風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

豊川稲荷は禅寺 294号

2008年06月05日 15時35分53秒 | 随想
106歳の禅師様として知られる曹洞宗大本山永平寺・宮崎奕保師が亡くなり、新貫首に、愛知県豊川市の豊川稲荷住職の福山諦法様が就任した。神主が殴り込みを掛けた訳ではない。豊川稲荷は円福山豊川閣妙厳寺で、本尊が千手観音の仏教寺である。

稲荷大明神・稲荷神・お稲荷さんは穀物・農業の日本古来の神で、神道上の稲荷神社の総本社は京都市にある伏見稲荷大社である。

神仏習合思想では、稲荷神は仏法における荼吉尼天が、仮の姿として現れているとするのである。天照大神は大日如来、八幡神は阿弥陀如来の化身とする。

鎌倉時代に東海義易禅師が寺を開創した時、師僧の寒厳義尹が入宋した折、荼吉尼天の加護を受けた話を聞き、鎮守として当地で祀られるようになった。その後、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などからの帰依を受けたほか、江戸時代になると、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、農業国から産業国になると、商売繁盛の神として庶民からも信仰されるようになった。

江戸時代には仏教は国教であったが、大政奉還された明治政府は「祭政一致」を政治の基本理念に神社から仏教的色彩を排除し、天皇をトップにいただく神道が全国民に布教されることになる。そして仏教は弾圧された。

国家神道は太平洋戦争に行き着き敗北し、進駐軍は西洋科学主義の物質文明の宗教を布教した。そして60年経過して、布教は完了し、原油高騰の経済不況におびえている今日この頃である。

そしてフリーターというヒッピーが増加している。唯生きるだけに特化した人種で、西洋科学文明の敗北者と軽蔑されるが、逞しく生きている。『モノカネが全てでないな』の人生哲学が心にあれば、禅僧と同じである。

石油が枯渇し、外国との貿易が途絶え自給自活の生活を強いられる時、身軽なフリーターが田舎に分散して、農業に従事し、漁業に精を出し、山村を整備するなら、古き善き日本が復活するだろう。皆が貧乏な日本になれば、過去の私の人生経験が役に立つのだろうが、まだだいぶ先のようである。その頃は阿弥陀様の浄土を目指し、三途の河原で一休み中だろう。宝の持ち腐れになりそうである。



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