風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

三河岡崎の東照大権現

2010年06月09日 13時01分28秒 | 随想
岡崎市営バスは大型が2台、小型1台を保有する。

虎の子の大型2台の企画「ぐるっと岡崎」に単身参加した。四倍の応募に当選した56名、家康ゆかりの寺社を訪ねる。若く明るい観光大使がご案内。

東の今川義元・武田信玄、西の織田信長・豊臣秀吉、狭間の松平家の徳川家康は人質として東奔西走。今川の血筋の家康の正妻が瀬名姫こと築山御前、息子が信康で岡崎城主。信康の嫁が信長の娘・徳姫。

家康の母・於大の方の実家の刈谷城主の水野家は今川から織田に系列変更。為に今川派閥の広忠は女房を離縁。

桶狭間の合戦の勝利者・信長は娘の旦那と母親を敵将・武田のスパイと断定、今川の武将だった実父で伴侶の家康に殺害を命じる。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。

首塚が、信康は若宮八幡宮に、築山御前は八柱神社にある。

家康の母・於大の方の遺髪が曹洞宗大泉寺の墓所の最高所に埋められた。

父の側室のお久は家康の誕生日と同月同日に忠政を出産、三者の墓のある広忠寺。

家康が8歳のとき勉強した浄土宗法蔵寺は厭離穢土欣求浄土。

昼食は耐震脆弱が故に店仕舞が近い市営桑谷山荘のアジサイ弁当。眺望抜群、三河湾が一望でき、命の洗濯・心はばら色になるが、赤字経営は罪悪なる経済原則に則り廃止するのが市場原理。

一夫多妻、精力絶倫の戦国武将、人間模様の複雑怪奇は恐妻家には理解不能の修羅場。観光大使を話題にすると家庭は修羅場、黙して語らず。

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