先週の20日(土)に散歩で小田原の県立諏訪の原公園へ、長女親子と一緒に来たのが最後ですから、2年半振りでした。
公園内の多目的広場の北側?に石製の鳥居があり、その奥30m前後ほど先に社殿が鎮座。日当たりは良好の場所ですね。
この鳥居前の旧参道はやや広く、戦前前までは競馬が行われていた様。神事としての流鏑馬などと同じでしょうか?
やや小ざっぱりとした拝殿の前には、一対の灯篭と狛犬が配置されています。灯篭はそれなりの年月を感じさせます。
年代を確認するのを失念しましたよ・・歳だな~
左(西)は口を閉じた吽形の子取り雌(陰)、右(東)は口を開けた阿行の玉取り雄(陽)。口の中が赤く塗られていない。
この狛犬の配置が今は多いですね、ただ子取り&玉取りではない像もあり。
この狛犬像自体は古さを感じない、この茶色に染まった台座には、昭和15年寄贈と彫られていた?その年月は経ていないね。
拝殿の右横に、この様な「参拝の作法」が親切に書かれていました自分もいつも迷うので有り難いです
拝殿の西側に大きな銀杏の木がありますが、この20日(土)現在では写真のような青葉状態でした
追記:
ご祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」と「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」興味のある方はご自分で調べてね
起源は不詳?ただ武田家滅亡の後、仕えていた先人がこの地に移住、里武士になり造営と言われている?
推定1573(天正)~1595(文禄)の間の造営らしい?江戸時代までは長野の諏訪大社と同じく上、下の2社だったよう?
大正の関東大震災で倒壊後、大正15年に再建されたようです。武田家と繋がりがあるか諏訪だから当たり前か?
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公園内の多目的広場の北側?に石製の鳥居があり、その奥30m前後ほど先に社殿が鎮座。日当たりは良好の場所ですね。
この鳥居前の旧参道はやや広く、戦前前までは競馬が行われていた様。神事としての流鏑馬などと同じでしょうか?
やや小ざっぱりとした拝殿の前には、一対の灯篭と狛犬が配置されています。灯篭はそれなりの年月を感じさせます。
年代を確認するのを失念しましたよ・・歳だな~
左(西)は口を閉じた吽形の子取り雌(陰)、右(東)は口を開けた阿行の玉取り雄(陽)。口の中が赤く塗られていない。
この狛犬の配置が今は多いですね、ただ子取り&玉取りではない像もあり。
この狛犬像自体は古さを感じない、この茶色に染まった台座には、昭和15年寄贈と彫られていた?その年月は経ていないね。
拝殿の右横に、この様な「参拝の作法」が親切に書かれていました自分もいつも迷うので有り難いです
拝殿の西側に大きな銀杏の木がありますが、この20日(土)現在では写真のような青葉状態でした
追記:
ご祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」と「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」興味のある方はご自分で調べてね
起源は不詳?ただ武田家滅亡の後、仕えていた先人がこの地に移住、里武士になり造営と言われている?
推定1573(天正)~1595(文禄)の間の造営らしい?江戸時代までは長野の諏訪大社と同じく上、下の2社だったよう?
大正の関東大震災で倒壊後、大正15年に再建されたようです。武田家と繋がりがあるか諏訪だから当たり前か?
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