KAZASHI TREKKING CLUB

四国の山を中心に毎週楽しく歩いています。

途中棄権で岳人の森でカメラの練習

2024年05月11日 | 四国の山


今週はあきらめが悪くて西赤石山のアケボノツツジを狙っていたけれど、どうやら天気

が西から崩れてきそうだった。そのうえYAMAPで下調べをしても、今年の兜岩から

西赤石山の北面の写真はあまりパッとしない。それなら少しでも天気が崩れる時間が遅

い東に向かって出かけてみようと行先変更。

そこで目についたのがYAMAPにアップされていたoimoさんの写真。この方の写真は

いつもとてもきれいで見惚れてしまう。直近でアップされていた鹿舞ダキ山・砥石権現

のカタクリ、そして岳人の森のヒメシャガの写真も青空の下の、ステキな写真ばかりだ

った。今日は恐らく良くて曇り空、雨も降ってくるかもしれない。それでも最悪岳人の

の中ならマシな写真が撮れるかもしれないと思って出かけてきた。


ところが自宅から前山ダムを越え多和辺りからフロントガラスに細かな雨粒。脇町の手

前で南側が開けた場所からは、視線の先の山々には灰色の雲が重くのしかかっていた。

美郷物産館の道路を挟んだ駐車場でおち合い、そのまま私の車で国道193号線を神

山町へ倉羅峠を越えていく。峠に差し掛かると今まで後ろで賑やかに話をしていた

リちゃんとあっちゃん
の二人が急に静まり返った。目を閉じ無口になったあっちゃん

は大抵車酔いをしている。神山町に入り大塚旅館から右折して更に南に向かう途中、

大中尾集会所の横の公衆トイレで用を済まそうと、車から降りたあっちゃんの顔色は

真っ青だった。大中尾集会所からも更にクネクネ道が続き何とか観月茶屋の前に車を

停めると、外は霧雨。『山の中ではご飯が食べられないと思うので、降りて来てから

のお昼になります。』と声掛けをして雨具を着込む。観月茶屋は10時からの営業なの

で、入り口の扉にはまだ『CLOSE』の札が掛けられていたが、扉を開けて声をかけて

みつるさんに入園料を払うと、『砥石権現までならこの天気ですから注意してください

ね』と声をかけてもらう。




観月茶屋の裏から岳人の森へと登って行くと、さっそく道の脇に小さな可愛らしい花が

咲いていた。それを見ながら時々立ち止まっては『あ~だこうだ』と話をしている奥様

たち。このままだと登山口にいつまで経ってもたどり着けそうにないと思い、『お花の

観賞は山から下りてからにしましょう』と声をかける。








茶屋の上の道から一つ目のカーブを曲がるとひときわ犬の吠える声が大きくなった。近

づいてみるとけっこう強面の人相、いや犬相をしている。








園内のコンクリート道を何度か曲がり登って行くと砥石権現の登山口になる。ここから

山田 勲さんが、それまであまりはっきりしていなかった砥石権現への道を、個人で

整備した『砥石新道』になる。と言っても岳人の森自体もほとんど個人で整備してきた

のだから、その苦労たるや想像を絶する。







登山口からは九十九折れの道が続いていく。先週の佐々連尾山では歩き始めこそ膝の調

子が悪かったが、しばらくすると体が温まってきたのか膝の違和感もなくなった。ただ

アケボノの丘への下りと、帰りの大森山からの下りで傷み始め、山から帰ってからは階

段の上り下りで難儀していた。先週のそんな感じもあったので今日も歩いているうちに

痛みはなくなるだろうと思っていたが、なぜか今日は登りで痛みが治まらない。このま

ま登って行っても酷くなりそうな感じがしたので1142mの標高点の手前で、奥様た

ちに事情を説明して途中棄権することにした。oimoさんの活動日記には砥石権現の稜線

でカタクリの花が咲いている写真が載っていたので、まだ今年は見ることができていな

いカタクリの花をぜひ見たいと思っていたのに残念だ。

登山道に薄く霧がかかっているいる中、ひとりショボショボ登ってきた道を降りていく。










登山口を通り園内の順路と書かれた案内板とは逆行して通路へと入って行くと、さっそく

道の脇には目当てのヒメシャガの群生。シャガに似ていることからその名が付けられたよ

うだが、シャガの花びらの濃い紫と黄色の模様があるのに比べると、その小ささもあって

か控えめな雰囲気のするヒメシャガ。










静かな森の中の小道の両側に隙間なくびっしりと咲いているヒメシャガ。花こそ違えど、

2月に高知の加茂で見た林床に小さく咲く、バイカオウレンの森とと同じような雰囲気

もする。

もちろん晴れた日も木漏れ日の中の道でいいけれど、今日のように霧がかかった森の中

も、また違った雰囲気がいい。







山田さんが重機を使って人工的に作った『ゆきしろの池』の周りにも、貴重な花がたく

さん植えられ咲いている。クリンソウ、エビネランのどちらも独特な花の形と色をして

