韓国雑記帳~韓国草の根塾&日韓環境情報センター&ジャパンフィルムプロジェクトブログ

韓国に暮らして30年。なぜか韓国、いまだに韓国、明日も韓国。2022年もよろしくお願いします。

ヘバラギのサランウロ

2009-05-30 02:16:51 | ソウル・メモリーズ~7080
 ヘバラギ(韓国語でひまわりと言う意味)という男性2人組みのグループの歌で<사랑으로>というとても有名な歌があります。こちらの飲み会などでよく〆に歌われますが、とてもいい歌です。

   내가 살아가는 동안에 할 일이 또하나 있지
   僕が 生きている間 やる事はもう一つあるだろう

   바람부는 벌판에 서 있어도 나는 외롭지 않아
   風吹く 野原に 立っていても 僕は寂しくない

   (中略)

   아아 영원히 변치않을 우리들의 사랑으로
   ああ 永遠に変わらない 僕たちの愛で

   어두운 곳에 손을 내밀어 밝혀 주리라
   暗いところに 手を指し出し 明るくしよう

 こんな歌詞ですが、実は先日なくなったノ・ムヒョン前大統領が好きだった歌でした。昨日行われた<国民葬>の後半、ソウル市役所前で行われた<野辺送り>の最後でこの歌が歌われました。最初の出だしの部分は、ノ・ムヒョン前大統領の肉声です。

故ノム・ヒョン前大統領 <May 29, 2009>


 20万人とも40万人とも言われる市民が一緒に歌って送りだす光景は、感動的でした。これほどまで国民から愛され、親しまれた政治家がどれだけいたのだろうかとあらためて考えさせられました。

 この<野辺送り>で司会をしていたキム・ジェドンのコメントも、とても感動的でした。ノ・ムヒョン前大統領の残した遺書のワン・フレーズごとにコメントを述べましたが、会場にいた人たちや僕のようにテレビで見ていた人たちの複雑な気持ちを的確に代弁してくれました。このコメント、明日にでも探してみます。

ノ・ムヒョン前大統領の自殺~その2

2009-05-25 02:33:36 | 韓国あれこれ
 一昨日から、韓国のテレビはノ・ムヒョン前大統領の自殺に関連した特別番組一色です。

 今更ながら、大統領経験者の自殺というショッキングな事件に、なんとも言えない複雑な気持ちでいっぱいです。日本の一部マスコミやブログを見ると、親北朝鮮ということでノ・ムヒョン前大統領のことを批判している文章もありますが、そんな文章を見ると実際のこちらでの皮膚感覚とかなり距離があるなと感じてしまいます。良くも悪くもノ・ムヒョンはキム・デジュン元大統領のあとを受け、韓国の民主主義をもう一歩進めた人物です。それは、韓国各地にある市民運動や住民運動の活発さや市民の自主的な行動で表れています。日本なんかより、ずっとしっかりしてる感じがします。もちろん、行き過ぎや弊害があったのも事実ですが。

 以前ブログで<脇の甘さ>を指摘しましたが、どうも今回の事件(検察の調査~自殺にいたるまで)は誰かがシナリオを書いて演出したような気がしてなりません。ノ・ムヒョン前大統領とその周囲の人たち(一番のポイントは家族と親戚でしょう)の弱点を利用され、今回の事態になったのではないでしょうか。つまり、進歩的な民主党(開かれたウリ党)から保守的なハンナラ党への政権交代を背景にして、今までの時計を逆戻りされるというシナリオの1シーンのような気がするのです。

 どんな弱点があったか、まだ全貌は明らかになっていません。検察やマスコミだけの説明ではどうも納得できない部分があります。法律上の有罪、無罪はさておいて、清潔で庶民的なイメージがはじめから選挙用の看板に過ぎなかったのか、あるいは何かをきっかけにして、ノ・ムヒョン前大統領やその周囲の人たちが巻き込まれたのか、もしかすると積極的に政治的腐敗の道に進んだのか? いつの日か真実が明らかになることを期待します。それこそノ・ムヒョン前大統領とノサモ(支持者グループ)が目標としたことなのではないでしょうか? 

