風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

ジンクスは迷信 447号

2009年01月24日 20時20分08秒 | 随想
ジンクスとは、広く流布されているが科学的な根拠の全くない知識である。

日本語では迷信で、川上憲伸がアトランタ・ブレーブスに入団し背番号11が投手で大成しない番号のジンクスが球団に有る。「ジンクスは壊す為に有る」の哲学に従い大和魂は奮起する。

忌数が日本に有り、死を連想する4、苦と同じ音の9が敬遠される語呂合わせ。キリスト教では13が最後の晩餐に参加した13人で嫌われる。

勝男武士=鰹節は織田信長の戦勝祈願、二升五合は「ますますはんじょう」の商売繁盛の語呂合わせ。 49の読みが「しじゅうく」(始終苦)は「死ぬまで苦しむ」の言霊。

言葉は人の心を伝える道具。言葉の暴力で潰れる弱い人間、言葉の抱擁で立ち直る弱い人間。言葉に影響される一喜一憂、喜怒哀楽の人生。

タコと梅の実・ゴボウとアユ・マツタケとアサリ・スイカと天ぷら・そばとタニシ・アズキご飯とフグ・タケノコと黒砂糖・かき氷と天ぷら・キュウリとこんにゃく・卵とニンニク・ウナギと梅干し・カニと柿・豚肉とタニシ・馬肉と山芋・ニラとハチミツ・ハマグリととうもろこしは食い合わせの弊害。その因果関係の究明がライフワークになる。

言葉で表現される迷信・ジンクスは無用の長物で、信用するに足らない戯言である。

禅は言葉を否定する以心伝心の強い心。拈華微笑。真の教えは言葉で伝えられない。

無門関40則は擢倒浄瓶。百丈和尚は住職選抜試験をした。床に水差しを置いて言った。
「これを水差しと呼んではいけない。では何と呼ぶか」

副住職は「まさか棒切れと呼ぶわけにはいきますまい」

禅寺の典座は台所を担当する人間であるが、水差しを蹴飛ばして、台所に戻ってしまった。そして百丈和尚はこの男を合格としたのである。

言葉に踊らされる弱い人間、無言で己の使命に没頭する強い人間、禅で推奨する人間像である。不言実行、大切な哲学の一つである。

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