韓国雑記帳~韓国草の根塾&日韓環境情報センター&ジャパンフィルムプロジェクトブログ

韓国に暮らして30年。なぜか韓国、いまだに韓国、明日も韓国。2022年もよろしくお願いします。

洪城(ホンソン)と南楊州(ナムヤンジュ)その3

2011-12-18 14:20:56 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 久しぶりの書き込みです。お約束の南楊州の農業技術センターについての感想をまとめて見ます。

 佐渡農協の人たち(実際に農業をしている人たち)と一緒に見学して初めてわかったのが、<農業機械銀行>の運営でした。ここではさまざまな農業機械を保有して、必要な農家に貸し出しをしています。また、個人で保有している農業機械の管理を代行し、その間の修理や維持も行います。そして、必要でなくなった農業機械を買い取り(?この部分は確認していないので、正確ではありませんが)農業技術センターの貸し出し用機械として転用するというシステムです。

 これは2002年ごろ計画し、2003年から実施しているそうです。修理や整備を担当する専門のスタッフもいます。このシステムのおかげでさまざまな利点が考えられます。まず、個人で機械を購入しなくてすむので、経済的な負担が軽くなります。韓国の農村でも、機械化が進むと同時に購入代金による借金も多くなり、農家は貧しくなる一方で金融機関はどんどん大きくなるという矛盾があります。こんな金融機関のひとつに<農協銀行>もあるのですから、問題は深刻です。

 また、保管のためのスペースを確保しなくてすみます。保管用の倉庫を作るにしてもお金が必要ですし、修理や維持をするのも大変ですが、ここでは修理も専門スタッフがやってくれます。実際、倉庫の中の機械を見たのですが、どれもきれいです。作業を終えてから、きれいに洗うそうで、機械の維持という意味と同時に、慣行農業地での農薬や化学肥料が有機農地に移らないようにするためです。

 これらの機械は1日いくらで農家に貸し出されます。農業はまったくの素人の僕ですら、このシステムがとても合理的だということを痛感しました。ちょうど、佐渡農協でも農機具を協同で管理する場所を作る予定だそうで、いいタイミングで見学ができたわけです。

 倉庫の全体写真を撮るのを忘れてしまいましたが、建物は2階建て。農業機械の移動のために大型のエレベーターもあります。

 これがエレベーターの中の様子です。1階に下りると、トラックの荷台に直接搬入できるようになっています。この<農業機械銀行>がスタートしたとき、日本の農機具メーカーのクボタ(立ったと思います)がベンチマーキングをしたそうです。

 つぎに体系的で継続した教育システムがあります。上の写真は、郷土料理体験施設の<モコチト>ですが、この建物は農林部(の関連団体)から数百万円の助成を受けて作られました。京畿道でははじめてのケースだそうです。この施設の代表は農業技術センターを拠点にしている<郷土料理研究会>で長い間活動をしてきた方です。この研究会には500名ほどの会員がいて、自治体のイベントにも積極的に参加しているところです。単に料理を勉強するだけでなく、自分たちの作る農産物をどのように食べてもらえるかという視点から、活動をしているそうです。

 イチゴ摘みの体験農場の<テガ-大家>の代表の方も、農業技術センターで30年以上にわたり関係があり、いろいろなことを学びながら、周辺の土地を買い足して行って、1万坪の農場を作りました。こうなると雰囲気は農家ではないですね。農産物(イチゴ、サツマイモ、レンコン)の生産とサービス業が合体した雰囲気でした。ここでは、環境教育も行っていますが、すべて家族で分担して行っているそうです。

 また、今回は直接見学できませんでしたが、IT教育も盛んです。インターネットの発達したおかげで、農産物の販売も今までは難しかった直販も手軽にできるようになりましたし、体験農場などのPRもホームページを通して簡単にできます。

 佐渡農協の方が言うには、日本の農業技術センターに該当する農業改良普及センターなどは、純粋に農業技術専門でやっているということです。たぶん、日本では農協や自治体の関連部署がその役割を担うことになるのでしょうか?

 どちらにしても、これだけのシステムとネットワークを作り上げるためには、さまざまな歴史があったと思います。この部分については、まだわからないことばかりです。じつは、この<テガ>は4大河川事業の関連事業でつぶされた南楊州の有機農地の近くにあります。この農地はパルダン生協の生産者組合のメンバーがいたのですが、彼らとの関係がどうなっているのか、まだ、よく見えないのが実情です。

 今後、日本から南楊州に見学に来てくれれば、その点も含めて、どんな流れの中で南楊州の有機農地が形成されたのかを調査してみようと思います。興味のある方、ぜひ一度いらっしゃってください。

*パルダン生協の有機農地は、ヤンピョン郡がわは数軒残っていますが、高等裁判所で国有地の専用使用許可を一方的に取り消したことは合法だという、逆転判決がつい最近出て、厳しい状況にあります。事業主体の京畿道は最高裁の判決で確定するまで、工事は行わないといっていますが、請け負った業者は年度内(来年2月いっぱい)に工事をしないと、契約違反になるため、ここ1週間ほど、緊張が高まっています。この件は、また状況が変わりましたら、お知らせします。