ノ・ムヒョン前大統領の自殺

2009-05-23 11:52:26 | 韓国あれこれ
盧前大統領午前8時30分ごろ死亡、慶南警察庁(聯合ニュース) - goo ニュース

 朝、何気なくテレビを見ていたら、ニュース速報がテロップで流れました。しばらく、放送局ごとに「死亡した」「病院へ移送中」「まだ未確認」「服毒した」などいろいろな情報が交錯しましたが、結局9時半に亡くなったそうです。

 この項目、あとで付け加えます。

英語も日本語も上手なパク・チソン

2009-05-23 01:22:24 | 韓国あれこれ
 今日のスパーツニュースでサッカーのパク・チソン(マンチェスターU)の英会話の実力が話題になっていました。ネットで検索してみたら、けっこうパク・チソンの英語のインタビューがありますね。

Park Ji-sung English interview


 結構上手じゃないかと思いますよ。イチローなんかより、はるかに上手い(笑)。日本のサッカー選手と比べるとどうだろうかな?

 さて、ご存知のようにパク・チソンはJリーグで活躍しました。なので、日本語も上手ですね。

Park Ji Sung speaks Japanese


 日本人より韓国人のほうが英語が上手で外国語をマスターする能力が高いとよく言われますが、こんな画像を見ちゃうと、そんな気になってきます。やっぱり、カギはイチローですね。彼に英語だけでなく韓国語も上手になってもらえれば、日本人も外国語が上手い! と言われるでしょう。

 それにしても、パク・チソンのプレーはすごいですね。最後の最後までボールに食いついていく精神力と技術は世界一流です。ため息が出てくるぐらいですね。

キムドクス・サムルノリのこと

2009-05-21 01:10:16 | ソウル・メモリーズ~7080
 韓国で暮らすようになったもう一つのきっかけが、キムドクス・サムルノリです。

Kim Duk-soo, Samulnoree


 サムルとは四物、ここではチャンゴ、プック、チン、そしてクェンガリの四つの打楽器のこと。ノリは遊びのこと。この二つの言葉を繋げて、舞台パフォーマンスにしたのがキムドクスたちです。韓国各地に伝わるプンムル、いわば韓国版の神楽ですね、これをいろいろアレンジして70年代の後半に作ったわけです。

 ですから、音楽自体、とくにチャンダンとよばれているリズム・パターンとその組み合わせは伝統そのものです。ですが1時間半程度の舞台パフォーマンスとして再構築したところは、キムドクスたちの才能の結果でしょう。キルノリ(入場パフォーマンス)、コサ(お祈りとピナリという唱)、アンジュンパン(座って演奏するもの)、パンクッ(踊りながら演奏するもの)、フィーナーレと続いていく一連の流れは、ものすごい迫力でした。
 
 このサムルノリに夢中になったのです。
 80年代の中盤から後半まで、東京周辺で行われたコンサートはほとんど行きました。芝の増上寺、サントリーホール、世田谷美術館、荒川区民ホール、高麗神社、横浜、五反田の簡易保険ホールなど、今では信じられないぐらいです。僕だけでなく、そんな<追っかけ>をする日本人や在日韓国人が何人もいました。
 結局、コンサートに行くだけでは物足りず、チャンゴを習い始め、キムドクス本人に習う機会もありました。そして、芸は身を滅ぼすという言葉の通り、勤めていた職場をやめて韓国にまで来てしまったわけです。

 今では手元にチャンゴもありませんし、コンサートに行く機会もありません。でもあの時覚えたチャンダンは今でもしっかりと体に染み付いています。たぶん、一生忘れることはないでしょう。チャンゴについては思いがありすぎて、書いても書いても足らないぐらいです。

