2009年3月29日(日)に区切り遍路旅の為に、四国へ2回分残っている「青春18きっぷ」で行く。老人で満ち溢れる電車は、格安きっぷで青春を謳歌する仲間である。65歳で会社員を卒業した家族からの時の「吉田かばん」の旅行リックを担いでる。
息子の嫁の送迎で岡崎駅を6時30分出発。米原駅・姫路駅・相生駅で乗り換え、昼過ぎに岡山駅、瀬戸大橋を通過して多度津駅に13時52分下車する。途中の神戸で見た明石大橋は車が数珠繋ぎなのは、高速道路料金千円効果である。人は金儲けに群がるか、バーゲンセールに引き寄せられる。
徒歩で15分の77番札所道隆寺を訪れ、70分歩いて76番金倉寺を巡拝する。逆打ちとなり、遍路姿の人と挨拶を交わし、道の案内を求める。本尊は両寺共、薬師如来で真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」
近くの無人駅の金蔵寺駅を16時4分に出る1両のジーゼルカーで、善通寺駅の次の琴平駅に16時15分に到着、ホテルにチェックインして荷物を部屋に置き、琴平駅で明日から有効となる「JR四国誕生日きっぷ」をクレジットで購入し、金刀比羅宮をお参りする。象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮まで785段。航海の守り神で、漁師など海事関係者の崇敬を集め、歴史を感じさせる燈篭が多く残る。店仕舞を始める土産物屋、参拝を済ませ混雑する階段の雑踏を掻き分け登る人間は我一人。孤独で高齢の体力には酷な階段を、青春の心で、若者の2倍の時間を消費して登り切る。まだまだ老人扱いは勘弁頂く。太平洋ひとりぼっちの単独航海中毒の堀江謙一が、平成8年ガラパゴス諸島を領有する南米エクアドル(スペイン語で赤道)から単独太平洋横断したアルミ缶リサイクルのソーラーパワーボート「モルツマーメード」が奉納してある。全長9.5m、幅1.6mの船を、あの階段経由で担ぎ上げたものである。信心は無限のパワーを引き出す。この斜面に階段を設置し、店舗展開したのも信心であり、発起人は「五人百姓」で飴を売っている。日が落ちた参道はすでに人影も疎らで、店を閉めている。素泊まり専門のホテルには食堂がなく、コンビニの無い街。唯一営業している駅のキオスクで、日清のカップヌードルと発泡酒を購入し、四国最初の晩餐とする。金が有ってもモノが手に入らない恐怖を体感した。本日の消費金額は僅かであるが、心豊かである。
3月30日(月)は上天気である。特急のグリーンで3日間、終日乗り放題で一万円はJR四国のバースディーきっぷを購入、四国遍路旅に交通経費の削減と遍路効率を計算するエコノミック・アニマルの職業病は癒えていない。
琴平駅6:40⇒10:37平田(39番延光寺)11:58⇒12:04宿毛駅12:22→13:05平城札所(40番観自在寺)14:02→14:40宿毛駅16:09→17:27清水バスセンター17:27→17:59足摺岬
宿を後に、徒歩5分の駅で、特急「しまんと1号」のグリーン席に納まる。18席においらが一人ぼっち。日陰の吉野川渓谷の橋梁を渡り、隧道をくぐり、曲がりくねった単線の線路を列車は排気ガスとエンジンの響きを撒き散らして懸命に走行する。大歩危界隈の山の頂は朝日が当たっている。山の斜面の上部に人家のある不思議。太陽を求めて斜面をよじ登ったのである。集落のある斜面は日の射す場所である。日陰者になりたくないのが、人間の本能で、太陽は尊敬に値する。
桜満開の39番延光寺の最寄り駅が平田である。片道2km程度を徒歩で往復する。土佐の国の最後の札所、老眼と飛蚊症の悩みがあるので、目洗いの井戸の霊験にすがる。本尊はお薬師さん。
