風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

人生の必須科目 179号

2007年10月09日 11時37分22秒 | 随想
学校の授業には、人間社会で生き抜く必要から必ず履修する必修科目と、個人が興味があり、才能を伸ばす分野の知識である選択科目の2つがある。

風来坊の私の学校は、人生大学旅学部である。旅の移動手段は、列車・バス・船・飛行機・自動車・ロープウエー・ケーブルカー・徒歩などを学び、列車には電車・気動車・機関車に引かれる列車・路面電車等々の詳細を調べ、電車には新幹線・JR・私鉄・第3セクターなどの存在を知り、乗車する為には、乗車券を購入する為にお金が必要である。旅の社会常識を学ぶのが、必須科目である。その中から組み合わせて選択すると見知らぬ土地に到達できる。そんなの常識・ピーヒャラ・ピーヒャラのちびまるこの世界である。

選択科目は、地理地形や歴史文化や風俗習慣や生活食文化や宗教などの知識を総動員して、時々の自分に最適の目的地を決定することである。

社会に貢献する「有用価値論が善」とする社会に反抗して、多くの無駄な行為を積み重ねることが、そして無駄が多ければ多いほど、楽しいのである。そして無駄をした旅の非日常性の行動に対する心の反省が、仕事など社会奉仕の日常生活の活力・動力源となるのが、旅の効用である。無駄が多いのが、遊びであるが、人生は遊びがあると楽しい。遊びは余裕と同義語である。

人の一生を旅に譬えた先人偉人は多くいる。
奥の細道の松尾芭蕉は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり」

宮本武蔵の吉川英治は「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない。我々はこの旅において、さまざまな人と道中道連れになる。それらの人々と、楽しくスムーズにやっていくには、”人生のパスポート”が大切である。それがお辞儀とあいさつである」

自然を愛した若山牧水は「私は常に思つてゐる。我等は忽然として無窮より生れ、忽然として無窮のおくに往つてしまふ。人生は旅である」

哲学者のゲーテは「僕はどうやらこの世における一個の旅人に過ぎないようだ」

旅は自宅を出て、自宅に戻ってくる。思い出がたくさん出来るが、時の流れと共に消えていく。人は生まれて、死んでいく。何にも無いところから生まれて、何も無いところに死んでいく。無と無の間には、無尽蔵の人生が許されるのであり、自己責任で絵を描くことが出来る。絵は夢幻で、すぐに無くなってしまう一瞬の幸せである。逃げた「幸せの青い鳥」を求めて、また旅に出る。心の旅路は人間の必須科目である。

禅に「人生は食って遊んで(糞して)寝て起きて、さてその次は死ぬるばかりよ」の言葉があり、人生の必須科目は食う事・寝る事で、仕事や趣味の遊びの「遊戯三昧」が選択科目である。そして絶対逃れることが出来ない究極の人生の必須科目は「死」なのである。


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