はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

別れ

2018-06-07 11:10:01 | はがき随筆
 苦しみのなくなった母の顔。その平穏な顔を何度も撫でる。もう私の体温は届かない。今日は最期の別れの日である。
 故郷を離れ19歳で嫁ぎ、がむしゃらに働いた。親を早く亡くし、その分家族思いだった。帰省すると整然とした室内、手入れの届いた畑に、母の生き様を見る。帰り際には皿いっぱいのおにぎりと漬けものを用意してくれる。まさに〝おふくろ〟を生きた。働き過ぎで体を壊したが、92歳の長寿となり感謝しかない。涙の乾かぬまま床に就く。朝、鳥の声にふと目が詰めた。急いでカーテンを開けると、それは曇り空のかなたへ消えた。
  鹿児島県出水市 伊尻清子 2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

翠色の指輪

2018-06-07 10:59:29 | はがき随筆


 もう何年も前の出来事だ。
 友人に誘われ蛍を見に行ったことがある。目的地に着いた頃は夕暮れ。草木に守られた小川に沿ってゆっくり歩いて行く。
 あたりが暗くなっていくにつれ、それはチラホラと現れてきた。しばらく進んだのちに手元の灯りを頼りに来た道を引き返す。その頃はかなりの数が乱舞し始める。うちの一匹が左手の薬指にピタリと止まった。
 ふわり、ふわりと独特なリズムで光を放つ。「素敵……」と息を殺して左手を眺めた。ほどなく翠色のリングは飛び去っていった。今年もどこかで癒しの光を届けるだろう。
 宮崎市 藤田悦子 2018/5/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

桃のお仕事

2018-06-07 10:52:34 | はがき随筆
 キラキラ輝くきれいな瞳に「ねぇ桃、君の仕事って何だろうね」と尋ねる。でも愛犬はじっと見つめるだけ。
 そうね、散歩と食べることが仕事だと思うけど、ふに落ちない。本能と思えば簡単だが、育ての母の感覚としてそうはいかない。
 確実に私を癒してくれる。これこそが桃の№1の働き。私はすべすべした背中をなで、大きな耳をそっと引っ張り、時々赤ちゃん言葉で話しかける。
 本当にかわいい。孫と勘違いしてしまう。利口な犬だから言葉が通じる。なんと親バカ。ずっと元気でね。
  熊本県八代市 鍬本恵子(72)2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

ピカピカ一年生

2018-06-07 10:44:10 | はがき随筆
 県外に住む初孫が小学生になった。ランドセルはお盆がピークで品数も豊富さしく、昨年の夏に予約。お嫁さんは「色は秘密にさせてください」。女の子なので赤かピンクか、決めかねているうちに春が来た。送られた写真の孫は黄色の帽子に紺の制服、サーモンピンクのランドセルを背負っていた。
 入学式の翌日から通学班があり、3年生のお世話係が迎えに来て7時25分に登校。30分歩くので親は体力を心配していた。ひと月過ぎ、細い足にも少し筋肉がついた孫は、「保健係になった」と教えてくれた。学校が楽しいらしくなによりだ。
  鹿児島県いちき串木野市 奥吉志代子(69) 2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

幸せもの

2018-06-07 10:31:01 | はがき随筆


 女3人で青島温泉に行った。脚が悪いので、友達が障害者用風呂を予約してくれた。温泉は肌がツルツルになりとても気持ち良かった。
 外に出ると、鬼の洗濯板が広がり遠くに青島神社が見えた。行ってみたいと思っていると、友達が車椅子を借りてきた。
 遊歩道を押してもらいながら洗濯板の景色を満喫した。神社に行くのは小学校以来、何十年ぶりだ。友達と「昔は小さな木の橋で潮が満ちると通れなかったね」と頷きつつ話が弾んだ。
 ときおり、心地よい潮風がふき、「幸せだ―、ありがとう」と何度も呟いた。
 宮崎県串間市 林和江(61)2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

97サイバンザイ

2018-06-07 10:20:07 | はがき随筆

 読書の記憶ですが、古代国家は赤色を神聖化し大切にしていたことを知りました。その象徴、神社はもちろん、のしや新築の投げ餅など赤白です。私の誕生日には母は必ず赤飯を神に供えて祝いました。老妻も37年間義母の後を継ぎ役を果たしています。
 今年は曽孫3人にお酒「百歳」も出ててんやわんやの笑いの宴でした。それに加えペンクラブ同人はありがたい。大村土美子様からお祝いをいただき、縁起の良い赤字で「97サイバンザイ」が紙面に。一筆添え書きにも感謝し、赤色さまさまで、身近に受けた誕生日でした。
 熊本市中央区 田尻五助(97)2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

一線

2018-06-07 09:36:46 | はがき随筆
 カラスと小鳥が距離を置いて電線に止まった。ああ、カラスはやみくもに襲わないのだ。小鳥も簡単には襲われない。常にその距離には猜疑と防御。攻撃と間隙が考慮され、生きる同士の精緻な駆け引きをしている。自然に野生の必要限度をはかり、せめぎあう本能は本能で、決して規を超えない。
 しかし人間だけは時に甚だしく度を越えるのだ。自己保存や防御の本能を越え、必要以上に走るのはなぜだろう。広大無辺の周期では、それでも調和されるのか。理由は何かあるのしらん……などと皮肉みながら考えて、少し嫌になってきた。
  熊本県阿蘇市 北窓和代(63)2018/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

廃業の店

2018-06-07 09:22:52 | はがき随筆
 散歩の途中、たばこ屋さんの店先に「三月末で閉店」の張り紙を見た。高齢になり、60年の御愛顧に感謝します、と書いてある。奥さんに会うと、夫婦とも80歳を過ぎて、足が痛くなり、3人の娘たちも家業を継がないのでやめましたと語った。
 近所の理髪店は御主人が亡くなり廃業した。こちらも3人の娘さんが結婚して、後継者はいない。「娘さんたちがいるので、心強いでしょう」と言えば、「主人ほど頼りにはなりませんよ」と寂しそうだった。すでにたばこは自販機で買えるし、そのうちに散髪も機械の中に頭を入れて刈る時代が来るかもしれぬ。
  鹿児島市 田中健一郎(80)2018/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載