 


洪城(ホンソン)と南楊州(ナムヤンジュ) その2

2011-12-09 02:36:12 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 それぞれの特徴のなかで一番気になったことは、ホンソンの場合は規模の大きさです。生協の店舗にしても、農業高校にしても、あるいは研究所にしても、どこもこじんまりとしています。このことは以前も書いたかもしれませんが、協同組合をベースにしてさまざまな事業を展開するとき、組織の維持や拡大を第一の目的にするのではないということが、きちんと刷り込まれているなと、感じました。

 

 これは生協の店舗です。パン工場も併設されています。

 

 この建物は、プルム学校の専攻部の事務所兼教員室の建物。こんな感じで、こじんまりと手作りの感覚です。

 これに反して南楊州では、<6次産業>を実践している農家の強さを感じました。<6次産業>というのは、1次、2次、3次産業を全部足した考えかたで、加工や流通・販売まで農家が自ら責任を持つこととも言えます。

 

 午後に行った体験農場<大家/テガ>のビニールハウス。ここでは無農薬のイチゴを栽培しています。65メートルの長さのハウスが全部で7棟あります。体験料金は、500グラムの持ち帰り+ハウス内では食べ放題+イチゴジャムつくり+お昼ご飯代で3万ウォンぐらいです。40名(バス一台)の団体が来たら、120万ウォンの売り上げ。今までの最高はリュ・シオンのファンクラブの日本人の600人(いったい、いくらになるんだろ)。

 ここのオーナーの話で印象的だったのは、植え付けるけど収穫をしなくていい。農園の利用客がお金を払って、そのうえ収穫してくれる。だから、手間が半分になり、3人でも運営できると言っていましたね。

 

 郷土料理の実習施設のモコチトも、6次産業ですね。裏の畑で野菜をつくり、それを実習しながら加工し、食べることで消費する。実習室のすぐよこにテーブルがあり、そこで落ち着いて食べられるのがいいですね。男性だけの団体は珍しいそうですが、みなさんがんばっていました。

 

 高橋会長のみごとな包丁さばき。フットワークの軽さは若々しいです。

 

  副会長の斎藤さんもなれた手つきで、肉にたれをつけています。質疑応答での鋭い質問が特技だと思っていたら、料理の腕前もなかなかのものでした。

 

 みなさん、熱心にやっています。で、たれをつけたあとは、そとの炭火で焼き上げます。

 

 と、こんな具合の料理実習が17000ウォンですので、韓国の物価で考えてもそれほど高いものではありませんね。今年の3月から今まで、4000人ほどの利用があったそうです。今年の夏は雨が続き、夏のかきいれどきにキャンセルが続いたそうで、普通はもう少し多いそうです。

 とまあ、ホンソンと南楊州で一番印象的だったことを書いてみました。そうだ、農業技術センターのことがありますね。ここは次回にくわしく説明しましょう。(続く)

 


洪城(ホンソン)と南楊州(ナムヤンジュ) その1

2011-12-07 02:12:36 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 韓国の有機農業の歴史を紐解くと、1975年に日本の愛農会の小谷純一先生の韓国訪問をきっかけにして、ホンソンとナムヤンジュで始まったと言います。11月の下旬から12月の上旬にかけて、このホンソンとナムヤンジュの両方を案内する機会があり、韓国の有機農業の実態に触れ、これからの農業のあり方や地域のあり方を考える、とてもいい機会になりました。これから、何回か思いついたことを書いてみます。

 秋田から来た今野さんと三浦さん(ホンソンのマッコリ工場で)

 佐渡農協の皆さん(料理実習施設、モコチトで)

 まず、共通していることは人材を育成する施設・機関がとてもしっかりしているということです。ホンソンの場合は<プルム農業高校&専門課程>、ナムヤンジュの場合は<農業技術センター>が地域で農業を担っていく人材を絶え間なく供給しているという点が、とても印象的でした。

 <プルム農業高校>では1年が園芸と野菜、2年が稲作、3年が牧畜(だったと思います)の実習があり、また短大レベル(2年制)の<専門課程>でより本格的に農業実習をしていて、卒業後はすぐに生産者として自立できるような教育が行われています。高校からは毎年30名近くの卒業生が出るわけで、彼ら・彼女らのかなりの数がホンソン地域に定着するわけで、20代30代の農家だけで10名以上いるのも納得できます。

 また、これらの教育や栽培技術を支える研究機関が設置されているのも、強みですね。

 ナムヤンジュの場合は<農業技術センター>の働きがとても大きいですが、教育機関としてもきちんと機能して、結果を出しているところがすごいです。佐渡農協の人たちとナムヤンジュのパルダン地区にある体験農場を訪問しましたが、その<社長>さん(女性です)は30年以上<農業技術センター>と関係があり、イチゴの有機栽培や経営の方法など、さまざまな勉強を<農業技術センター>でしたそうです。

 料理体験施設のモコチトのシン代表(こちらも女性)も、<農業技術センター>にある<生活改善委員会>や料理教室の受講生たちが作っている<郷土料理研究会>の中心メンバーです。モコチトの料理も<郷土料理研究会>のメニュー開発の活動の中から生まれてきたと言えるでしょう。

 日本でも同じですが、<農業高校>という名前は人気がないのにも関わらす、<プルム農業高校>と堂々と<農業>を名乗っています。たしか、佐渡の農業高校も名前が変わったのじゃありませんか? 

