風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

お疲れ様とご苦労様 358号

2008年09月06日 11時35分04秒 | 随想
「ご苦労様 福田総理」
この表現をしたコラムに批判があった。目上には「お疲れ様」で「ご苦労様」は無礼である。世間常識を無視する不心得者の烙印を押す。

総理大臣は目上なのだろうか。
確かに国会議員の視点なら頂上にいるから目上の存在だろう。「お疲れ様 福田総理」が正解になる。地位に対して言っているのであり、福田康夫の人間に対するねぎらいの印象が無いのである。   

国民の目線なら、血税で雇っている公僕だから使用人に過ぎない。「ご苦労様 福田総理」は妥当な言葉である。しかし本当に福田総理が国民に対する苦労をしたかどうかは、評価が分かれるだろう。

この論争の根拠は、封建社会の殿様と家来の関係の「皆の者、ご苦労であった」説から導き出された。江戸時代には目上の殿様は目下の家来に対して「大儀であった」と述べたようである。根拠の無い言葉なのである。

そして終戦後の西洋物欲主義の開発過程の肉体労働の生産性を上げるために作られた上意下達の階級社会で、下のものが上のものの労をねぎらう、その行為自体が無礼であるとする哲学の表現である。お疲れ様は組織に対する忠誠を試す踏み絵なのである。

国民に有益な仕事の無かった福田総理の労をねぎらい、ぶっ壊れた自民党の総裁に「ご苦労様」は確かに痛烈な皮肉となり無礼である。

目くじら立てて、目尻を吊り上げて言葉の使用法の善悪を議論するより、心の発露なら「ありがとう 福田康夫様」や言葉が無ければ黙って目礼すればよい事だろう。道具にすぎない言葉に振り回されて、人の心が留守になると可笑しな事になる。

麻生太郎は「景気回復が最優先課題」と宣伝するが、景気の恩恵を受けた記憶の無い私は誕生以来筋金入りの貧乏人である。言葉に振り回されてはいけない。景気回復が年金増額と同義なら人道上許される。

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