はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「どうしよう」

2011-02-03 22:03:48 | 岩国エッセイサロンより
岩国市  会 員   井上麿人

 ジョギング中の事故を「ゲリラ」と「ドボン」に分けている。転倒、おう吐、けいれんなどがゲリラ。脳こうそく、交通事故、心臓まひなど助けを必要とするものをドボンとした。

 その日、雪の舞う極寒の朝、ゲリラに襲われた。5㌔ほど走った所で股間に焼き付くような痛み。変色している。「しもやけか?」ではしゃれにもならない。暖めたいが、息は届かずカイロもない。手も氷のように冷たい。

凍傷なら皮膚科だろうか、それとも泌尿器科に行くべきか。どうしよう。天を仰いだその時、雪が顔に当たった。痛っ。


  (2011.02.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

元ペットの最期

2011-02-03 21:53:45 | はがき随筆
 15年余り一緒に暮らした愛猫が逝ってすでに3年が過ぎた。今でも夫婦で出掛けて「ただいま」と勝手口を開けると、留守番をしていた彼女が泣きながら走り出てくる姿が思い出されて切ない。家内もそうだという。
 先日、元ペットの殺処分記事を見て愕然とした。話によると鹿児島でも年間千数百匹の犬猫が殺処分されているとのこと。写真も掲載されていた。最期を予期しえない愛らしい犬たちは、おりの中に収容されて首をかしげている。かつて家族の一員として楽しく過ごした思い出を嚙み締めているようで哀れであった。
  志布志市 一木法明 2011/2/3 毎日新聞鹿児島版掲載

移籍

2011-02-03 21:47:22 | はがき随筆
 母の死をきっかけに、本籍地を熊本県荒尾市から現住所に移した。申請は楽になったが……心の中は複雑で湿っぽい。
 気持ちが晴れないのは、戸籍上とはいえ、生まれ育った古里と縁が切れ、心の支えをなくしたことや、命をつなぐ2人の娘の名前が消えたことにある。
 とはいえ、過去への感傷に浸ってばかりもいられない。戸籍簿の行数が少ないのは寂しいが“めおと”の仲は深まったと悟り、夫婦の名を少しでも長く残して、古里や、先祖、子孫の恩に報いたい──と思う。
 まずは8年後の金婚式を元気で迎えることが目標である。
  出水市 清田文雄 2011/2/2 毎日新聞鹿児島版掲載

チョコと風船

2011-02-02 16:05:07 | ペン&ぺん
 MI5と言えば、イギリスの情報局保安部。ミリタリー・インテリジェンス・セクション5。
 そのMI5が2005年9月に、機密指定を解除した第二次世界大戦中の文書を公開した。そこに「板チョコ爆弾」のことが書いてある。
 製造を計画したのはナチス・ドイツ。甘いお菓子に偽造して英国内に爆弾を持ち込み、破壊活動をするためだ。板チョコ爆弾の中身は鉄製。それを本物のチョコレートでコーティングしていた。端を折ると7秒後に爆発する、とロンドン発の共同電は伝えている(05年9月6日付の毎日新聞朝刊の国際面に掲載)。
   ◇
 爆弾といえば、風船爆弾もある。
 太平洋戦争末期、日本軍が極秘に指令し、実行した。直径10㍍の気球に数十㌔の爆弾をぶら下げる。これを太平洋岸から偏西風に乗せてアメリカ本土まで飛ばす。気球は和紙をコンニャクのりで張り合わせて作られた。世に伝えられる「ふ号作戦」である。
 大本営が放つように命じた風船爆弾は1万5000個。実際に放たれたのは約9000個。気球に入れる水素が調達できなかったためだという。
 米国側の研究では、北米で着弾が確認されたのは約300個。約1000個が到達したとの推計もある。1945年5月には、オレゴン州の村で1個が爆発し、ピクニック中のこどもたちら6人が死亡したという(2010年8月11日付の毎日新聞朝刊・千葉県版など参照)。
    ◇
 甘いチョコレートは子どもたちの好物。風船は遊び道具のはず。戦争はそれを人殺しの道具にしてしまう。
 バレンタインデーが近づく。店頭にチョコレートが並び始めた。
 義理チョコでもいい。平和の味をかみしめて食べたい。
 鹿児島支局長・馬原浩 2011/1/31 毎日新聞掲載