 一方の<農業技術センター>、こちらはいろいろなことを教えてくれます。農業指導や栽培技術の研修だけでなく、料理実習、パン・ケーキ実習、IT実習、経営教育など多岐多彩にわたっています。僕もキムチ実習やパン作り実習を受講したことがありますよ。また、1年課程(週4時間)の<グリーン大学>も実施されていて、すでに500名以上の卒業生がいるそうです。

 ナムヤンジュ農業技術センターの展示を見学する佐渡の皆さん

 次に注目すべきは、消費者との直接のつながりがあることです。ホンソンの場合は生協の組合員ですし、ナムヤンジュの体験農場の場合は各地の学校や幼稚園などの固定客です。これらの消費者のおかげで市場の変動にも左右されませんし、また海外から安い農産物が入ってきても、ほとんど影響がないでしょう。米韓のFTAなど、まったく関係ないと、体験農場の方は言っていました。(続きます)

 


浅水湾・錦江河口+セマングムツアー~その4(おわり)

2011-12-01 02:11:35 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 さて、ようやっと最終回。セマングム防潮堤の報告です。いつものように<ネチョド教会>に泊まり、セマングム干拓の状況を見ることにしました。このブログでも何度かセマングムのことは書いてありますが、防潮堤の上に道路ができて、渡れるようになってからは行ったことがありませんでした。防潮堤を渡ってから内蘇寺によってからソウルに向かっても間に合うというので、防潮堤を渡ることにしたのです。

 まず、防潮堤の外にある港に行き、食堂やモーテルが立ち並んでいるのに驚きました。この港にも漁船がありますが、車でここまで通ってくるのでしょうか? まわりには一般の民家はまったくありません。

 さあ、それでは防潮堤を渡ります。さすが33.9キロという世界1の長さを誇る(?)防潮堤。向こう側が見えません! (実はかつて埋め立てたネチョドからビヨンドまでの堤防をプラスして、33.9キロだそうですが)

 途中に信号まであります。ここは両サイドが休憩施設。利用客が渡るための横断歩道ですが、車はちゃんと止まってくれるのだろうか。

 鯨の尻尾をかたどった彫刻。何でしょうかね。アクセントのつもりで作ったのでしょうか?

 途中の島も防潮堤でつながりました。

 ここは可動水門。この日は閉まっていました。引き潮のときゲートを空けて、中の水を出しているそうです。写真には取れませんでしたが、防潮堤の中には中洲のようなものもできていました。

 手前の<通路>は船が通るように設計した水路です。4大河川事業も運河に衣替えしたら、こんな姿になるのでしょうか? 

 こんな駐車場に車を止めて水門を見学。

 ここがプアン側にある水門です。以前、カメラマンとセマングムにきた時、南側からこの水門まで来ることができました。

 で、がらりと雰囲気が変わり、ドライバーに連れて行かれた内蘇寺(ネソサ)前にある、食堂。ここのビビンバ、美味しかったですね。ご主人(息子さん)も親切で、情熱的な人ですし。おまけでミカンや柿をもらったのですが、これも美味しかったです。(すみません、柿は日本に持って帰れないので、僕が家で食べました)

 時間がなくて、お寺には行けず(残念!!)ホームページを紹介しますので、これで我慢してください。こんなお寺です。 

 韓国のお寺では、早朝と夕方のお祈りのときに、境内にある太鼓、木魚、雲板、鐘を叩きます。まるで、打楽器のパフォーマンスです。つい先日も家の近くのお寺で偶然聞きましたが、いいですよ。また、お寺めぐりでもしたいですね。

 というわけで、鳥見ツアーもこれで終わり。帰りのサービスエリアでは、今まで見学したところを復習したり、

 胡桃まんじゅうの味見をしたりと、

 にぎやかでした。今回、初めて会った皆さんでしたが、とても楽しく、美味しい旅でした。ずっと昔からの知り合いのような感じでした。やっぱり、自然保護とか環境保全の仲間は、共通項がたくさんあるので、そんな感じになりますね。では、またお会いできることを楽しみにしています。

 

 


浅水湾・錦江河口ツアー報告~その3

2011-11-28 01:36:47 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 お久しぶりです。この間、秋田の農家の方を案内して忠清南道の洪城(ホンソン)に行ってきて、そのあと風邪にかかり、ようやく体調が戻りました。鳥見ツアーの第3弾です。

