プーチンの戦争、コロナ禍、地震頻発、大企業の合法悪徳商法の蔓延、祖国の明るい未来が見えず、終末論を信じ、生後の一大事を真剣に考えだしたのである。
昨日から今日、今日から明日へと留まることのできない旅をするから、人生は旅に例えられる。
目的地のない旅は放浪、遊びだろう。親鸞聖人報恩講や浄土宗の僧侶の法話を拝聴し、阿弥陀様の極楽浄土を人生旅の目的地に定めるのも悪くないと思うようになった。
お釈迦様に成ろうとする聖道門と違い、「駄目な私を助けてください」と何か偉大な存在にすがる心は軟弱な考える葦の結論なのだ。
浄土門には融通念仏宗、浄土宗・浄土真宗、時宗があるが、京都知恩院、東西本願寺、藤沢遊行寺は参拝したが、大阪平野の大念仏寺を今月中旬に奈良斑鳩法隆寺の叔父一周忌に高齢の叔母を訪ねる時に訪れようと思うのである。
これで日本仏教13宗の本山を全て奉拝したことになるが、それを誇るより仏道の実践が大事だろうが至難である。