武蔵野の雑木林の中で育ったぼくは、空襲で逃げ惑う恐怖は知らない。焼け野原も、死屍累々の惨状を直視することもなかった。しかし、紙一重の場所では逃げ場を失った人たちが灼熱の中で息絶えた戦争。平和であれば、戦争さえなければと、困窮の中から一歩一歩歩んできたのがぼくの昭和史である。
あのぼうぜん自失の一簿手前で不戦を誓ったはずだが、状況次第では戦闘も許さないと言いだした。国連要請の支援とは訳が違い、はっきり敵対関係を打ち出すという。憲法解釈をゴムのように伸ばして、悲しい平成史は書きたくない。
志布志市 若宮庸成 2015/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載
あのぼうぜん自失の一簿手前で不戦を誓ったはずだが、状況次第では戦闘も許さないと言いだした。国連要請の支援とは訳が違い、はっきり敵対関係を打ち出すという。憲法解釈をゴムのように伸ばして、悲しい平成史は書きたくない。
志布志市 若宮庸成 2015/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載