 2日目の午後、高速道路をぶっ飛ばし、3時半ごろに群山(グンサン)の錦江(クムガン)河口に到着。ここは河口堰があるため、河口部分が湖みたいになっています。川のほとりには<立派な>探鳥展望台がそびえています。

 展望台の中は小さな博物館。なぜか東京タワーを思い出す、懐かしい雰囲気です。ここの展示、やっぱり、何でもありの展示でして、専門家ぞろいのこのツアーの参加者にかかっては、コテンパンでした。

 日本も昔はこんな雰囲気で、何でもありの展示ばかり見たような記憶があります。とにかく、めずらしいものが飾ってあればランクが上がり、種類が多ければまたランクが上がる、といった風潮がありましたよね。

 僕自身、子供のころは、見に行った水族館や動物園で、どれだけ珍しいものを見るか、あるいは数を見るかを自慢した覚えがあります。いつごろからでしょうか、施設の周辺の生態系を展示するような工夫が始まったのは。韓国でも最近できたところや昔からあっても学芸員がしっかりしているところは、いろいろ工夫がしてありますね。

 この展望台の一番の魅力は、ここ。今から入る建物です。

 お分かりでしょうか、この建物。内部に何か丸いものがあります。

 さあ、お知りから出てきました。じつは、これトモエガモなんです。

 小田先生が指しているのが、入り口の部分。なかなか、面白いアイデアで受けていました。

 で、売店で時間をつぶしてから、トモエガモの群舞を目指して河口へ出発です。

 展望台で教えてもらったポイントへ行くと、このように案内の掲示板があり、観察ポイントが地図の上で示されています。

 このとき、日没時間がだいたい5時半ぐらい。そのぐらいから5時50分間での間が、群舞をする時間帯だそうで。

 

 で、ようやく見えたのがこれ。はるかかなたでの群舞でした。写真じゃわからないですね。でも、肉眼でも、確かめられたので、よしとしましょう。空が鳥だらけになるというのは、なかなかお目にかかれないそうです。

 群舞を、かろうじて見て、いちおう今回のツアーのミッションが完了。このあと、大型スーパーのイーマートで買い物をした後、韓国牛の夕食。これは美味しかった。夜はネチョド教会に泊まり、最終日はセマングム干拓地を見てから、ソウルへ戻り、そのまま帰国です。あした、最終日のことをアップしましょう。

 


浅水湾・錦江河口ツアー報告~その2

2011-11-18 01:30:18 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 せっかくの機会ですから、浅水湾(チョンスマン)の歴史や特徴について整理してみますしょう。

 韓国の検索サイト、ネイバーの百科事典によると、

 ”東をサン市・ホンソン郡・ポリョン市の海岸地帯が、西側をテアン郡のテアン半島とその先にあるアンミョン島によって囲まれた浅水湾は、南北にながく海岸線の長さは200キロにも及ぶ。広い干拓地が作られ、また干潟の部分も多い。水深は浅く、暗礁や小さい中州が多く、大型船舶の通行は難しい。小さい規模の塩田や牡蠣や海苔の養殖場がある。”

 と説明されています。ちょっとこれだけじゃ、渡り鳥との関係がよくわかりませんね。ほかの資料を探していると、昨年まで開催されていた<ソサン浅水湾世界渡り鳥紀行展>のHPに詳しい説明がありましたので、ポイントを紹介しましょう。

 ”1980年代から浅水湾で現代財閥による干拓事業が始まり、15万5千ha(4,700坪)が防潮堤で仕切られ、干拓地と淡水湖になりました。淡水湖は東側がカンウォル湖(A地区)、西側がプナム湖(B地区)で、それぞれの沿岸には見渡す限りの農耕地が干拓事業により造成されました。

 西海(日本でいう“黄海”)に近く、偏西風の影響で10月から3月までの平均気温が4.8℃、最高は10月の12.8℃で最低は1月の-0.3度で、慶尚南道のチュナム貯水池やナクトンガン河口などに比べると、4度ほど気温が低い。”

 以前、干潟だったところが大規模な農耕地となり、とくに現代財閥の個人農場という特殊事情により収穫のあとの落穀が非常に多かったため、広大な<餌場>となりました。また、水深の浅い淡水湖の水棲植物や魚類、芦原など、冬の渡り鳥の越冬地として格好の条件を備えたわけです。

 ただ、10年ほど前(だったと思います)、現代財閥が所有していた農耕地を分譲し、A地区は個人の経営者の所有となり、だんだん落穀も少なくなってきます。そのうえ、渡り鳥を観光資源にしているため、淡水湖の護岸のすぐ脇の未舗装道路を広げて舗装しようとして工事を進めています。ですので、以前に比べると渡り鳥の数は大幅に減ったと、ペンションのオーナーのソ・ハンスさんが説明してくれました。

 