土佐くろしお鉄道で終着駅の宿毛に向かう。40番観自在時は「菩提の道場」伊予の国・愛媛県の最初の札所で、宇和島バスで宿毛駅から790円の平城札所前で下車すると直ぐに到着する。歩き遍路なら26km・9時間ほど掛かる長丁場であるが、文明の利器の電車とバスは早く届けてくれるから、楽過ぎてご利益が薄いかもしれない。両寺共に本尊は薬師如来である。昨日から連続4回、お薬師さんに無病息災をお願いする。朝食抜きで腹ペコのおいらは、食堂が無いので、近くの雑貨屋で宇和島名物「じゃこ天」を4枚購入し、寺の境内で貪り食ったが、美味だった。「じゃこ天」は雑魚のすり身を天婦羅(唐揚げ)にした素朴な郷土料理である。空腹は何でも美味しく頂ける調味料である。
観自在寺からバスで宿毛に戻り、土佐清水行きの大型バスで深青の宿毛湾岸の国道321号を南下、土佐清水バスセンターで中型バスに乗り換え、海の青さの際立つ土佐湾側の窪津漁港経由の細い道で、明朝にお参りする38番金剛福寺の足摺岬に到着、1時間30分、80km移動、2520円の運賃である。文明の利器は有り難い。今宵の宿「足摺八扇」で漁師料理を頂く。鯛の塩焼き・海老とホタテの焼き物・鰹のたたき・ハマチの刺身・サトイモと人参と大根の煮物・胡瓜とジャコとわかめの酢の物・人参とピーマンと茸とカボチャと豚肉の陶板焼き・ハマグリの吸い物と盛り沢山。主人夫婦との雑談でビールを飲む。今は近代ホテルに客を取られ、息子の嫁は東京人なので、わしらの代で店仕舞と女将さん。鮪漁船の機関長の主人は高給取りだった。クエ漁に転じ、日に3匹釣り3ヶ月「食え」た話を語り、昔を懐かしむ。本日、おいら独占の民宿は静寂が支配する。ほろ酔い気分と旅の疲れの為、長時間の睡眠を開始する。
旅の3日目は足摺岬(38番金剛福寺)8:50→10:35中村駅11:11⇒南風16号⇒14:57多度津駅15:23⇒しおかぜ15号⇒15:39観音寺(68番神恵院・69番観音寺)16:40⇒しおかぜ17号⇒17:45今治駅17:57⇒18:07大西駅
早朝に宿を発ち、亜熱帯植物の繁茂する遊歩道を散策する。80mの断崖に立つ足摺灯台、悠久の時間の波浪が穿った白山洞門。人は文明の利器である土木機械やダイナマイトで岩を短時間に穿ち、隧道を造り高速道路網を整備する。人間は自然より優れているのだろうか。ジョン万次郎の銅像。明治維新の頃、土佐清水市中浜の若い漁師の中濱万次郎。漁師仲間と共に遭難し、奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着し、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される。ホイットフィールド船長の養子となって一緒に暮らし、西洋文化を習得して帰国した。勝海舟船長の咸臨丸に乗船して再度アメリカに渡り、通訳として活躍したのである。観自在・観世音菩薩は補陀落浄土にお住まいで南方彼方にある。四国最南端の足摺岬の亜熱帯植物のジャングルに観音浄土を創造した38番札所の金剛福寺。昔の狂信的な僧侶の中にはより南方の浄土を目指して太平洋に漕ぎ出し、行方不明に成ったという。現在でも80mの断崖から海に飛び込み、阿弥陀様の極楽浄土に成仏したりするが、寺の現世の浄土に身を置くと、即身成仏でき、天寿を全うできる。
足摺岬からの帰路は細い道の為に、中型バスは宿毛湾側の中浜経由で清水バスセンターを通過して、土佐湾を右手に見て、清流四万十川を渡ると中村である。昨日の経路と合わせると、足摺半島に8の字を描く。1977年の選抜高校野球で準優勝の中村高校は部員12人で二十四の瞳と言われた。
昨日乗車した「しまんと1号」が中村駅で折り返す「南風16号」の土佐くろしお鉄道の女性車掌は昨日と同じ美人で、窪川まで案内して下さる。グリーン乗客はおいら一人である。遠くの道をお遍路さんが、間隔を空けて5人歩いている。足摺岬から平田札所を目指している。早春に阿波の「発心の道場」の1番札所を発つと桜咲く頃に、土佐の「修行の道場」から伊予の「菩提の道場」に入る。青葉が萌えいずる頃、讃岐の「涅槃の道場」で心の遍路旅は終了する。
