風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

人の操縦者 35号

2007年02月23日 10時25分01秒 | 随想
日本の自動車は優秀なので、目覚しい勢いで増殖している。自動車は設計図に従って、工場で金属やプラスチックや天然素材を原料にして部品を造り、組み合わせて、完成させる。燃料を注入して、エンジンを始動すると動き出す。交通ルールに従って、種々雑多な場所に行くことが出来る。

全ての行為は、「人が」取り仕切っているのである。そして人は、一人一宇宙であるから、行為は一様ではない。その人が操縦する自動車の外形は相似ているが、その活動軌跡は一様でない。

人は、母親の子宮の中で組み立てられて、誕生する。生命の設計図はDNAであり、約220種類の細胞組織から構成されている。食事をして活動をする。しかし生涯軌跡は各人各様である。

自動車も人も「物」としては動くと言うことでは同じであるが、操縦する「者」は違うようである。自動車は何のために造られたか知らないが、自動車を作った人は何のために誕生させたか良く承知している。

同様に人は何のために誕生したか知らないが、造った側は承知している。誰なのだろうか。人が自動車を操縦していることは良く理解できるが、誰が人を操縦しているのか。人を操縦する存在が解かれば、人は何なのか、わたしは何なのか解かる。

誰とは誰なのか。人はその答えを宗教に求める。単神教は一つの神と多くの悪魔がその主で、人の外部に設定する。多神教は多くの神と僅かな悪魔がその主で、人の内部に求める。前者がキリスト教・イスラムであり、後者が仏教である。

人生経験を重ね、年を積み上げ、この疑問が今の大きなテーマになっている。禅の手法で、人を操縦する存在の究明が生甲斐である。人と自動車の大きな違いは、心の存在の有無なのだろう。自動車には心が無いので、人の心に管理される。

心とは何かと言うことになるが、サムシング・グレート(何か偉大なもの)なのだろう。サムシング・グレートの具現された一つは天然自然なのである。その天然自然の何を私が感じ取るかは、秘密の部分のサムシング・グレートの指示(お陰)なのであろう。

お陰さまで生かされている自分なのであるから、具現された仏である地球および宇宙の天然自然を先生に、人ぶらない(万物の霊長ではない)で、人らしく(生物は仲間)活動し、人の道をトボトボ歩く旅人が人である。どのよう旅になるかはサムシング・グレートにお任せである。

多神教の仏教が単神教になった。自動車を廃車すると残るのは人間であるが、人が死ねば残るのは仏である。どこに残るかと言えば、他人の心に記憶として残る。そして忘れられ無に帰する。

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