昭和18年鳥取地震、19年東南海地震、21年南海地震と共に終戦前後の四大地震の20年の三河地震による三ヶ根山と遠望峰山に挟まれ広い谷の幸田町深溝(ふこうず)から形原町音羽に存在する断層が蒲郡市一色の宗徳寺の裏山に保存されている。
昭和19年に名古屋で生まれ三歳まで東海地方を戦火を避けて放浪していたから遭遇し、信州善光寺の門前町に移住した。
三つ子の魂古希まで、地震に対する恐怖は常人を超える。学生時代には新潟、社会人では阪神淡路、老後は東日本大震災。
自然の脅威は限定的であるが、万物の霊長の誤解による人災は祖国を壊滅させる究極の恐怖である。