風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

茄子でも空海 515号

2009年04月18日 09時52分57秒 | 随想
庭の空き地、一坪に茄子を植えた。千両二号茄子・米茄子・茄子のアルビーノ白茄子・庄屋大長茄子・名の無い茄子の五株である。資本金は500円である。これで秋まで飢えることが無い。

熱帯モンスーンのインド原産の茄子は夏野菜の王様である。夏の太陽熱を吸収した秋茄子は殊の外美味である。夏の盛りに食べた茄子が秋茄子の美味だった事から、冷害による飢饉を予測した二宮尊徳。

農業の実践から編み出した、豊かに生きるための報徳思想は、利他の心で世間に貢献すれば、世間はお返しを下さるとする経済と道徳を融合する理論で、雨水を皆で分け合う水稲栽培の農耕民族思想でもある。

食うか食われるかの野獣との戦いの狩猟民族は、「秋茄子嫁に食わすな」の利己的な発言になる。

飢饉とは天候不順や天変地異などで農作物の収穫が少なく、食糧が不足することであるが、今では死語となった。金の力で世界から食料を掻き集める近代日本。飢饉にならないのは基金があるからであると説明する。

四国遍路旅で田舎道を歩き、山道を歩き、腹が減った。財布には紙幣が満ち溢れているが、店が無く食料が手に入らない。その恐怖が庭に茄子を植えさせたのである。弘法大師の思し召しなのだろう。秋には茄子でも空海。

日記@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。