吉備の国の備前の岡山県側の下津井瀬戸大橋は吊橋、櫃石島橋(ひついしじまばし)と岩黒島橋は斜張橋、与島橋はトラス橋、吉備の国の備前と四国は讃岐の連絡大橋だから北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋は2連の吊橋。六橋を総合して瀬戸大橋である。
平成10年7月9日にラスト・ランした、東京駅発高松行き寝台特急(ブルートレイン)「瀬戸」は、会社の琴平出張の時、飛行機恐怖症の為、就業規則を変えさせ乗車した。今は「サンライズ瀬戸」と改名され、車両も新型の寝台電車である。
日本列島の四島は、1942年(昭和17年)に関門トンネルで九州、1988年(昭和63年)に、27年の建設期間の青函トンネルで北海道、10年の歳月を掛けた瀬戸大橋で四国と相次いで、鉄道で繋がり、一本列島になった。
1954年(昭和29年)の青函連絡船の洞爺丸と1955年(昭和30年)の宇高連絡船の紫雲丸の事故が建設動機だった。
瀬戸大橋は都合4回往復し、まだまだ渡る。最大海抜70mの総延長13kmの連続高架橋上を時速110kmで通過する。手に汗握る初体験も回数を重ねると、信頼に変わる。現在は狭軌のレールが橋の中心にあるが、新幹線の標準軌を増設できる橋の構造は頑丈で1兆1338億円の建設費である。青函隧道は54km、9000億円の資金を要した。
経験で克服した瀬戸大橋の高所恐怖症、今度は青函トンネルの閉所恐怖症に挑戦する宿題が出来た。時間が有るが、金が無い心境は、青春18きっぷにすがる以外に方法が無い。新幹線が青森まで延伸すると、JR線が消滅し、迂回する経路が延びる。急ぐ必要がある。
死の恐怖が、高所恐怖や閉所恐怖の精神病になる。間もなく天寿を全うすると思うと消滅する。
北海道は26歳の時、125cc原付バイクで訪ねた経験がある。金を工面して飛行機で訪ねることは可能であるが、それでは海底トンネルを通過できない。苦しんで到達する北海道の景色は殊の外、美しい事だろうと思う。
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