土佐佐賀は鰹一本釣りで日本一の漁港だが、駅から見えない。太平洋の荒波に浸食された土佐の海岸線は険しく、山が防波堤になっているから、海を見ることは希である。若井駅手前のループ・トンネルで高度を上げ、窪川駅に到着する。JR四国にバトンタッチ、土讃線を走る。波川駅は昨年の遍路旅の時、軽トラックのおっさんと別れた場所である。高知駅は新装なって駅前が整備されている。多度津駅で土讃線から予讃線に乗り換える。到着した観音寺の滞在時間は僅かである。駅前の案内所で妙齢のご婦人にバスの時間を尋ねると、2時間後で今治の宿の夕食に遅れる。途方に暮れていると、地獄で仏、案内人が自転車を貸して下さる。しかししっかり100円を請求する市役所の職員である。人は美人の顔と別の厳しい顔を持っている。68番神恵院と69番観音寺は並んでいる。お参りして、ご朱印を頂き、懸命に自転車を走らせ、しよかぜ17号に間に合った。今治駅で乗換て大西駅前のビジネスホテル菅の家の夕食を頂き、1500円の食事代が無駄にならなかった。中村駅から今治まで通常運賃なら1万円を越える距離を3333円の誕生日きっぷで移動した事、おいらの経済観念は衰えていない。「心の旅路のお四国遍路に経済理論を持ち込むのは邪道で、まだまだ修行が足りない」と自省することが、遍路旅の功徳である。そして残りの札所を巡礼する為に、数度、瀬戸大橋を渡ることになる。その夢を実現すべく日々の生活を質素倹約しなければならない。苦しみの後に楽しみがある。ドリカム、夢は必ず実現する。
2009年4月1日(水)の天気は曇り。再就職の息子の三男坊が役所務めを始める日。本日の旅程は過酷な20km程の歩行である。JR四国の誕生日きっぷの期限切れの日でもある。
大西駅6:20→7:20(54番延命寺)7:30→8:30(57番栄福寺)8:45 →9:30(58番仙遊寺)9:50→11:10(59番国分寺)11:30→12:10伊予桜井駅12:41⇒12:54壬生川13:11⇒14:08観音寺駅16:09⇒16:51児島駅16:54⇒17:29岡山駅
延命寺への道は遍路地図と同じで、左右に溜池が存在する。夏の水不足に対する人類の叡智である。弘法大師空海が満濃池を修復して以来、池の水が人間に豊かな生活を保障した。40分程で到着した延命寺の本尊は不動明王。人間の悪の心を厳しく糾弾する。「なまくさ まんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらたかんまん」
55番南光坊と56番泰山寺は以前にお参りを済ませているので、ショートカットして57番栄福寺を目指して、整備された県道155号を歩くが、車も人も極めて少ない。小雨が降るが、春雨だから濡れて行こう。本尊は阿弥陀様でインド語は「おんあみりたていせいからうん」中国語は「南無阿弥陀仏」日本語は「阿弥陀様よろしくお頼みします」
門前の唯一の土産物屋で200円の手作りアイスクリームを食べる。主人が「どちらから来なさった」と問い「岡崎から」と答える。「岡崎の六名の藤田某さんをご存知か」と語り「知らない」と答えるほのぼのとした会話。どんなご縁か知らないが、三河湾南知多在住の石の鳥と流木の造形作家のにわぜんきゅうの絵のお土産がたくさん並んでいる。この店には愛知県からの客が多い不思議。おいらも愛知県人。
栄福寺から58番仙遊寺の遍路道は素晴らしい自然歩道である。溜池・犬塚池の堰堤を20m登ると、池の畔の歩道である。程なく山道に入り、急坂を登る。歩道の近くまで採石か、採土のパワーシャベルが接近している。現世利益を空海さんは奨励するが、遣り過ぎの印象が強い。伝統の遍路道を守るのが文化である。最後の100mの急階段、老人には過酷である。時間を掛けて、苦しんだ末の寺からの瀬戸内海、しまなみ海道の吊橋、春霞の今治の町並みの景色。文字で表現不能である。自身で苦しんだ末の仙遊寺のご本尊・千手観音菩薩のご褒美である。「おんばざらたらまきるく」
人は何故、苦しい遍路旅をするのだろうか?お釈迦様の一切皆苦の人生を追体験するためだろうか?
