横浜にいる長男から父の日プレゼントの希望を聞かれた。好意に甘えて、川崎市の岡本太郎美術館で販売している、「ミニチュア太陽の塔」を所望して、宅急便で届けてくれた。書棚の中央に飾ってある。太陽の塔は1970年の大阪万博のシンボルタワーで、平面絵画及び立体オブジェ芸術家・岡本太郎の代表作である。
岡本太郎言行録に「芸術は爆発だ」がある。長期間、考え・悩み・苦しみ・勉強・精進努力の結果の作品は、テーマをとことん追求する人間の魂の叫びである。「竹の声に道を悟り(香厳撃竹)、桃の花に心を明らむ(霊雲桃花)」中国の昔の禅僧と同じ心境なのだろう。
太郎は晩年に、三浦雄一郎の指導で、スキーの虜になり、信州野沢温泉で楽しんだ。無鉄砲で負けず嫌いの太郎は、初体験で上級者の斜面に挑戦し、見事に転倒した時の言葉がある。
「決意して、滑りはじめ、歯を食いしばって突っ込んで行った。とたんに、ステーンと、凄い勢いで転倒した。頭から新雪の中にもぐってしまい、何も見えない。だが嬉しかった。何か自分が転んだというよりも、ぼくの目の前で地球がひっくりかえった、というような感じ。地球にとても親しみを覚えた」
そして太郎の芸術論は「こんにちの芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない。と、私は宣言します。それが芸術における根本条件である、と確信するからです」 太郎の芸術論なら私は地のままで良いのである。私は自作のガラクタと言われる朽木の作品を数点所有しているのであるが、太郎の遺伝子が存在したらの話であるが、将来高い評価を受ける可能性を秘めているのである。しかし太郎の言葉はパラドックスである。
縄文火焔土器の魅力に再注目した人物が太郎である。火焔土器は縄文時代中期を代表する、燃える炎をイメージした形状の土器を指し、信濃川流域の新潟県および福島県西部で出土することが多い。土器を芸術作品として評価したのは、太郎の功績である。
縄文時代は、約1万年前である。遺物としては煮沸器具である縄文式土器が、竪穴式住居が多くみつかっており、集落を構成、縄文人は盛んに弓矢を使って狩猟活動をしていた。青森市の三内丸山遺跡の調査により、長期間にわたって定住生活をしていたことや、クリ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していたことが分かり、巨大木造建築物も発見された。縄文人は文化人である。
この時代の急激な環境の変化である温暖化は、北海道を除いて列島の大部分が落葉広葉樹林と照葉樹林で覆い、植生の変化は、マンモスやトナカイ、ナウマンゾウやオオツノシカの生息環境には最悪で、動物相は変化し、狩猟が容易なシカやイノシシに変わる。
長い歴史が日本を生物の生育環境が良好な国土にし、華麗で豊かな物文明の頂点にある。しかし強欲で夢見る人間集団は、数百億年の地球活動資産の蓄積である化石燃料を略奪浪費して、資源の枯渇、温暖化など環境が激変している。遠い遠い将来、日本は熱帯に成り、頭でっかちで軟な文化人が消滅、象・キリン・ライオン・ヒョウなど猛獣と熱帯植物とアフリカ土人の狩猟時代になるのである。人類の祖先はアフリカの一人の女性「ミトコンドリア・イブ」であるという学説があるから、先祖に還り、そこから歴史が始まる。歴史は繰り返すのである。
岡本太郎言行録に「芸術は爆発だ」がある。長期間、考え・悩み・苦しみ・勉強・精進努力の結果の作品は、テーマをとことん追求する人間の魂の叫びである。「竹の声に道を悟り(香厳撃竹)、桃の花に心を明らむ(霊雲桃花)」中国の昔の禅僧と同じ心境なのだろう。
太郎は晩年に、三浦雄一郎の指導で、スキーの虜になり、信州野沢温泉で楽しんだ。無鉄砲で負けず嫌いの太郎は、初体験で上級者の斜面に挑戦し、見事に転倒した時の言葉がある。
「決意して、滑りはじめ、歯を食いしばって突っ込んで行った。とたんに、ステーンと、凄い勢いで転倒した。頭から新雪の中にもぐってしまい、何も見えない。だが嬉しかった。何か自分が転んだというよりも、ぼくの目の前で地球がひっくりかえった、というような感じ。地球にとても親しみを覚えた」
そして太郎の芸術論は「こんにちの芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない。と、私は宣言します。それが芸術における根本条件である、と確信するからです」 太郎の芸術論なら私は地のままで良いのである。私は自作のガラクタと言われる朽木の作品を数点所有しているのであるが、太郎の遺伝子が存在したらの話であるが、将来高い評価を受ける可能性を秘めているのである。しかし太郎の言葉はパラドックスである。
縄文火焔土器の魅力に再注目した人物が太郎である。火焔土器は縄文時代中期を代表する、燃える炎をイメージした形状の土器を指し、信濃川流域の新潟県および福島県西部で出土することが多い。土器を芸術作品として評価したのは、太郎の功績である。
縄文時代は、約1万年前である。遺物としては煮沸器具である縄文式土器が、竪穴式住居が多くみつかっており、集落を構成、縄文人は盛んに弓矢を使って狩猟活動をしていた。青森市の三内丸山遺跡の調査により、長期間にわたって定住生活をしていたことや、クリ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していたことが分かり、巨大木造建築物も発見された。縄文人は文化人である。
この時代の急激な環境の変化である温暖化は、北海道を除いて列島の大部分が落葉広葉樹林と照葉樹林で覆い、植生の変化は、マンモスやトナカイ、ナウマンゾウやオオツノシカの生息環境には最悪で、動物相は変化し、狩猟が容易なシカやイノシシに変わる。
長い歴史が日本を生物の生育環境が良好な国土にし、華麗で豊かな物文明の頂点にある。しかし強欲で夢見る人間集団は、数百億年の地球活動資産の蓄積である化石燃料を略奪浪費して、資源の枯渇、温暖化など環境が激変している。遠い遠い将来、日本は熱帯に成り、頭でっかちで軟な文化人が消滅、象・キリン・ライオン・ヒョウなど猛獣と熱帯植物とアフリカ土人の狩猟時代になるのである。人類の祖先はアフリカの一人の女性「ミトコンドリア・イブ」であるという学説があるから、先祖に還り、そこから歴史が始まる。歴史は繰り返すのである。