はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ミカンとメジロ

2015-03-01 00:45:38 | はがき随筆


 「チッ、チッ」と枝から枝へと今年もメジロがやって来た。サワーポメロを横に二つ切りにして棒に差す。それを見やすく剪定して丸い枝々に差したまま、載せておく。
 夕方、メジロとヒヨドリがやって来る。丸いミカンの縁を細い足で器用につかんで、警戒しながらついばむ。
 2.3度ついばんでは安心したのか、またついばむ。たちまちみずみずしいオレンジジュースは空っぽになってしまう。縁側からガラス越しにじっと眺めていると、とてもいとしい。「また、明日も待ってるよ」と。
  出水市 畠中大喜 201/2/28 毎日新聞鹿児島版掲載 

早春ダゴ祭り

2015-03-01 00:32:59 | はがき随筆


 志布志の山間地にある山宮神社では、毎年2月の第1日曜日に「ダゴ祭り」がある。春の到来を告げる祭りとして知られている。祭りのダゴ(団子)は各集落で作られ、小さく丸めた紅白の餅やニンジンなどを串に刺し、さおに束ね「ダゴ花」にして持ち寄り、神殿に飾られる。神事後、神舞が奉納され、やがて数本の「ダゴ花」は境内の真ん中に出され、等間隔に並ぶ。
 参拝者は豊作や無病息災を願って合図と共に「ダゴ争奪戦」に参加してダゴを持ち帰る。
 昨年3月、中学校が閉校した過疎のむら。藩政時代から続く祭りが今年も盛大行われた。
  志布志市 一木法明 2015/2/27 毎日新聞鹿児島版掲載 写真は一木さんのブログより

お別れ女子会

2015-03-01 00:25:30 | はがき随筆
 R子さんが福岡に転居されると聞いて、昔の仲間が20年ぶりに集まった。ほとんどが前期高齢者の12人だが、全員そろうとにぎやかで、まあ華やかなこと。「みんな変わらないねえ」と、来し方に思いをはせる。 
 生協の発足や地域活動など、共に頑張った日々。自身の大病や夫、肉親との死別、現在も健闘中の彼女たち。中でも、利き腕ではない方で、あいさつ文を見事な字で書かれたR子さんの努力に頭が下がった。
 人生は山あり、谷あり。たくましく明るい笑顔に出会えたこの日の帰途、県下一週駅伝に出くわすというおまけがついた。
  伊佐市 山室浩子 2015/2/26 毎日新聞鹿児島版掲載

高校生に学べ

2015-03-01 00:06:22 | ペン&ぺん


 23日付鹿児島版の「太平洋戦争時 鹿児島南高敷地に軍需工場 生徒自ら語り継ぐ 新聞部同好会」の記事を読まれただろうか。戦時中、鹿児島で何があったのか、高校生が懸命に調べ、語り継ごうとしている。県内は地域面だったが、福岡や北九州市など都市部で配っている夕刊は社会面トップで報じた。
 記事に添えた写真を見ると一目瞭然。米機はこんな低空で鹿児島を襲ったのかと驚く。私の母(85)も敗戦末期、学徒動員で浜松市の軍需工場で働き、何度も空襲を経験した。母から聞いていた話と合致する。
 子供の頃、「米艦載機は操縦士の顔が見えるほどの低さで飛んできて、相手が女や年寄りだろうが、機銃掃射は容赦なかった」と聞いていた。平成入った現代、今度はイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の兵器庫などを空襲する映像がニュースで流れる。地上の風景も鮮明だ。ミサイルが命中すると、建物も車両も吹き飛ばされる。そこには人がいるに違いない。それが、戦争なのだろう。 
 さて、私の長女(高3)、次女(中3)。母の戦争体験談や父のシベリア抑留の話をしても「ポッカーン」としている。私が単身赴任7年で、幼い2人に膝を交えて祖父母の話をしてあげる機会がなかったからかな。
 私の小中高時代の教師たちは私の両親と同世代だったこともあり、授業の合間に自身が戦地で体験したことを話してくれる「元兵士」もいた。それは悲惨だった。今でも覚えている。今、現役の教師で戦争体験者はいない。だが、鹿児島南高の取り組のように戦争について調べ、平和を考える方法は幾通りもある。
 今年は終戦70年。3月11日は東日本大震災、福島第1原発事故から4年。鹿児島は戦争から何を学び、発信できるか。そして、さらなる震災支援ができないか考えたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載