毛沢東の思想は、若い頃に生活した農村社会から学んだ、大公無私(個人の利益より公共の福祉を優先する)、大衆路線(農村大衆の意見に政治的指針を求めそれを理解させて共に行動する)、実事求是(現実から学んで理論を立てる)がある。毛沢東の農村重視の姿勢には、猛烈な産業発展が前提である本来のマルクス主義ではありえない前資本主義的状況が強く、平等主義である大同思想に近い部分がある。
1960年の安保闘争は、日本で展開された日米安全保障条約に反対する労働者・学生・市民が参加した日本史上で空前の規模の反戦・平和運動である。過激な全学連に藤本敏夫なる学生運動指導者がいた。しかし頭で考えた理屈で対立する人間との闘争に疲れ、自然との共生の有機農法実践家になった。千葉県南房総鴨川にある農事組合法人鴨川自然王国の多目的農場になって残っている。知床旅情の加藤登紀子が女房で、私と同年であるが、すでに故人である。
藤本敏夫はスターリン主義の唯物論から毛沢東思想に転換したのだろう。それは仏教に似ていることを指摘したのが、禅僧の山田無文師である。
安保闘争で、戦争の無い平和の為に戦争した若者は、百姓に変身した。そして日米安保体制の日本はモノカネで豊かになって一億総平和ボケである。おもちゃ箱を一杯にして、他人に見せびらかしている子供と同じに見える。
しかし今は経済戦争の戦時中なのである。知識で武装した戦士は世界を飛び回り、地球の自然相手に、エネルギー獲得を大命題に格闘している。穏便にして偉大な大自然もついに堪忍袋の緒が切れたのが、中国四川大地震と思うなら、人は謙虚に成る。経済戦争の休戦条約を策定する時期が来ている。
人間の利益より自然の福祉を、自然に畏敬の念を持ち、自然と共生する農耕民族の心の復活が自然との安全保障条約のような気がするのである。
映画「7人の侍」や「荒野の7人」は、自然と共生する百姓が人間の原点であることを訴えている。モノカネが無くても心は豊かで平和なのである。
オリンピックを開催する北京は、四川大地震の惨状を観察したら、開催辞退なり延期なりするのが毛沢東の共産主義なのだろうが、胡錦濤国家主席はマルクス・レーニン主義なのか西洋の資本主義なのか、中国の元首なのか、何者だろうか?
1960年の安保闘争は、日本で展開された日米安全保障条約に反対する労働者・学生・市民が参加した日本史上で空前の規模の反戦・平和運動である。過激な全学連に藤本敏夫なる学生運動指導者がいた。しかし頭で考えた理屈で対立する人間との闘争に疲れ、自然との共生の有機農法実践家になった。千葉県南房総鴨川にある農事組合法人鴨川自然王国の多目的農場になって残っている。知床旅情の加藤登紀子が女房で、私と同年であるが、すでに故人である。
藤本敏夫はスターリン主義の唯物論から毛沢東思想に転換したのだろう。それは仏教に似ていることを指摘したのが、禅僧の山田無文師である。
安保闘争で、戦争の無い平和の為に戦争した若者は、百姓に変身した。そして日米安保体制の日本はモノカネで豊かになって一億総平和ボケである。おもちゃ箱を一杯にして、他人に見せびらかしている子供と同じに見える。
しかし今は経済戦争の戦時中なのである。知識で武装した戦士は世界を飛び回り、地球の自然相手に、エネルギー獲得を大命題に格闘している。穏便にして偉大な大自然もついに堪忍袋の緒が切れたのが、中国四川大地震と思うなら、人は謙虚に成る。経済戦争の休戦条約を策定する時期が来ている。
人間の利益より自然の福祉を、自然に畏敬の念を持ち、自然と共生する農耕民族の心の復活が自然との安全保障条約のような気がするのである。
映画「7人の侍」や「荒野の7人」は、自然と共生する百姓が人間の原点であることを訴えている。モノカネが無くても心は豊かで平和なのである。
オリンピックを開催する北京は、四川大地震の惨状を観察したら、開催辞退なり延期なりするのが毛沢東の共産主義なのだろうが、胡錦濤国家主席はマルクス・レーニン主義なのか西洋の資本主義なのか、中国の元首なのか、何者だろうか?