休場明けの満身創痍の御嶽海が無敵の横綱に勝利する奇想天外な大相撲に複雑な思いが交錯する。
日本人横綱なら「武士の情け」の美談だろうが、遊牧民のモンゴル人の横綱には通用しない。日本人の親方衆が演出した無気力相撲なのだろう。
貴乃花親方が主張した、大相撲は神道に根差す儀式と捉えるならば美談であるが、弱肉強食の格闘技を主張する横綱で貴乃花親方を引退させた前歴の残像があるだけに失望感が大きい。
大横綱白鵬の引退の花道を如何に飾るか、日本相撲協会の親方衆の大仕事で、大相撲存続の大問題だろう。
金儲けの手段としての大相撲は空しい、非日常の所作の相撲美の追求が存在理由だろう。