 いったい何が僕を、あれだけ夢中にさせ、韓国で暮らすようにさせたのか、まだよく分からないのが正直なところです。それだけのインパクトが何だったのか、ぼちぼち考えて見ましょう。 

トッポッキ

2009-05-18 16:21:40 | 韓国料理の世界
 さて。新しく<韓国料理の世界>を始めます。実は韓国料理の世界化10ヵ年計画というのがありまして、今年はトッポッキもその中に入っているそうです。

 
 
 屋台で食べるのも美味しいですが、<ダシダ>という人工調味料をたくさん使うところが多いので、ちょっと困りますね。美味しいコチュジャンをちゃんと使って、甘味のポイントになる砂糖を上手に使えば、美味しいトッポッキが作れます、~訂正~作れるはずです(笑)

 この砂糖の使い方が、けっこう難しいんです。どうも日本の味に慣れていると、コチュジャンの辛くてほんのりとした甘さ、これを砂糖を使ってしっかりした甘さにするわけですが、そのためには結構、砂糖の量が多いのです。この味が出せたら、あなたも韓国料理のプロになれますよ。

 僕の場合、作るたびに味が変わってしまい、とても美味しいときもあれば、ぜんぜんダメなときもあります。トッポッキひとつとっても、奥が深い! というのが今日の結論です。

 

ヤン・ヒウン&キム・ミンギのアチムミスル(朝露)

2009-05-17 00:22:23 | ソウル・メモリーズ~7080
 韓国の歌の中で、いちばん思い入れのある歌がこの歌です。

ヤンヒウンのアチムミスル(朝露)


 動画ファイルは、KBSで放送中の<7080>という70~80年代の思い出のメロディーを聞かせてくれるテレビ番組のもの。真ん中ぐらいから歌が始まります。全般部分はこの歌についての解説。内容を知りたい方はコメント欄に書き込み、お願いします。

 僕がまだ日本で暮らしていた頃、ちょっとしたきっかけでこの歌を知りました。当時、韓国では歌ってはダメ! という歌に指定されていて、テレビはもちろん、外で歌うのもダメだったそうです。歌詞には政治的な主張とかスローガンもないのに禁止になったのですから、当時のパク・チョンヒ政権がどれほど抑圧的だったのか分かると思います。

 僕が韓国で暮らし始めた頃には、ようやく歌えるようになりました。一番好きな歌は<アチムミスル>だよと韓国人に言うと、なぜ知っているんだ、と必ず聞かれたものです。いろんな人と、いろんな場所で歌った歌、アチムミスル。僕が韓国にかかわりだしたルーツのひとつです。

 

スローフードの街、南楊州(ナムヤンジュ)

2009-05-15 23:12:10 | 梧南里(オナムリ)便り~韓国ニュースあれこれ
 南楊州市の住民になって20日ほどが過ぎました。どんな街なのか、市役所のHPを検索していたところ、南楊州市役所にスローフードの担当部署があり、積極的にスローフード運動にかかわっているのを知りました。
 また、スローフードとの関連で、2011年には世界有機農業大会を開催し、2012年にはスローフード世界大会の誘致を行っているそうです。

 じつは昨年、観光公社の視察ツアーで<スローシティ>に指定されている全羅南道の青山島(チョンサンド)、潭陽(タミャン)、新安郡の曾島(チュンド)、長興(チャンフン)の4箇所を回ってきたことがありますが、このスローシティはスローフード運動から派生したもの。まさか、引越し先の南楊州でスローフードやスローシティに出会うとは思ってもいませんでした。

 昨年のラムサールCOP10での日本と韓国のNGOや行政、研究者などの交流に係ったものとして、ぜひ韓国のスローフードや2011年に行われる世界有機農業大会に積極的に参加しようと思っています。世界有機農業大会は、1972年に作られた国際有機農業運動連盟(IFOAM)の世界大会で、2011年に開かれる大会は17回目の大会になるそうです。とくにアジア地域では始めて行われる大会なので、日本を始めアジア各地からの有機農業に関連する人々や機関、団体の参加が期待されます。

