風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

柳は緑・花は紅・味噌は味噌・糞は糞 295号

2008年06月07日 14時38分13秒 | 随想
芳醇な香りのするお味噌と、悪臭のする糞は、富士山の頂上から望遠鏡で見ると同じ褐色の塊であるから、味噌も糞も同じものであると推論することを『味噌糞』というのである。味噌は人間の口から入るもの、糞は肛門から出るものである。近くで観察すると違いは歴然としている。

味噌は冷蔵庫や倉庫に保存し、糞は便所で集め、水洗して下水道に流すなど隔離するのが常識である。人間の有用価値二元論の善悪や美醜の区別を付けず、同等のモノとして扱うと、社会は混乱して暴動になるだろう。社会常識は法律であるから、法治国家の国民は守る義務がある。

法の番人の公務員が深夜帰宅するタクシーの運転手から接待を受ける話は、税金横領のマネーロンダリングで、昼間は優秀な公務員の味噌が、無駄な残業で消化され、タクシーの中で糞になった。豚箱に隔離しないと、役所が便所になる。『味噌糞』な話である。

水戸黄門が無法者(アアウトロー)を成敗する勧善懲悪のドラマは人気であるが、黄門ご一行様は現在の日本では行方不明である。

そもそも味噌は、米、麦、大豆などの穀物をコウジカビなどの微生物を繁殖させた麹で発酵させて作られた日本の発酵食品である。味噌は微生物の糞なのである。

人間がおいしく頂いた結果、人糞に変化する。昔は田畑に撒くと、野菜の肥料として価値があり、白菜・春菊・大根の収穫があり、栽培した大豆から豆腐が出来、牡蠣の土手鍋にして美味しく頂けた思い出がある。昔の人間は糞ころがしである。

ジャン=アンリ・カジミール・ファーブルの昆虫記は、第1巻はフンコロガシで始まり、大好きだったようで、後に再びフンコロガシの子育てについて追記している。

管理職の人間が現場を見ないで、お気に入りの人間だけの見解を鵜呑みにすると、『味噌糞』の判断になる。無能な人間を味噌と思い、有能な人間を糞と決め付けると、組織は崩壊の運命である。優秀な人間は『糞たれ』と上司を罵倒して糞に成り下がり、結果として職場が糞溜めに成り下がる経験則がある。

仏法は『平等なき差別は不平等、差別なき平等は不平等』と言う。

味噌は台所に、糞は便所に納めることが、差別ある平等であるし、小便と糞を同じ樽に収めるのが、差別なき平等である。

臭い話だから信用しないほうが良い。他人は信頼できず、頼れるのは『俺』だけである。本物の自己を信じ、自然から学ぶ『自灯明法灯明』がお釈迦様の遺言である。

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