はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「アサガオに癒やされた暑い夏」

2010-09-13 21:54:38 | 岩国エッセイサロンより



2010年9月12日 (日)
    岩国市  会 員   片山 清勝

8月上旬、体調を崩して気分のすぐれない妻が「今朝もたくさん咲いて色もきれい」と見ていた。梅雨のころ、苗に添えられた写真を見て買った数株のアサガオ。それが盛りと咲いていた。その様子が妻の気分を癒やしてくれたようだ。
 「花からは、もの言わぬ生命力が伝わります」という病床記を読んだことを思い出す。妻は、それに似たことを感じたようだ。すると、自由気ままに伸びているように見えるアサガオのつるにも、何か力を感じる。
 盆過ぎに体調が戻ってからも、妻は起床するとアサガオを眺めた。アサガオも妻の視線に応えるようによく咲いてくれた。水当番の私は、いい花が一日でも長くたくさん咲くよう、気持ちをこめて水をまいた。 
 「来年は、このアサガオの種を植えたい」と妻は言う。それは花に癒やされたという感謝の気持ちからだろう。暑い暑い夏だったが、これまでにない、よい夏の終わりになりそうである。
 (2010.09.12 毎日新聞「みんなの広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

カモメパン

2010-09-13 21:37:15 | 女の気持ち/男の気持ち
 冬のある日、鹿せんべいならぬカモメパンを食べてしまった。夫の母のお見舞いと私の母の誕生祝いを兼ねて、古里に向かう有明フェリーに乗船した時のことである。
 昼食まで間があり、小腹がすいたので、売店でパンを買った。ユニークな名前だなとは思ったが、それは素朴な味で、それなりにおいしいと思っていた。船内放送でカモメの餌だと知るまでは。
 どうしよう、おなかは大丈夫だろうか。下を向いて寝たふりをする。下船時にパンのことを尋ねたら、食べても大丈夫と言われ、ホッとした。
 春が来て、義母の体調も回復した。米寿を過ぎてなお料理に精進している。いろいろな食材のおいしい食べ方を教えてくれる。新しいレシピの情報収集も欠かさない。料理は義母の生きがいだ。実家の母も父の三回忌を無事済ませ、元気になった。
 夏、所用でまたフェリーを利用した。その時々にいろいろな思いで船に乗る。デッキに出ると、島原半島と海のコントラストが懐かしい。平成新山は在りし日の父を思い出させる。今は静かなお山だ。
 結婚後長く住む古賀市もどこか古里の景色に似ている。子どものころから山を仰ぎ見て暮らしたせいか、山の様子が気になる。ここもホッとする町になった。
 ちなみにカモメパンは冬の限定商品という。カモメは冬の渡り鳥だったのだ。
  福岡県古賀市 下田 緑・52歳 2010/9/12 毎日新聞の気持ち欄掲載

人生の夏休み

2010-09-12 17:35:35 | はがき随筆
 「大学時代は人生の夏休み」とアルバイト先の社員がつぶやいた。終わりゆく大学最後の夏休みを惜しむ私に向けた言葉だ。我が身を振り返れば、確かに、そうだ。講義そっちのけでサークルに励んだ。好きな本を読み、集会や講演会に参加して回った。お酒も飲み、遊んだ。まさに「人生の夏休み」と呼ぶに、ふさわしい大学生活だ。
 さて、人生の夏休み時代の最後の夏休みが、そろそろ終わる。漫然と過ごしたわけではないが、後悔もある。人生の夏休みは後悔なく終わりたい。総仕上げでもある9月からの後期課程に向けて気合いを入れ直そう。
 鹿児島市 山下智恵(23) 2010/9/12 毎日新聞鹿児島版掲載

声が聞きたい

2010-09-12 17:29:47 | はがき随筆
 脳出血で倒れて3年半。半身マヒのままの夫が携帯電話を握りしめて、じっと下を向き「お母さんが返事をしてくれないかなぁ」と言う。そして「声が聞きたいから、これで、かけてくれる?」と、私に携帯を差し出した。
 戸惑う私を見ていた13歳のひとり娘が「貸して。入れてあげる」と、カチャカチャと入力しだした。あれ、もしかして天国のおばあちゃんの番号を知ってるの? と思ったくらい、確信にみちていた。「ハイ、入力しといたよ」。渡された携帯には「天国」と書いてあり、番号は無かった。
  鹿児島市 萩原裕子(58) 2010/9/11 毎日新聞鹿児島版掲載

