2015年3月23日 (月)
岩国市 会 員 山本 一
在職中に交流のあった関西の知人が、「一緒に飲みたい」と岩国にやってきた。
彼の話は衝撃的たった。65歳で退職後、料理学校に入学し、1年後のこの3月に卒業。これから小料理屋を始める予定で、90歳までやるとするとまだ20年はやれるという。寮に入ったので、既に約400万円を先行投資したそうだ。
私は61歳で退職した。その時「人生の大半は終わっ た。これからの第二の人生をどうしようか」と考えた。いうなれば、「付録の人生」として意識した。
しかし、よく考えてみると、今は人生100年の時代だとあの日野原重明先生も暗示している。私の場合、在職は42年で退職後は約40年もある。どうみても付録の人生は聞違いだ。定年は人生の折り返し点なのだ。
とはいえ、身体機能は明らかに下降線をたどっている。体と折り合いをつけながら、余生ではなく「後半の人生」を生きよう。
知人に刺激され、趣味ざんまいの日々が心の中で、より重要さを増した気がする。
(2015.03.23 中国新聞「広場」掲載 )岩国エッセイサロンより転載
岩国市 会 員 山本 一
在職中に交流のあった関西の知人が、「一緒に飲みたい」と岩国にやってきた。
彼の話は衝撃的たった。65歳で退職後、料理学校に入学し、1年後のこの3月に卒業。これから小料理屋を始める予定で、90歳までやるとするとまだ20年はやれるという。寮に入ったので、既に約400万円を先行投資したそうだ。
私は61歳で退職した。その時「人生の大半は終わっ た。これからの第二の人生をどうしようか」と考えた。いうなれば、「付録の人生」として意識した。
しかし、よく考えてみると、今は人生100年の時代だとあの日野原重明先生も暗示している。私の場合、在職は42年で退職後は約40年もある。どうみても付録の人生は聞違いだ。定年は人生の折り返し点なのだ。
とはいえ、身体機能は明らかに下降線をたどっている。体と折り合いをつけながら、余生ではなく「後半の人生」を生きよう。
知人に刺激され、趣味ざんまいの日々が心の中で、より重要さを増した気がする。
(2015.03.23 中国新聞「広場」掲載 )岩国エッセイサロンより転載