 たとえば、上の写真にある白いものは家畜用の飼料として藁を発酵させているものです。以前は藁などは稲刈りあとの田んぼにそのまま置いたので、その中でネズミなどが越冬するので猛禽類の格好のエサになったそうです。じっさい、今回のツアーでもノスリが食べていたカモ(?)を見つけて記念撮影をはじめ、みなさんなかなか根性がありますね。ペンションのオーナーのハンスさんも、驚いていましたよ。

 屍骸をチェックする小田先生と高田先生たち。

 で、こんなふうに手にとって記念撮影です。

  途中にはこのような鳥観察用の施設があります。ここは2008年のラムサールCOP10でエコツアーをやったときにも観察したポイントです。

 せっかくですので、みんなで記念撮影。左のうえにある鳥の形をした飾りは<ソッテ>という村の入り口にある守り神です。伝統的なもので、一時期衰退しましたが、最近また人気がありますね。

 こうやって車の中からの観察もします。なぜか車が来ても鳥たちは逃げない場合が多く、車のドアを開けたり、降りたりするだけで鳥が飛び立つ場合があります。なぜでしょうね。

 午前中、朝ごはん抜きで3時間ぐらい浅水湾のA地区を見て回りました。今回のメンバーは2年前にもここに来てバードウォッチングをしたのですが、とても寒く、専用の車もなかったので、そのときはじっくり見ることができなかったそうです。やはり、浅水湾で鳥を見ようと思ったら車がないと、動きが取れませんね。

 11時ぐらいに朝昼兼用の食事。キムチチゲとテンジャンチゲ+牡蠣入りパジョン(韓国風お好み焼き)という豪華版。食事のあとで、このお店が<韓国野生鳥類協会>の指定のお店と知って納得しました。浅水湾にバードウォッチングに来ると、昼ごはんを必ずここでとるそうです。こんなお店、たしかナクトンガンの河口にもありましたね。会員証を見せると割引になる、というわけではありませんでしたが、サービスはいろいろしてくれるようです。

 食事のあとで、店の前に水槽があるのを発見。昨日、刺身で食べたウロックという魚も泳いでいたので、みんなで観察です。

 お店の名前は<チャンリ食堂>です。ぜひ、いちど立ち寄ってください。お店の目の前が海でした。

 さて、お腹もいっぱいほろ酔い加減で(昼からビールです^_^)つぎのコースの<ソサンバードランド>へ。ここは10日ほど前にオープンしたばかりの施設。僕たちの泊まったペンションの近くにあります。

 <バードランド>に向かう高田先生とお嬢さんのみちよさん、奥さんの公代さん。

 入り口のエントランスルームには大きな木の模型があり、その脇に座れるようになっています。受付の上の大型プロジェクターで流れていた浅水湾のドキュメントは、じつはペンションのオーナーのハンスさんがカメラマンの仕事をしてたときの作品です。

 館内には剥製がいっぱいあります。学芸員のチョさんが浅水湾一帯を調査しながら、死んだ鳥をもってきて剥製にしたものも、何体かあるそうです。

 この方が学芸員のチョさん。手にしているカレンダーの写真は浅水湾で観察できる鳥を月ごとに分類して載せてあります。カレンダーで使われている写真は、全部チョさんの写したものと聞いて、びっくりです。

 このポスターは入り口にありました。1昨年までの渡り鳥祭り<ソサン浅水湾世界渡り鳥紀行展>のポスターです。去年は鳥インフルで中止となり、ことしからはお祭りをしないで、このバードランドが毎日ツアーバスを出しているそうです。週末は3台から4台のバスが、1日数回、1時間ほどのツアーをするわけです。事前に予約をしないと参加できない人気コースだそうです。

 ということで、浅水湾のバードウォッチングも無事に終了しました。オーナーのハンスさんや学芸員のチョさんにお礼を述べて、錦江河口へ出発です。(つづく)


浅水湾・錦江河口ツアー報告~その1

2011-11-17 02:36:56 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 おまちかね(?)の浅水湾(チョンスマン)・錦江(クムガン)河口ツアーの報告をしましょう。2泊3日の旅でしたが、なかなか充実したツアーだったと自画自賛しておりますが、写真を見て判断してください^^;

 

  左から、すいた市民環境会議の喜田さんと小田先生(お医者さんです)、大阪自然環境保全協会の西村さんと会長の高田先生、そのとなりがあくあぴあ芥川の高田みちよさんとお母様の高田公代さん、そして大阪自然環境保全協会の新保満子さんという<濃い>メンバーで、本場の関西弁をしっかりと堪能させていただきました。

 さて、この写真は浅水湾の真ん中にある<看月庵カンウォルアム>という海辺に面したお寺の境内(といっても猫のひたいぐらい狭いところでしたが)で撮った写真。このお寺は岬の先端にあり、満潮になると筏で渡るという、個性豊かなお寺でした。幸い、僕たちが行ったときは干潮だったので、歩いてわたりましたが、干潮と満潮の差が多い韓国西海岸ならではの風景ですね。お寺と筏の写真を紹介しましょう。

 

