(これは昨年の12月、嵯峨野に行ったときのもの。ですからまだ紅葉が随分残っています。
今頃出してきました。出し遅れです・・)
常寂光寺は、百人一首でも詠まれる小倉山の中腹の斜面、藤原定家の山荘があったと伝わる地に、
慶長元年(1596)に日蓮宗の寺として開山。
簡素な山門をくぐり仁王門。南北朝時代の建立。藁葺屋根が珍しい。
石段を上った奥の高みに多宝塔が立ちます。ここからは嵯峨野も一望のもと。
多宝塔は江戸時代初期の元和6年(1620)の建立。
高さ12.3m、檜皮葺。特に上層の四手先組物は見事。
上層部がやや高く造られているよう。これは、斜面に立地し下から見上げることを
前提にした設計とも思えます。重文指定。
この塔は、国宝・重文指定の40基の多宝塔のなかでは時代が下るもので、
若い方から数えて6番目に当たる。しかし、その立地も相まって、木組と屋根の
見事さは特筆すべきものと思われました。
私としては13番目の多宝塔を見せていただいたことになるのですが、あの大阪泉佐野野の慈眼院
の多宝塔とともに特に印象深いものとなりました
今頃出してきました。出し遅れです・・)
常寂光寺は、百人一首でも詠まれる小倉山の中腹の斜面、藤原定家の山荘があったと伝わる地に、
慶長元年(1596)に日蓮宗の寺として開山。
簡素な山門をくぐり仁王門。南北朝時代の建立。藁葺屋根が珍しい。
石段を上った奥の高みに多宝塔が立ちます。ここからは嵯峨野も一望のもと。
多宝塔は江戸時代初期の元和6年(1620)の建立。
高さ12.3m、檜皮葺。特に上層の四手先組物は見事。
上層部がやや高く造られているよう。これは、斜面に立地し下から見上げることを
前提にした設計とも思えます。重文指定。
この塔は、国宝・重文指定の40基の多宝塔のなかでは時代が下るもので、
若い方から数えて6番目に当たる。しかし、その立地も相まって、木組と屋根の
見事さは特筆すべきものと思われました。
私としては13番目の多宝塔を見せていただいたことになるのですが、あの大阪泉佐野野の慈眼院
の多宝塔とともに特に印象深いものとなりました
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