耳管開放症…

2010-09-10 15:43:28 | アカショウビンのつぶやき
 処暑・白露がすぎても、日中は酷暑…。
ひたすら日中の外出を控え、水分補給につとめ、熱中症対策だけはしっかりやってきたつもりだった。
ところが、ちょっとした油断で、熱中症ならぬ、今まで聞いたこともない「耳管開放症」という診断を下されてしまった。

昨日は歯科診察日、朝一番の予約なので、8時すぎに、バスで出掛けた。帰りもバスセンターまでのバスに間には合ったが、タッチの差で市役所方面行きのバスに乗り遅れてしまった。

その時すでに11時前。バスセンタから我が家までは徒歩25分。空を仰いで一瞬考えた。タクシーにしようかな…と。
然し生活習慣病の我が身「かんかん照りじゃないし、今日は歩こう、途中のお店で涼を取りながら歩けば大丈夫」と、意を決して歩き出した。

1軒目の町の駅で野菜を物色しながら涼を取り次へ。
なんと、2軒目は定休日だった。
ちょっと頑張って郵便局まで歩く。ところが入るとムッとする暑さ。
大きなはり紙に「申し訳ありません、冷房が故障です」やれやれ。

我が家は目の前だけれど、お隣の市役所に飛び込んだ。ロビーでゆっくり新聞を読み終えてから、締め切って蒸し風呂のような我が家に向かう。

窓を全部開け放して、シャワーする
良い気持ち。

ところが、左の耳がなんかおかしい。
閉塞感があり、自分の声が耳の中で響いているような、変な感じ…。水が入ったのかなと、トントンしたり、何回も耳を拭いたり…

何をやっても治らない。
「これって一体何なの…」
左耳は60年近く前に、突発性難聴を患い、聴力はゼロに近いと思っていたのに、自分の声が、ボワーンと響く不愉快さ。

午後はコーラスだったが、歌ってる間は不思議に不快感を感じることなく、2時間の練習を無事に終えることができた。
練習後、耳鼻科へ。

「耳管開放症です。原因は急に痩せた時、大量の汗をかいた時、水分不足、睡眠不足、ストレス etc」

バッグには麦茶を入れてたのに、飲むのを忘れ、最近睡眠不足も続いていたなあ…。

「一過性のものなら、悪い方の耳を下にして寝てるだけで治りますよ」と言われ、薬もなし、少しゆっくりした方が良いでしょう…と。

今日は、教会のお掃除もコーラスもお休み、横向きに寝るのが苦手な私は、ひねもす、ごろごろです。

大した病ではありませんが、皆様ご注意を

by アカショウビン
耳管開放症

妻が居て私が

2010-09-10 15:34:00 | はがき随筆
 身体障害1級、妻4級、2人とも要支援。最近、体力が急激に落ちたような気がする。動きがスローモーになって来た。もろもろ、物忘れ、ど忘れが多くなってきた。トイレ、洗面所の電気の消し忘れ。扇風機、エアコンの消し忘れ。重大な事故に、つながるような忘れ。 お互い、その都度、注意しあってはいるが、抜けが出てくる。目糞、鼻糞を笑うとはよく言ったもの。特に外出の際は大事にならぬよう確認が大切。年々、知力、体力が衰えてくるが、2人で半人前を1人前になるよう妻と協力して毎日を過ごしたい。
  薩摩川内市 新開譲(84) 2010/9/10 毎日新聞鹿児島版掲載

新人看護師さん

2010-09-10 15:26:27 | はがき随筆
 5月に鹿児島の大学病院で脊柱管の手術を受けた。手術後、しばらくはトイレに行くにも車イスを看護師さんに押してもらう。用を足し、また呼ぶ。迎えに来てくれた看護師さんが「私、タケダさんが手術室に向かう時、先輩と一緒に搬送した新人看護師なんです」と丸ぽちゃの可愛い顔に笑みを浮かべて話しかけてきた。
 新人にとって、手術室に迎う患者に付き添う先輩に同行するのも勉強なのだろう。私の場合が初体験だったに違いない。折りに触れ一人前になるためのお手伝いができたような気分になったことを懐かしく思い出す。
  西之表市 武田静瞭(73) 2010/9/9 毎日新聞鹿児島版掲載

MRI検査

2010-09-08 21:19:24 | はがき随筆
 「途中で逃げ出さないだろうか」。私の不安をよそに「ベルトは外してください」ときれいなお姉さんは言う。かねてから妻に言われていた。「お父さんにあの閉塞感は無理よ」。「音がしますけど耳栓もあります。アイマスクはどうしますか」。説明が終わり、私は俎上の魚となった。コンコンコン、ドッドッドッ。工事現場の掘削ドリルさながらの音。「20分の我慢」。自分に言い聞かす。「私の脳はリメークされ、アトムやサイボーグになるのだ」。全身を機械に支配され、ウトウトすると「終わりです」。お姉さんの声がした。
  霧島市 久野茂樹(61) 2010/9/8 毎日新聞鹿児島版掲載