 これが本堂、中の仏様もかわいらしいサイズです。数日前に大学入試が終わっていたので、ひっそりとしています。

 

 岬から<島>にあるお寺の後ろ側を見たところ。ちょうど真ん中に浮いているのが筏です。最初はまったくわからず、何か壊れたものがそのままになっているのかなと思いました。この次は満潮のときに行って、筏にチャレンジしましょう。

 お寺を見た後、今晩の宿舎<ハヌルピスロ・ムルドゥン・セ(空の光で色づく鳥)>というペンションのご主人のソ・ハンスさんと合流して、浅水湾の淡水湖、看月湖と周辺の農地を案内してもらいました。車の外でカメラを構えているのがハンスさんです。

 双眼鏡を構えているのが小田先生。

 だんだん寒くなってきました。

 黒い点が鳥たちです、すみません、鳥の名前はメモしなくて、わかりません。

 で、6時ごろまで渡り鳥を観察したあと、夕食です。せっかく海の近くなので、今晩はお刺身、ウロックという韓国ではポピュラーな魚とヒラメのお刺身をあわせて3キロ注文します。この店は、1匹単位でなく、キロ単位の注文でした。韓国ならではの前菜(つきだし)の大盤振る舞いがあり、その上に本命のお刺身と、最後のメウンタン(激辛海鮮なべ)で閉めますが、ものすごいボリュームの上、ホヤ、ナマコ、ケブル(チューブのような干潟の生き物)、生のいいだこ、生のえび、など珍しいものもいっぱいでした。(食べるのに忙しく、いつものように写真がほとんどありません、唯一がこれでした)

 

 この写真の中でも、刺身の横にあさりスープ、手前がサツマイモにゆでたイカ、刺身の奥がエイの刺身の辛子味噌和え、一生懸命お皿にとっているのが喜田さんと公代さんです。

 僕らの泊まったペンションは、周りに人家がなく、雑木林を背にし、目の前に田んぼが広がるという、なかなかのロケーション。これが後ろから見た姿です。

 このペンションのマスコットがサプサル犬のマルです。このサプサル犬は韓国固有の犬で新羅時代は貴族の家や王宮で飼われたという犬です。お化けや凶運(サル)を追いやる(サプ)という意味のがあり、昔からとても貴重な犬でした。ところが、日本の植民地時代に軍用の防寒衣の毛として使うために大量に殺し、急激に個体数がへってしましました。80年代の半ばごろから本格的に再生事業が始まり、ようやく絶滅の危機を脱したという犬です。

 

  マルはまだ2歳ですが、とても人懐っこい犬でした。

 

 ペンションのオーナーとマル。やっぱり犬と飼い主はどこか雰囲気が似てきますね。というわけで、車に乗って、バードウォッチングに出発です。(その2に続きます)

 

 


日韓両生類共同モニタリング その4

2011-09-10 01:38:53 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 さて、日韓両生類共同モニタリングも最後の日程、清州を訪問しました。この街には<ヒキガエル生態公園>があり、その一角には<ヒキガエル生態文化館>というビジターセンターもあります。公園の周辺には高層マンションや裁判所、検察庁などのビルがたちならび、その間に公園と、公園と山を結ぶ生態通路があります。

 さて、この公園がどのように作られたのか、<京郷新聞>の記事がありますので、紹介しましょう。

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人と自然がともに生きる都心型生態公園

「まず、人が暮らさないと。ヒキガエルが何でそんなに大切だと騒ぐんだ」 2003年3月、忠清北道の清州(チョンジュ)市ホンドック区サンナム洞にあるウォンフンイ村。ヒキガエルの子供たちの大規模な移動が目撃されてから、これを保存しようという市民・環境団体と住宅地開発をしようという施工業者との対立と葛藤が真っ最中だった。

ここはチョンジュ市に含まれていても、現地の人以外の一般の市民がやってくることがめったにない寂れたところだった。そんな地域に市民団体が、三歩一拝デモ・ハンガーストライキ・ウォンフンイ池の人間の鎖など連日デモを行い、一部の市民の間では「いったいヒキガエルが何なんだ」という不満がでるほどだった。

旧韓国土地公社(現在のLH公社)忠北本部と市民団体は1年9ヶ月にわたる熾烈な葛藤と反目を克服して、相生(ともに生きる)協約を結んだ。ウォンフンイ池の原形保存と代替湿地5箇所の造成、ヒキガエル生態文化館の建設などを両者が合意したのだ。

2006年、この一帯の3万6000㎡(1万909坪)が、国内で初めてアパートやビルが林立する中にある国内最大のヒキガエル生態公園として生まれ変わった。ヒキガエルたちはこれ以降、近くのクリョンサン(九龍山)で生息して、毎年3月のはじめに冬眠から目覚めて自分が生まれたウォンフンイ池へと戻って卵を産む。とくに、5月末から6月はじめの雨の降る日に卵から孵った数万匹の幼いカエルがクリョンサンへと大移動する姿は、ここだけで見ることができる風景だ。

