はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

芝居小屋

2015-03-15 22:46:32 | はがき随筆


 早春の一日、市文化協会の研修旅行に参加した。三池炭鉱の抗跡と熊本県山鹿市の八千代座見学で、ガイドさんの歌や語りに心地よくバスに揺られた。
 日本の産業発展を支え、役目を終えて静かに眠る抗跡と、江戸時代の芝居小屋が見事に復元され、今に生きる八千代座は対照的であった。明治の後期から昭和まで続くも、時代の流れに取り残され、閉鎖となり老朽化するが、地元のさまざまな運動で修復されたという。
 ビルも繁華街もない静かな町の人々の心意気に守られた芝居小屋は、匠の技の集結した日本の宝物であった。
  出水市 塩田きぬ子 2015/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

棟上げ式

2015-03-15 22:39:22 | はがき随筆
 「午後4時から餅まきをします。お時間があれば」。斜め向かいの新築の方が声を掛けた。
 棟上げ式に思い出がある。学生時代、建築中の家々に工場から瓦を運ぶアルバイトを20日間ほどした。トラックへの積み下ろしから全てが手作業。普通のバイト料が日給2000円前後だったが、この肉体労働は5000円余りを支給してくれた。
 初出勤の日、運搬先の家が棟上げ式だった。施主さんから祝儀袋を頂いた。形だけのものと思い開けてみると5000円。更に豪華弁当と焼酎まで。しかし運のいい日は続かず、後はきつい汗だけを流す日々だった。
  鹿児島市 高橋 誠 2015/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

槍と木守唄

2015-03-15 22:31:32 | はがき随筆
 天草の福連木に伝わる「福連木の子守唄」。その悲しい子守唄や歴史に、私は胸が痛む。
 福連木の森は、徳川時代、突如、槍の柄木として納める直轄地になった。村民共有の稼山を失い、村人はどんなに厳しい生活を強いられたことだろう。口減らしで泣く泣く、娘たちは球磨地方に子守に出されたのが福連木の子守唄の起こりらしい。
 加藤清正の槍が紀州家に贈られた経緯から、私は福連木の森の樫が徳川家の槍の柄になったのではと思う。んどみゃ 盆ぎり 盆ぎり……と、不運な子供たちが、五木や人吉で歌う時の悲しみを私は言葉にできない。
  出水市 小村忍 2015/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの昭和史5

2015-03-15 22:24:42 | はがき随筆
 ぼくが育った武蔵野の変貌は凄まじく、雑木林は開墾され、さつま芋と麦の二毛作の畑と変わり広く明るくなった。食糧不足の急場凌ぎだが、もっと深刻な問題は住宅事情で、その畑に4軒長屋の都営住宅が建ち並ぶことになる。僅かな間に雑木林から畑、そして住宅地になった。
 この一連の影響がぼくたちに及んだのは2部授業という現象である。月替わりで登校時間が午前と午後に替わるのだが、低学年のぼくは午後の授業の時、家は出るのだが学校へ向かわないことがよくあった。ぼくの学力不足の遠因はここにあると思う。
  志布志市 若宮庸成 2015/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載

雨に咲く白い花

2015-03-15 22:06:50 | はがき随筆





 温かさを感じる柔らかい雨が、ハクモクレンを濡らしている。雨に咲く白い花……などと書き始めると、なんとなく詩人になったような気分になる。
 独り住まいだった義母と生活をするために来た種子島。その義母が95歳で天寿を全う。10年祭が済むまでは島にとどまり、その後のことはそれから考えることにしていたのだが、それがもう来年のことになった。
 「結局はここが終の棲家になるのかもね」。義母が生活をしていたこの部屋の縁側からハクモクレンを眺めながら、カミさんと顔を見合わせる。ヒヨドリが来て、花びらを1枚落とした。
  西之表市 武田静瞭 2015/3/11 毎日新聞鹿児島版掲載

蒸しオムライス

2015-03-15 21:59:37 | はがき随筆
 月2回、面会する長男の2人の子供と会話が弾む。10歳の女の子と8歳の男の子。
 「これ、蒸しオムライスだよ。油を使わないから、体にいいと料理教室で習ったの」「勉強したらすぐ作るんだね」「そうよ。卵の上にケチャップで絵を描いてね」。2人は思い思いに描いた物を崩しながら完食。「さっぱりしておいしかった」
 三十数年前に私が作った7段のひな壇の前で、恒例の記念撮影をする。いい笑顔だ。
 「あれから6年、ずいぶん大きくなったよね」。くじけそうになり、諦めかけた面会闘争を思い出していた。
  阿久根市 別枝由井 2015/3/10 毎日新聞鹿児島版掲載