憂いな伴侶

2010-09-07 17:39:33 | はがき随筆
 テレビで作家三浦綾子氏を見た。種々の病気を患い、作家活動もままならぬ状態だ。ご主人が代筆される。作家は厳しい口調で「早く書かないと忘れるから」と忠告された。感動。「作家魂は生きている」
 ご主人は従順に執筆される。文章が頭に浮かぶとメモにとる。プロも素人も考えは同じ……。私が右腕が利かない時、主人が代筆するだろうか。良き伴侶として……。憂い作家の夫婦愛、教訓に「爪の垢でも煎じて試してみたい」。
 模範的夫婦像に夢をかけたい。主人を尊敬し信じよう。長い道のり、墓場まで共に歩こう。
  姶良市 堀美代子(65) 2010/9/7 毎日新聞鹿児島版掲載

花火

2010-09-06 21:19:52 | 女の気持ち/男の気持ち


 8月中旬、風がそよりとも吹かない蒸し暑い夜の9時近く、外からポーン、ポーンと規則正しい小さな音が聞こえてくる。ベランダに出てみると、遠くの山並みの空に花火が上がっていた。
 「ああ、花火か……」
 どこから打ち上げられているのか分からないが、毎年見られる美しい打ち上げ花火である。
 じっと見ていると、去年の今ごろはまだ夫は生きていたんだなあと、頭の中で時間をもどす。
 親を介護していた夫から、体調が悪いと電話があった。すぐに姑を預かってもらえる施設を探し、8月31日に検査入院をした。その結果、末期の胃がんで手遅れであることが分かった。ショックで動転する私に代わり、夫が自身で病状説明を聞いていた。それからバタバタと日が過ぎて、ひと月と5日で帰らぬ人となってしまった。
 本人は苦しく辛かったと思うのだが、見舞客には終始笑顔を見せて応対していた。しかし、亡くなる前日に「見舞客は断ってくれないか」と寂しそうな小さな声でそうつぶやいた。
 翌日、血圧が急に下がり、この世を去った。
 映画のタイトルじゃないけれど、名もなく貧しくを地でいったような人生だった。自分を無にして相手をたてるすべをもっていた。私にはまねのできることではない。
 花火を見ながら時の流れの早さを感じた。
  福岡県宗像市 安西純子(60歳) 2010/9/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

言葉パワー

2010-09-06 15:35:30 | ペン&ぺん
 「フォースを使え」
 映画スター・ウォーズに、こんなセリフがあった。この場合のフォースは超能力の意味。主人公が自分でも気づかぬ潜在的能力を初めて発揮するシーンだったか。
 英語で「力」を意味する言葉は、フォースとパワー。フォースは物理的な暴力や腕力に使う。エア・フォースと言えば、空軍。
 パワーは電力などを意味するが、政治的権力も指す。パーティー・イン・パワーと言えば、政権与党だ。
   ◇
 さて、日本の政権与党の代表戦選が間もなく行われる。菅直人代表に小沢一郎元代表。小沢氏が代表選に名乗りを上げた先月26日、本紙は100人アンケートで市民に意見を集めた。小沢氏に対しては「力のある政治家が今こそ必要」との評価があった。この場合の力はパワーだろう。
 菅氏が代表だった民主党と、小沢氏の自由党が合併したのは2003年10月。7年前だ。月刊誌Voice(ボイス)が両氏の対談を掲載した。菅氏は対談で、小沢氏を「日本における最も強いリーダーシップを持った政治家」と持ち上げた。
 対する小沢氏は野党党首だった菅氏に三つ注文を出す。すべての小選挙区に「いい候補」を擁立すること。政権奪取後、必ず実現する公約を二つか三つ用意すること。小沢氏は「どんなに多くとも(公約は)五つまで」と言い添えている。三つ目は、選挙前にシャドー・キャビネット(影の内閣)を打ち出すこと。
 小沢氏の菅氏に対する三つの注文は、具体的で短い言葉に要約できる。「いい候補を立てろ」「公約は三つ」「影の内閣を準備せよ」
 整理部に勤務時、先輩から「見出しの文字数を減らせ。短いほど言葉は強くなる」と教わった。小沢氏をパワフルに感じさせる秘密は、ぶっきらぼうな短い言葉にあるのかもしれない。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/9/6 毎日新聞掲載