「最期の選択」

2011-02-01 17:38:03 | 岩国エッセイサロンより
  岩国市  会 員   安西 詩代

グループホームに入居する96歳の義母は、食欲がなくなって2ヵ月近くたつ。足がむくみ、肺やおなかにも水がたまるようになった。主治医から昨年11月、「終末期です」と言われた。施設でも最期のみとり方を相談した。

いざという時の救急車の搬送は断った。しかし、本当に最後の苦しみはないのだろうか。救急車を呼ばず、後悔はしないのか。正直、わからない。

義母は早くから日本尊厳死協会のカードを持っていて、「単なる延命治療はしない」と言っていた。食欲はなくなったが、まだまだのどは通る。

1日3回は通えないけれど、夕食だけでも食べてもらおう。スタッフの人では□を開かない。でも私だと、どういうわけか「もういらない」と言いながら完食してくれる。義母ののどが食物を拒否し、通らなくなるまで食べてほしい。

そしてすべての器官が終わりを告げ、ロウソクの火がそよ風でふっと消えてしまうように、息が止まることを析る。

悲しい別れが遠くないことを感じつつ、穏やかな死を、と願っている。そのうち必ず訪れる私の最期のときの理想の死を義母に求めて、そして重ね合わせる。

さあ、午後6時だ。夕食が始まる。自転車のあかりをつけ、義母のもとへ出かけよう。

(2011.01.26 朝日新聞「ひととき」掲載)岩国エッセイサロンより転載

霜の朝

2011-02-01 17:25:07 | はがき随筆
 夜明けの庭から東方に稜線がくっきり見え、ひときわ矢筈岳が高くそびえている。
 朝日に染まった空が刻々と白く明るさを増す。頭上は、ふんわり薄い綿雲が小間切れに浮かび、その間に月が白く高く浮かんでいた。風のない静寂な朝。
 一面、白い粉を振りかけたような霜の菜園を、ザクザクと霜柱を踏みながら歩く。白菜もネギも葉は硬直して触れるとポキンと折れた。イチゴの葉の周りのきざみは白く凍り、キラキラ光ってまるで、宝石のようだ。あまりの美しさに見とれた。
 ふと、空を仰いだ。月も雲も消え澄んだ空が広がっていた。
  出水市 年神貞子 2011/2/1 毎日新聞鹿児島版掲載

夢であいました

2011-02-01 17:06:37 | はがき随筆
 不思議な夢を見た。1月12日の夜明け前だった。
 夢の中の人に「私は寂しいのよ」と話すと、黙ってハグしてくれた。その人は、あの斎藤佑樹投手だった。私は夢に、どっぷりつかっていた。目が覚めたのは、しばらくしてからだ。
 不思議な夢を見るものだと思い、おかしくなった。12日のテレビ番組を見る。各局とも話題の人を取り上げている。「日ハム斎藤投手、開幕1軍目指し始動」「自主トレ開始。地元も熱狂」などもあった。夢との接点はこれだ。やっとナゾが解けた。時間帯に合わせて私はテレビの前にいた。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/1/31 毎日新聞鹿児島版掲載

年賀状読み返し感慨

2011-02-01 16:47:22 | 岩国エッセイサロンより
2011年1月28日 (金)
岩国市   会 員   片山 清勝

 お年玉つき年賀はがきの抽せんが終わった。当たり番号を探しながらあらためて読み返す。大方の人と年に1度だけの情報交換。そこにはうれしい知らせが多い。しかし「これで年賀を失礼します」と書かれた何通かがことしも届いた。

 「年と病でことしは賀状を毎日少しずつ書いた。ことし限りで失礼します」。続けて病状を記された一枚に目が潤む。

 病を押して書かれた一字一字にきちょうめんな性格がしのばれる。1年にはがき1枚だが、何十年も続いたその交流に感謝を込め、お見舞いのはがきを出した。

 メールの普及で、年賀はがきの利用者が減少しているという。外国ではクリスマスカードを送り合う習慣がある。年賀状は新年のあいさつと近況を報告し合い、日ごろの疎遠を埋める大切な日本の文化だと思う。

 私の賀状は、版画からパソコンヘ変わって長い。それがいつまで続くか分からないが、キーが打てる間は続けたい。

 これまでとは違った思いで賀状の整理をしていることに気づく。古希をすぎて初めてのそれがそうさせるのだろうか。

   (2011.01.28 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載