感謝と支え合う心

2015-03-15 21:39:52 | ペン&ぺん


 第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社主催)が21日開幕する。県内からは2年連続5回目の神村学園(いちき串木野市)が出場、活躍が楽しみだ。 3月は卒業式や人事異動など別れの季節。昨春は県立大島高(奄美市)も悲願かない憧れの大舞台に立った。優勝した龍谷大平安から2桁安打の堂々たるプレー。しかも大高生や卒業生らの応援は日本一に輝いた。神村、大高ナインも卒業生もセンバツの舞台に立てたのは、保護者や同窓会、地域などの理解と支援があってこそ実現したことや、感謝の心を忘れずに卒業していってほしい。
 大高に限って言えば、練習環境や費用など奄美という離島の厳しいハンディを乗り越えた初の甲子園は、学校関係者の一生の思い出だろう。大高と直接関係はないのに実に多くの人が喜んだ。スポーツが大好きな薩摩焼宗家十四代、沈寿官さん(日置市東市来町)や島出身者らが集う居酒屋、花りん(鹿児島市西田1)の女将さんらはポスターを貼りセンバツを大いに後押ししていただいた。大高の屋村優一郎校長は「多くの方の協力で生徒たちも甲子園という大きな舞台を体験でき、この経験はきっとこれからの人生を切り開く原動力になることでしょう」とお礼の気持ちを述べた。
 「3.11」がくる。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸4年。九州だってまだ寒いのに東北の被災地はもっと寒いだろう。
 「8.6水害」で甚大な被害を受け、大勢の犠牲者を出した。川内原発もあって、原発事故は人ごとではない。いつまた鹿児島が大きな災害に見舞われるか、分からない。鹿児島からさらなる被災地支援ができないものか。私は4年で何かしたのか。もっとエネルギー問題を発信しなくていいのか。明治維新期の鹿児島の人たちならば、どう動くだろうかとよく考える。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

2015-03-15 18:33:08 | はがき随筆
 子供の頃、見上げた夕空に赤く焼けた雲の美しさに。ふとこの雲を空から見たらどんな景色だろうか確かめたい思いがあった。時は過ぎ、中国旅行を終え、午後2時に搭乗、北京から帰路へ。眼下を見下ろすと真っ白の雲海が一面に広がっていた。雲海はとぎれることもなくその上を飛行していく。どれほど行ったか、雲海の下から赤く染め上がり、瞬く間に雲海は淡紅色一面になった。その美しさに言葉もない。ぼうぜんとなった。それもつかの間、夕闇に突入していった。夕焼け雲の上の飛行だった。忘れられない景色である。
  出水市 年神貞子 2015/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

彼岸の両親へ

2015-03-15 18:22:23 | はがき随筆
 2月14日、お寺で母の1年忌を営んだ。千葉や福岡から帰省。寺の庭には親鸞聖人の銅像があり、ヒカンザクラは満開。金色に輝く御堂の飾り台に、母の位牌が置かれ、住職の法話が始まった。真剣さの中にユニークさがあり、人の心をとりこに。
 父の命日も2月で、両親に焼香、拝礼をして供養を終えた。 
 そして記念撮影の後、食事会へ。子供全員還暦を過ぎ、昔の思い出は尽きない。
 1950(昭和25)年の家族写真は幼少の面影と現在が比較され、成長を物語る。帰路は「元気でね」と笑顔で慰め励まし合い、また会う日を楽しみに。
  肝付町 鳥取部京子 2015/3/8 毎日新聞鹿児島版掲載

きんかん談話

2015-03-15 18:10:57 | はがき随筆


 「あのきんかんの木は、じいちゃんが中の市で買ってきて植えたものだったんだけどねえ」と母が語る。きんかんの木が1本あった。毎年、たくさんの実をつけていた。母の炊くきんかんは寒い朝、喉の健康にもよく、風邪の予防にもなり、食卓をにぎあわせた。近所の方にも配って喜ばれた。
 そのきんかんの木を別の場所に植え替えることになり、移したのだが、時期が悪かったのか、育たなかった。
 今度は母がきんかんの木を2本植た。その木はまだ小さいが、大きな木に育ちゆっさゆっさと実をつける日が楽しみだ。
  出水市 山岡淳子 2015/3/7

平和記念の碑

2015-03-15 17:54:38 | はがき随筆
 ウオーキングの途中、国道220号線沿いの垂水市浜平にある平和記念之碑に立ち寄った。刻まれている文字を読み進めると両親の名前が……。私の頭の中は「?」がいっぱい。ここは昔の海軍の跡地。戦禍で不自由な体となり、それを支えた妻たちをたたえ、平和を願い浄財で建てられたと記されている。
 父は陸軍で傷痍軍人だった。銃弾を受けた右腕は左より一回り細く、夏でも半袖を着ることはなかった。戦争という共通性で陸軍、海軍の別なく、この地に建立されたのだろう。
 亡き両親の名前を何回もなでて、また、歩き始めた。
  垂水市 竹之内政子 2015/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載

プレゼント

2015-03-15 17:45:23 | はがき随筆
 妻が「吉野弘詩集」をプレゼントする。創作に怠慢の私に、1編でも心の詩をの願いも表情から読み取れる。
 詩集との出会いを機に一気に一読した。何十年要しても及ばずとも何回も何十度も読み、詩心を高めて1編の創作に誠意を込めて表現していく。歳月も要するが、慌てずぼちぼちと思考を深め1編を創作する。
 妻は、「頑張ってね」の一言も言わない。妻の望む心を察して今も詩集を読む。繰り返しによって私の詩心も高まっていくと信じ、1編の創作が待ち遠しい。妻の願いを今年中に表現したい気持ちでいっぱいである。
  鹿児島市 岩田昭治 2015/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載

グラウンドゴルフ

2015-03-15 17:29:20 | はがき随筆
 う~ん、なぜ、グラウンドゴルフをしている方は、高齢者でも元気な方が多いのか。
 誘われて参加してみた。「はまった」。実際にやってみると、とても楽しい。「カーン」と球を打つ快感もいい。何より、その球が、どのように転がっていくのか胸がドキドキ。球を追っかけて自然に走る。ホールインワンすると、誰のものでも、興奮して大声が出る。外れても、あ――。一喜一憂、笑い声があちこちで起こる。元気の源が分かったような気がする。グラウンドゴルフ発祥の地は日本。
 60の手習い、グラウンドゴルフに行く日が楽しみだ。
  鹿児島市 永野町子 2015/3/4 毎日新聞鹿児島版掲載