 南楊州の作ったスローフードのパンフレットがありますが、<Good, Clean and Fair>というスローフードのスローガンがきちんと表紙に書かれています。スローフードというと、ハンバーガーなどのファーストフードの反対の概念だと思い込みやすいですが、それだけではないようです。パンフレットの説明を引用してみます。

 

 …スローフードは、いまやファーストフード反対運動から一歩先に進み、
・地域農産物を利用すること(消費者と生産者との連結、日曜菜園の推進)
・安全な食べ物と味の喜びを再発見する
・地域の伝統のもの(生物多様性、土壌、生産方法、料理法、食べ物など)の保存
・農業従事者、漁業従事者など食料生産者の保護と支援
・消費者の味覚教育を通した味覚の回復と味の研究
・環境保全型の食糧生産を通した地球生態系の保護
・スローライフ運動

 など範囲を広げ、スローフード運動は新しい生活文化、実践哲学を示しています…

 と、お役所がつくったパンフレットにしては、かなりラジカルですね。こんな内容が役所のパンフに載る事が、韓国らしいところかもしれませんね(笑)

 僕もラジカルなことが好きな人間ですので、南楊州でスローフード運動にかかわることになりそうでう。(続く)


観音峰に登りました

2009-05-11 23:10:55 | 梧南里(オナムリ)便り~韓国ニュースあれこれ
 日曜日、アパートの裏のハイキングコースから登り始め、観音峰(カヌンボン)に登りました。

 

 途中で薬水(ヤクス=湧き水)が出るところがあるので、そこで一休み。そのあと、30分ほどで頂上まで登りました。頂上からは成長中のニュータウンが一目で眺められます。連れ合いが先日登った時は、ソウル市内の南山が見えたとか。ちょっと木に隠れるところもありますが、なかなか眺望は良いですね。

 

 帰りは薬水(ヤクス)を瓶に入れて、家に持って帰りました。塩素のにおいもしない、ちょっと甘みを感じる水です。ちゃんと、南楊州市役所で3ヶ月に1回検査をしているそうなので、まあ大丈夫そうです。これから天気のいい日は、時間が許す限りこの水を汲み(?)に行こうと思っています。

 

梧南里(オナムリ)便り2~裏山を歩く

2009-05-05 00:16:42 | 梧南里(オナムリ)便り~韓国ニュースあれこれ
 南楊州(ナムヤンジュ)の梧南里に引っ越して2週間が過ぎました。

 ようやくこの週末に裏山を登ってみました。思っていたよりもずっと本格的なハイキングコースで、途中のベンチのある広場(?)まで登って帰ってくるだけで2時間ぐらいかかりました。観音峰(カヌンボン)と呼ばれている山頂までは、もうちょっと行かなくてはいけないそうです。

  ここが登り口です。アパートの敷地とつながっています。

  最初はキツイ登りです。ここを過ぎればあとは尾根にそって歩けます。 

 山道はけっこうきちんとしていていますが、道案内の表示がないのがちょっとたいへんですね。途中で訪ねながら歩いていきました。道を押しててくれたおばさんグループは薬水(ヤクス=湧き水)を飲みに来たそうで、帰り道にこの湧き水を飲んでみましたが、けっこう冷たくて美味しいかったですよ。うっかり写真を撮るのを忘れてしまったので、次回には必ず撮ります。

  岩場の上から朴のアパートを眺めます。 

 途中、固定されているロープで岩場を登るところがありましたが、ここを登りきると岩の上から南楊州の街が目の前に広がります。この景色を見るだけでも、登って来た甲斐がありました。

 ソウル市内の山とは空気や土が違うみたいですね。とにかく、家から直接いけるのですから最高です!