やまめの庭つくり

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3月11日

2012-03-11 | ノンジャンル
今夜は,テレビで数時間にわたって放映されていた「震災」にまつわる様々な出来事を見続けました.

何となく,それしか出来ないけど,心の中で手を合わせながら,見てました.

1年前の被災地の様子,今の人々の姿,未だに変わらない原発の大きな影響,積み上げられたがれき,それが撤去され,建物の基礎だけが残る広大な平地,行方不明の家族を捜し続ける人たち,そして,新しく前進しようと涙目になりながら笑顔を見せている人たち.

たった一日で多くの人の生活や人生が大きく変わってしまいましたね.



昨年の3月11日は埼玉県で仕事をしていました.

木々に囲まれ,土の上に立っていたらグラグラと揺れていることに気づきましたが,まさかそんな大変な地震だったとはそのときには気づかず.

携帯がすぐにつながらなくなり,高速が封鎖され,相模原の大停電の中を抜け,人の家でご飯をいただき,夜の10時頃,やっと自宅に残っていた息子の無事が確認できたことを思い出します.

翌日になって横浜近辺もビルが揺れ,舗装道が壊れ,パンや米,水,牛乳などの食料品やガソリンがなくなり,放射能がどうなっているのか不安な状態で,テレビは震災報道一色,コマーシャルが消えるという,かつて経験したことのない異常事態になっていました.

帰宅難民になったyadoroku氏は翌日帰ってくることが出来ました.

大きな物理的,人的被害はなかったけれど,精神的にはかなり「被災」した気がしました.

毎日テレビを見て涙がとまらなかった・・・・

昔の大津波や大地震でたくさんの人が亡くなったという記録があっても,リアルに映像をたくさんの人が撮影して,みんなが目撃者のようになったのは,この震災が初めてなのではないでしょうか.

阪神大震災の時は,朝起きて燃える街やつぶれた家屋,壊れた道路などの映像を見て,この世の終わりの景色みたいに感じたのですが,そのときの絶望感とも異なるさらに太刀打ちできない自然の猛威に対して,無力感に負けていた日々があった気がします.



そして,それ以来予知されるようになった地震警報がテレビでポポン・・ポポン・・となるたびにドキドキして戸口の方に行ってみたり・・・

たいした被害がなかったやまめでさえ,心に植え付けられた不安はなくなることはありません.

これから首都圏でも大地震が来ると思っているのですが,そのときにはなるべくなら東京にいませんように.
そのくらいしか考えられないけれど.


被災された方の悲しみを思うとどうしたらいいのか,元の生活に戻れるといいなと思うけれど,家族を失った人たちは「元の」生活なんてありえないし,何とか折り合いをつけて飲み込んで生きていかなければならない人にかける言葉が思いつきません・・

また笑える日が来ますように.
それだけは.
心の中でお祈りしたいと思います.

合掌.