NHKの番組、心の時代「弱き立場の人々に学ぶ」を見た。
カトリック司祭の本田哲朗神父(65歳)は、大阪市西成区の日雇い労働者が多く集まる地域「あいりん地区=釜が崎」にある古びたアパートの二畳の部屋で生活する。フランシスコ会が運営する「ふるさとの家(教会兼支援施設)」で毎日、労働者たちの相談相手をしている。
本田神父が「釜ケ崎」と初めて出会ったのは、20年前のこと。日本管区長としての義務の視察訪問で「ふるさとの家」を訪れ、気が進まないけれども、夜回りを体験した。道ばたに寝ていた労働者に、恐怖を心に秘め、毛布を差し出すと「おい、偽善者!」と返ってきた。
強烈な屈辱が、それまでの「良い子症候群の聖職者」としての生き方に疑問を喚起し、管区長の任期を満了すると、自ら望んで釜ケ崎に赴任した。「弱きもの」の中に居ながら、聖書の教えを「共に解釈」しながらの翻訳に取り組んでいる。
そして今では、ホームレスに自然に毛布を手渡すと、「弱きもの」は笑顔と共に「ありがとう」と自然に返答してくれる。
共に日雇い労働を経験した仲間が、「神父さん、家族に会う事があるか」との質問である。
「たまには会いますよ」と答える。労務者は自分の住所と電話番号を淀み無く話す。「たまには会いますか」と尋ねると「・・・・・・」
どん底の「弱きもの」の心情はエリート聖職者にも絶対に理解できず、黙って話を聞いてあげるだけだという。個人の問題は自己責任で解決する以外に方法がないようである。
キリスト教の隣人愛の世間解釈は偽善だという。隣人は世間常識なら、むこう三軒両隣、職場の仲間、家族、学友、取引先など価値観を共有するグループの仲良しクラブである。利害の2元的な判断が優先される。
神父は不思議な話をする。
「浮浪者が、暴漢に襲われ徹底的に殴られ、道端に放置される。多くの人が通過するが無視される。ある人が気の毒に思い、車に乗せて病院に運ぶ。医師が治療して、看護士が世話をして、調理師が食事を提供する。浮浪者の隣人は誰なのだろうか」
浮浪者に神様を見た人が、浮浪者の隣人なのだろう。宗教の世界は人間の浅い知識では到底理解できない不可思議な心の領域である。単神教でも多神教でも同じ事で、なんか偉大なものにお任せする以外に方法が見つからない。全人類は皆、母なる地球に住み、空気を吸って、水を飲んで、他の生物の生命を頂いて生きている事は真実である。
カトリック司祭の本田哲朗神父(65歳)は、大阪市西成区の日雇い労働者が多く集まる地域「あいりん地区=釜が崎」にある古びたアパートの二畳の部屋で生活する。フランシスコ会が運営する「ふるさとの家(教会兼支援施設)」で毎日、労働者たちの相談相手をしている。
本田神父が「釜ケ崎」と初めて出会ったのは、20年前のこと。日本管区長としての義務の視察訪問で「ふるさとの家」を訪れ、気が進まないけれども、夜回りを体験した。道ばたに寝ていた労働者に、恐怖を心に秘め、毛布を差し出すと「おい、偽善者!」と返ってきた。
強烈な屈辱が、それまでの「良い子症候群の聖職者」としての生き方に疑問を喚起し、管区長の任期を満了すると、自ら望んで釜ケ崎に赴任した。「弱きもの」の中に居ながら、聖書の教えを「共に解釈」しながらの翻訳に取り組んでいる。
そして今では、ホームレスに自然に毛布を手渡すと、「弱きもの」は笑顔と共に「ありがとう」と自然に返答してくれる。
共に日雇い労働を経験した仲間が、「神父さん、家族に会う事があるか」との質問である。
「たまには会いますよ」と答える。労務者は自分の住所と電話番号を淀み無く話す。「たまには会いますか」と尋ねると「・・・・・・」
どん底の「弱きもの」の心情はエリート聖職者にも絶対に理解できず、黙って話を聞いてあげるだけだという。個人の問題は自己責任で解決する以外に方法がないようである。
キリスト教の隣人愛の世間解釈は偽善だという。隣人は世間常識なら、むこう三軒両隣、職場の仲間、家族、学友、取引先など価値観を共有するグループの仲良しクラブである。利害の2元的な判断が優先される。
神父は不思議な話をする。
「浮浪者が、暴漢に襲われ徹底的に殴られ、道端に放置される。多くの人が通過するが無視される。ある人が気の毒に思い、車に乗せて病院に運ぶ。医師が治療して、看護士が世話をして、調理師が食事を提供する。浮浪者の隣人は誰なのだろうか」
浮浪者に神様を見た人が、浮浪者の隣人なのだろう。宗教の世界は人間の浅い知識では到底理解できない不可思議な心の領域である。単神教でも多神教でも同じ事で、なんか偉大なものにお任せする以外に方法が見つからない。全人類は皆、母なる地球に住み、空気を吸って、水を飲んで、他の生物の生命を頂いて生きている事は真実である。