落ち葉積もる参道を駆け下り、田畑の道、街を歩き、踏み切りを渡り、6km先の59番国分寺に辿り着く。朝から20km以上を踏破した満足感。ご本尊の薬師如来に「おんころころせんだりまとうぎそわか」の真言を唱える。今治はタオルの町である。門前のタオルの刺繍工房を見学、良い雰囲気の女性のセールストークに魅せられ、1本300円のタオルを2本500円で購入した。美人の女性の関心を得る為には経費が掛かる。
正式な遍路は納札を納める。昔は木札を打ち付けたが、今は紙である。最初は白色であるが、5回緑、8回赤、25回銀、50回金、そして100回になると錦という織物のような生地の納札を使用する。店先に錦の納札が飾ってあるが、プロの僧侶のモノと説明する。色の選択は自己責任で購入可能であるが、色に相応しい顔・立ち居振る舞いが伴わないと価値は無い。おいらは遍路作法に従わないから、納札しない。
小雨降る道をトボトボと伊予桜井駅への2kmを歩く。無人駅には学生が数人電車を待っている。12時41分まで小半時、自販機のコーヒー一杯で只管待つ。上下線の列車が同時刻に発車するので待ち人の学生が多いのである。
壬生川駅で特急に乗り、観音寺駅に行く。天気は回復し春の太陽が輝いている。前日に阿弥陀様の68番神恵院と観音様の69番観音寺のお参りは済ませたが、時間が無くて行けなかった琴弾八幡宮から有明浜の「寛永通宝」の銭型砂絵を見学する。「銭形を見たものはお金に不自由しない」との伝説が流布されているが、本日はエイプリル・フールである。
観光案内所に自転車を返却し、宇和島発のアンパンマンジーゼル特急のしおかぜ22号でJR四国の終着駅の児島駅で岡山駅行きの普通電車に乗り換え、JR四国の誕生日きっぷは適用外なので運賃450円支払う。
岡山駅前の商店街でとんこつラーメンと餃子及びビールを頂き、ビジネスホテルオカザキにチェックイン、過労の為、直ぐに就寝することにした。過酷な日程をこなしたおいらはまだまだ青春している。青春とは物理年齢では決して無い、心の有様である。
4月2日(木) 岡山駅⇒新大阪→千里中央駅(太陽の塔)→茨木駅⇒岡崎駅
晴れているが寒い日である。今日は格安旅の最終日である。春の青春18きっぷも5回目で最終回である。次の遍路は夏休み及び10月の鉄道記念日の頃になる。瀬戸大橋線の岡山駅構内放送は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」で始まるが、岡山駅の山陽線の駅音は「線路は続くよどこまでも」である。線路工夫の過酷な労働を歌った賛歌である。I've been working on the railroadが原題のアメリカのフォークソング。
車窓からの瀬戸内海を期待して、赤穂線経由にしたが田園地帯を走るのである。日生(ひなせ)駅が唯一、海と接点があり、目の前が港で小豆島にフェリーが就航している。職業人は男が常識の時代の若い女性の大石先生と12人の児童との心の触れ合いの「二十四の瞳」の舞台である。赤穂浪士の故郷、播州赤穂駅で姫路行きに乗り換え、姫路から新快速で新大阪で下車。万博公園の「太陽の塔」に再会するのが目的である。EXPO70は日本で最初の国際博覧会であり「人類の進歩と調和」がテーマだった。その客寄せパンダが岡本太郎の「太陽の塔」。常識を覆す前衛芸術でおいらは気に入っているが、牛乳瓶のお化けと酷評する人もいる。人間中心の唯物思想の「人類の進歩と調和」は、現在の環境破壊や心の崩壊現象の原因となったが、当時は熱狂したものである。その反省から、2005年の愛・地球博は「自然の叡智」だった。過去の黒い顔、現代の白い顔、未来の金色の顔が作者の思いだったが、現在の解釈は、金色に光り輝く過去、白けきった現在の世相、暗黒の未来を象徴している様に見えるのである。周りの構造物が無くなると巨大に見え、今は無き古き良き時代の記念碑である。見る角度で様々な景観を提供する「太陽の塔」を単なるモノでなく、自然そのものと思うオイラは、岡本太郎の思想をエコヒイキしている。そして芸術は爆発だ、心が爆発して清々しいのである。科学技術の最先端のエクスポランドのジェットコースターは安全第一の心の部分の欠落で、尊い人命を奪ってしまった。モノが進化しても、人の心が注入されなければ結局は唯の鉄の塊である。停止しているあの遊具は其の事を語っている。回らない観覧車は西洋科学主義の墓標に見える。満開の桜の下で、老若男女が春の到来を喜んでいる。日本庭園の樹木は40年経過して大きく成長している。この多種多様な樹木こそが今でも通用する博覧会のテーマだったように思う。自然を破壊し人間の為の道具を開発して豊かであると錯覚している人間は、自然に学び、自然に帰ることが心の豊かさを獲得する。
バスでJR西日本茨木駅に行き電車に乗ったが、風が強く徐行運転の為、米原駅到着が10分遅れた。接続予定の別会社であるJR東海の電車は待つことなく走り去っていた。企業は利己的なのである。ホームに満ち溢れる老人達は青春18きっぷの仲間だろう。列車本数の極めて少ない米原・大垣間は、青春18きっぷの有効期間は満員になる。JR東海の新幹線誘導の営業政策である。大垣からの2346F快速電車は見習運転手・指導運転手そして車掌、すべて女性である。肉食女性と草食男性の現代日本の世相を垣間見た。2兆円の定額給付金の一部で、すべての公共交通機関の運賃を年中格安にすれば、旅人が増加し、全国的な景気浮揚策となりうる。満員電車が其の事を教えてくれる。心の時代は旅の時代で、旅は人生の教師である。そして春の旅は完結した。