お会いすると、日韓関係など時間の許す限り話してもらった。私の父と同じ1926(大正15)年生まれ。少年時代や戦前戦後の激流を生きてこられた。時代に翻弄され、境遇は筆舌に尽くしがたいものであったろう。
早大を卒業し、郷里で薩摩焼を継ぐ旨の話を東京の知り合いに告げると「やっばり、鹿児島ですね。サツマイモを焼いて暮らしていくんですか」と、就職先を心配してくれたという。「当時、それくらい薩摩焼は知られていなかったのです」
司馬さんの文章にもあるように、十四代沈寿官さんは多くをユーモアを交えて薩摩弁で話した。でも一つだけ険しい表情で「この道で生きていこうと決めた時、友人、知人に頼らないよう大学の卒業名簿や住所録を全て焼きました」と打ち明けた。まさに鹿児島で生きる決意、覚悟の強い表れだった。沈家の歴史と十四代沈寿官さんの半生はすなわなち、日本史だ。己の生き方や作品には厳しい目を持ちつつ、訪ねてくる他者へのまなざしは柔和だ。朝鮮、日本、薩摩でできたDNAは何て熱くて優しいのだろう。
鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2013/10/14 毎日新聞鹿児島版掲載