ヒキガエル生態公園は湿地の中でも外来種である食用ガエルなどからの攻撃をさけて卵を産み、ジムグリガエル(環境部指定の絶滅危惧種)、ハイタカ(天然記念物232号)、チョウゲンボウなど20種類ほどの珍しい鳥類や水生植物が育つ、自然そのままの都会の中の生態学習場だ。ヒキガエル生態文化館も2009年3月にオープンした。ここでは、ヒキガエル生態公園を紹介し、ヒキガエルの情報も一緒に提供している。

ヒキガエル生態公園は人と自然(ヒキガエル)の共存可能性を掲げ、いまだ実験を行っている途中だ。環境団体中心から地域住民が中心になって生態保全運動が進化している。住民はヒキガエルの中心的な生息地の一坪購入運動を推進中だ。また、「サンナムヒキガエル地域新聞」を創刊して、住民の間の意思疎通を図り、ヒキガエル命の文化祭など地域のお祭りなどを通して共同体文化を創っている途中だ。ウォンフンイヒキガエル生態公園が注目される理由は開発と保全という葛藤を合理的に解決した環境運動史での模範事例だという点だ。宅地開発事業地区のなかに生態公園を造成するという新しいモデルを提示し、全国的な波及効果を及ぼしている点にも意義がある。

ヒキガエル生態公園は外国の学生たちにも関心の的になっている。7月12日には中国の北京大学の学生が訪問し、25日から2週間はドイツ・ポーランド・カナダなどの外国の大学生13名が公園管理のボランティアとして活動する。ウォンフンイ地区のヒキガエル保存活動はテグのマンウォルチなどほかの地域でのヒキガエル保存運動の起爆剤になった。

<ヒキガエルの友達>のパク・ウォンヒ事務局長は「今後、子供たちの生態共同体の文化意識を向上させるためにヒキガエル生態公園を生態教育の現場体験の学習場として活用する計画」であり、「チョンジュを両生類、ヒキガエルが棲む生態都市、緑色都市としてイメージを作るために努力したい」と語った。(2011年7月7日)

     *     *     *     *

 上の記事でもお分かりでしょうが、開発と保全の対立や葛藤を克服してこの公園と文化館は作られました。そして、ここが大事なのですが、このモデルはベストではない、一歩間違えると開発推進側に免罪符を与える危険性がある、という問題意識をもちつつ、環境団体がチョンジュ市から委託されて<ヒキガエル生態文化館>の運営を行っています。ということで、写真を何枚か紹介しましょう。

全員の記念写真。バックは文化館です。

その場でイラストを描いてプレゼントする川上さん。

 

公園の中の見学です。

真ん中に見える池がウォンフンイ池です。以前は農業用水用のため池だったそうです。左手に見える建物が裁判所と検察庁。後ろに山があるので、ほかの場所に移転してほしいと要求したそうですが、拒否されたそうです。後ろの山とは細い水路でつながっています。

発信機によるヒキガエルのモニタリング。発信機がついている3匹のカエルを毎日、モニタリングしているそうです。

見つけたヒキガエル。写真ではよくわかりませんが、発信機が背中についています。

これなら、よくわかりますね。針金みたいなのがアンテナです。ちなみに<腕>は福田さん。数分で探し当てました。

カエルの糞を採集しているところ。左側が<ヒキガエル生態文化館>のハムさん。研究スタッフです。もともと農業の専攻だったそうですが、先輩に誘われてここに来たとか。

ということで、5日間の共同モニタリングも終わりました。もっと早くアップしようと思ったのですが、2週間以上もかかってしまい、申し訳ありません。来年の2月は日本で行いますので、ぜひ興味のある方、連絡をください。

 


日韓両生類共同モニタリング その3

2011-09-03 02:21:59 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

3日目の続き ジャジャン麵とタンスユック(酢豚)のお昼のあと、民間人統制区域内にある<第4トンネル>の見学です。このトンネルは北朝鮮が<南進>のために掘ったといわれているもの。いざというとき、このトンネルを使って武力侵攻をする目的で掘られたものです。軍事政権時代に発表されたため、南の体制を維持するためのでっち上げじゃないかな、と考えていたのですが、実際現地で見て、またこの間の北の動きを見て、これは本気だと感じました。

 ただ、このような<軍事施設>が観光スポットになっているのも、不思議です。また、最近は韓流スターが徴兵で入隊したとき、宣伝部隊として活躍しているのも事実です。この施設ではこんなポスターが張ってありました。

映画<王様の男>で一躍スターになったイ・ジュンギ、奥様が大ファンという川上さんが発見したポスターです^^

 

さてこれが第4トンネルの入り口で、歩いて行きます。なぜか途中でカエルを見つけたのですが、トンネルの中は撮影禁止になっているため、帰りに見つけて外で写真をとろうとしましたが、やはり帰りにはいませんでしたね。

