昭和17年に新聞統制で名古屋新聞と新愛知新聞が合併した中日新聞が親会社のドラゴンズ、名古屋新聞のDNAが名古屋のしがらみを嫌って落合監督を招聘し、新愛知新聞の亡霊は名古屋のしがらみを復活して名古屋の英雄・高木監督にしたという複雑な話。
昭和29年に名古屋ドラゴンズから名鉄が撤退し中日ドラゴンズになった。そして日本シリーズで西鉄を破り日本一になった。
選手経験がなく日本シリーズで優勝し、優勝した直後に監督を退任した唯一の例の天地俊一監督。
そしてオレ流・落合博満が白井オーナーに平成19年11月1日に北海道日本ハムファイターズを四勝一敗で破り実に53年ぶりの日本一をプレゼント。この試合で山井大介と岩瀬仁紀による参考記録ながら継投での完全試合を達成。勝負の厳しさ、古い義理人情を超える新しい義理人情を学んだ。
歴史問題が残る名古屋ではしがらみを打破する発想が不可欠、プロ野球の怪物、東京ジャイアンツを超えるなら中京ドラゴンズが最強(西京)、中日新聞の原点は中京日報だった。