ひまわりサロン

2010-09-06 07:33:24 | はがき随筆
 きょうは、ひまわりサロンの日だ。高齢者は楽しみにしている。雷が鳴り、雨が降りそうで心配だ。だが、押し車や歩いて常連の人が集まってきた。みんなで持ち寄りの漬物や駄菓子を食べながらおしゃべりが弾む。健康や病気のこと、家族のことなど雷が鳴っているのも気にせず、おしゃべりだ。きょうはことばや地名についても少し勉強した。予定の時刻をオーバーしたが、雨で帰れない。小降りになったので、残った漬物などを分け合って家路についた。みんなからパワーをもらって「また、なーあ」と。
  出水市 畑中大喜(73) 2010/9/6 毎日新聞鹿児島版掲載

新学期目前

2010-09-06 07:10:31 | はがき随筆
 夏休みも終わりに近づいたある日。習字の宿題がすんでいないと私塾で仕上げる事に。彼は小6の健康な男子なのでちょっとエンジンをかけても動じないと思い、最高作品を仕上げようと注意の数々。最後まで居残った。夏休み中、外国旅行に行き、学校の提出がせまっている。一人になりとうとう下を向いて泣いている。「ごめんね」。あなたをせめて。泣きたいのはこちらも同様。
 カナダのお土産を持って月謝まで払ってくれたのに。再度「ごめんね」と言いたい気持ち。
 帰宅して紅葉模様のビスケットをおいしくいただいた。
  肝付町 鳥取部京子(70) 2010/9/5 毎日新聞鹿児島版掲載

空に泳ぐあひる

2010-09-05 16:19:19 | はがき随筆
 猛暑に降灰のおまけつき。夏場の東風は、鹿児島市街地の悩みのタネだ。花も熱中症でしおれている。ひと雨ほしいところ。夕方たっぷりの水を与えると、みな生き返った表情。高く伸びてる樹木に放水していると、面白い雲を発見。だ円形の雲が三つ重なっている。眺めていると先頭の雲が上に伸び、先の方で曲がった。あっ。「あれ、あひるの首だ」。残る二つは子供かなと、一人はしゃいでいる間にだんだん形が変わり、それぞれの雲は自由に揺れて広がって消えていく。
 木の間を通る風が、ひんゆりと涼しい。
  鹿児島市 竹之内美知子(76) 2010/9/5 毎日新聞鹿児島版掲載

ああ、虫の声

2010-09-03 21:58:44 | アカショウビンのつぶやき
 9月に入っても、日中は34度とジリジリ焼け付くような暑さだが、陽が落ちると涼やかな風が吹いてきた。 
今、戸締まりをしようと勝手口に下りると、かすかに虫の声。
まだか細いけれど、コオロギが鳴いている。虫の声が昼間の暑さを忘れさせてくれた。

 猛暑ももうしばらく、秋が短い鹿児島はすぐに冬…ということになるんだろうなあ。

 虫の声を聞くと忘れられない幼い日の記憶が甦ってくる。

 末っ子の私をかわいがってくれ、我が家の大黒柱だった次兄は、昭和17年8月、太平洋戦争で戦死した。日本軍が最初の大敗を喫したし言われる、ガダルカナル海戦である。
搭乗していた兄の飛行機が被爆し即死だったであろうと戦友が知らせに来てくれたのをかすかに記憶している。

 出身地が東京だったため、兄の国葬は横須賀鎮守府で行われることになった。母と上の姉が上京し、10歳の姉と8歳の私はやむなく家に残された。私たちの世話は近くのおばちゃんに頼み、母と姉は涙ながらに出発した。私たちは母が乗る連絡船が出る古江港まで見送りに行った。

 帰りはとっぷり日も暮れ、寂しさに私はずっと泣きじゃくっていたのだろう。いつもは喧嘩ばかりしてる姉が私の手をしっかり握り続けていたのを覚えている。

 母と別れて帰る列車の中で、私は確かに虫の鳴き声を聞いたのだ。
うるさいほどにいろんな虫の声がした。
いま思うと、走っている列車の中で虫の声が本当に聞こえたのだろうか? と思うのだが、その虫の声は70年近くたった今でもはっきりと耳に聞こえるのだ。

 皇国の母と言われ、最愛の息子をお国に捧げなければならなかった母の悲しみ…。

戦争の悲惨さは、体験した私たちが伝えて行かなければならない! と強く思う。 

by アカショウビン