で、やはり<両生類モニタリング>チーム。トンネルの入り口のそばにある池を観察しだし、カエルやサンショウウオをいろいろ見つけていました。

トンネルから宿舎へ行く途中、こんな標識をソ局長が見せてくれました。<平和の森の道>というワーキング用の道を整備して、地域の人たちをガイドとして育成するプロジェクトが進んでいるそうです。ここの<パンチボール>といわれる地域の道を全部歩くと2日ぐらいかかるそうです。来年の夏、一緒に歩きませんか。希望者がいれば、ツアーをつくりますよ。

この建物が、3日目に泊まった宿舎で、実は軍の施設です。面会のために家族や友人が来たときに泊まる施設だそうで、サンショウウオやカエルに”面会”にきた僕たちも泊まることができたのは、グリーンコリアがこのあたりを<縄張り>にしているからでしょう。この施設で働いている人は、みんな軍人です。晩ごはんと次の朝の朝食をここで食べたのですが、それらの食事もみんな調理担当の軍人がつくったそうです。なかなか、美味しかったですよ。

さて、4日目は忠清北道の清州(チョンジュ)にいき、<カエルの友達>というグループに会いますが、この清州がなかなかの衝撃でした(続く)。

 


日韓両生類共同モニタリング その2

2011-09-02 01:04:48 | 環境保護&エコツアー(2011まで)

 3日目(8月26日) さて、今日は非武装地帯周辺の見学です。朝鮮戦争の休戦ラインの南北、それぞれ2キロの細長い地域を非武装地帯(DMZ)といいます。東西の長さは約250キロ、南北4キロのベルトのような地帯に、1953年7月以降、一般人はまったく入れなくなりました。砂漠とかツンドラ地帯のような人間の住めないところでない温帯の地域で、60年近くも人の干渉を受けない地域が出来上がり、動植物の宝庫になっています。

 この非武装地帯の南側(韓国側)に5キロから10キロぐらいの幅で民間人統制区域が設けられています。このエリアに立ち入るためには軍の許可が必要です。今までハンガンの河口地域や板門店の近くの村には入ったことがありますが、江原道の民間人統制区域に入るのは初めてです。 

 今回案内をしてくれるグリーンコリアは、DMZとその周辺の自然保護のために活動を積極的にしています。4年ほど前には、韓国政府の協力でDMZの中に入り、実際にどのような生態系なのかを調査したこともあるそうです。ソ局長の説明で、初めて知ったこともたくさんありました。休戦ラインといっても、53年に立てられた看板があるだけで、フェンスや鉄条網などはないそうです。また、非武装地帯は南北ともフェンスで囲まれているエリアですが、10センチぐらいの穴があれば、中型の哺乳類だと行き来してしまうそうです(もちろん、軍は認めませんが)。

 一番のポイントは、いま南北の間は休戦協定であり、平和協定でないこと。また休戦協定には韓国政府が参加していないため、DMZの南側2キロの幅の地域は韓国政府でなくアメリカ軍が法的な権利があること。ユネスコの自然遺産に登録をしようと考えたそうですが、休戦協定のままだと韓国政府には申請の権利がなく、平和協定になって初めて、権利が生じること。この点は、実際に行ってみて実感しました。

 さて、この日の朝食はスンドゥブ定食。ソクチョの有名な郷土料理です。

左から、植田さん、出島さん、福田さん、ソ局長、ヒョジンさん。この食堂、メニューはひとつだけ、スンドゥブ定食。にがりを入れていない、おぼろ豆腐みたいなもの。一緒に出てきたオカラなべも美味しいです。朝から、ものすごいお客さんです。

車の間からの隠し撮り。DMZが見えるウルチ展望台に行く途中、移動中の戦車部隊に出会いましたが、やはり緊張しますね。兵士はみんな徴兵なので、若いです。

この地域で目に付くのが、<地雷>と<不発弾>いう看板です。地雷の埋設には2種類あり、計画的に設置するものと、飛行機などで空中からばら撒くもののがあります。前者はどこにいくつ設置したかのデータがあり、撤去が簡単ですが、飛行機からばら撒いたものはやっかいです。とくにプラスチック地雷は金属探知機でもなかなか反応しないので、探すのが難しいそうです。

電信柱の後ろにあるフェンスがDMZの南側の境界です。このフェンスの右側はDMZ、左側(道路側)は民間人統制区域です。

ウルチ展望台。韓国にはこのような展望台が11箇所あり、ここが南北の距離が一番近いところ。北側が2キロより狭くフェンスを立てたので、南側も近づけたため、はばは1キロちょっとだそうです。1階は兵士たちの事務室、2階が展望台です。

展望台から南側を眺めます(こちらは写真OK、DMZがわはだめです)ここは「パンチ・ボウル」といわれていた激戦地。

左から朱宮さん、ソ局長と同じようにクライマーです。真ん中がジン・ヒョジンさん。いつも元気で笑顔のイファ女子大学の学生さん。右が福田さん、日本側の担当者。

小此木さん、朱宮さん、ドライバー担当のジェゴンさん。なぜかお昼はジャジャン麺です。