風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

小学校入学の歳 517号

2009年04月20日 03時30分42秒 | 随想
間もなく66歳を迎える。最近は老眼や飛蚊症で目が不自由になり、健忘症で知識を思い出すのに時間が掛かり、難解な文語体や英語の書物を理解出来ない悩みがある。「我、老いたり」と実感し、寂しさの極みである。

最近、竣工した愛称Libra(りぶら)の岡崎市図書館交流プラザは巨大な施設で、本を軸にしたスーパーマーケットの様相である。400mトラックの運動場程度の空間に本棚が並んでいる。日本には多くの本があるものだ。

(りぶら)は英語の図書館と自由の合成語と説明するが、そんな理屈はいらない。おいらの名前の来由は知らない。親父とお袋のDNAの混合物である。

道に迷って、辿り着いたのが児童書のエリヤだった。奥の細道や方丈記・徒然草の表題の本を手に取る。大きな活字で、現代文に翻訳、漢字にはルビが振ってあるから、松尾芭蕉や鴨長明や吉田兼好の心を簡単に読み取ることが出来る。これは大発見である。

難解な文章を解読するから偉いのでは決して無い。文章は心を伝える道具にすぎない。専門家の翻訳の文章で読みとれば事足りる。若い時、シェクスピアを読んだが、福田恒存の翻訳本だった。

還暦を通過して間もなく6歳、小学校に入学する歳である。堂々と児童書を読めばよいのである。

漢字を読めない総理大臣は還暦を過ぎ、小学生の年齢である。枝葉末節は無視して、政治の心を読み取り、判断することの重要性を児童書は教えてくれる。

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