いて、緑の森の中でひときわ目立っている。クルッと花びらが丸くなってあちこち向い

ているヤマブキソウは森の中で遊んでいる園児の様だ。














森の斜面に周遊するように造られた道。その道に沿って右に左に目をやると、まるでアヤ

メのミニチュアの様なヒメシャガがびっしりと咲いている。














森の中から舗装路まで戻るとオンツツジの花が目立つ中、珍しい黄色い花びらのツツジ。

相変わらず山は雲に覆われている。すると上の方から奥様たちの聞き慣れた声が聞こえ

てきた。『お疲れ様!』と声をかけ、取りあえずお弁当を取りに車まで戻ると、駐車場に

奥様たちの地元のバス会社のワゴン車が停まっていた。店の中から出てきた方が何やら

袋を下げている。『このわらび餅は天然のわらびを練り込んでいるんですよ!』と教えて

くれ、私の車のナンバーを見て『どちらから?』と尋ねられた。あっちゃんが『同じ地元

です!』と答えると、『まぁこんな所で!』と皆さん笑顔になる。
















ワゴン車の出発をみつるさんご夫婦と一緒に見送ったあと、三人でわらび餅を予約して弁

当を抱えてまた森の中へ。

途中にある東屋でお弁当を広げた後、三人で今度は順路に沿って歩いて行く。




途中の道の脇にも咲いていたヒメシャガだが、森の中一面に咲いているのを見て奥様たち

も感激している。











私はと言えば、カメラを抱えて色々と試しに設定を変えながら写していく。ただ足元に

咲く小さな花を、膝を屈んで撮るのがなかなかの苦痛だ。











薄緑の林床の中に藤紫のヒメシャガの花が咲き、赤褐色のヒメシャラの木の幹が新緑の

周りの景色のアクセントになっている。静かな雨露に濡れた森は傘をさす夫人の姿が似

合っている。










オダマキは昨年大山で見て以来。ユキザサと一緒にチゴユリも咲いているけれど、小さ

すぎてマクロで撮って拡大してみてやっとユリらしく見える。











50年に渡ってこの森を造り育ててきた山田 勲さん。23歳のころに父親にこの場所に

植物園を造る構想を話したところ最初は取り合ってもらえなかったが、母親が一緒になっ

て説得してくれ、当時山の共同所有者だった7人を説得して所有権を譲渡してもらうとこ

ろから始まった岳人の森。県道は舗装路ではなく電気も水道もなかった時代から苦労に苦

労を重ねて今に至っている。1月の事故の話も聞くが、何とか回復してまた森の中で仕事

をしている姿をみたいと思っている。



え!アケボノ狂想曲はもう終わり??

2024年05月03日 | 四国の山


先々週、工石山で始まったアケボノ狂想曲も、先週の休みは雨で出かけられず、二週間

空いてしまうと、YAMAPを見ると主だった場所ではもう終盤と書かれている。今日

予定した佐々連尾山アケボノの丘も日曜日には大勢の人で賑わっていたようだが、月

曜日の夜には風を伴った雨、そして昨日も雨が降って半ばあきらめムード。それでも少

しは頑張って花を散らさずに残っていてくれるのを期待して出かけてきた。

法皇トンネルを抜け下って行くと、金砂湖にかかる赤いひらのはしを凪いだ湖面が鏡の

ようにきれいに映し出していた。











銅山川に沿って走り、途中猿田川橋の手前から左折して南へと走って行く。最終集落を

過ぎ、杉林の中の道になると4カ所ほど未舗装の場所があるが、ゆっくり走れば問題は

ない。白髪隧道を抜けると2台の車とバイクが1台停まっていた。すでに皆さんスター

トしているようなので、私たちも身支度をして歩き始める。








汐見川の最上流部になる沢沿いの荒れた作業道を登って行くと、昨日の雨のせいか道の

至る所で脇から水が流れ出ていた。今日はルリちゃんがお休みであっちゃんと二人での

山行なのでのんびりと思ってたら、最初からあっちゃんのぺースが早くてすぐに息が

切れ始め、左膝に違和感が出てきた。










道の正面に小さく佐々連尾山と書かれた案内板から左手に登って行くと、『佐々連尾山へ』

の案内板。道は杉林の中の道になり九十九折れの道を過ぎると、石畳の名残りのような

荒れてはいるが平らな石の道が続いている。スタートから25分ほどで猿田峠に着いた。










形が独特な住友の鉄塔の横で北側の山並みを眺めていたら、玉取の大カツラの方から林

道を一台の車が上がってきた。『さすが四駆だけある、私の車では無理だな』と思いなが

ら見ていると、男性二人と女性一人が降りてきた。見覚えのある車だなと思いながら、

軽く挨拶をして峠を後にする。見上げた大森山方面にはまだガスがかかっている。









1194mの標高点を過ぎると道の勾配も徐々に急になって行く。新緑の中、鳥の鳴く

声が響き渡っている。道の脇にはミツバツツジがチラホラ咲いていた、














※画像が粗い場合は歯車マークをクリックして、画質を1080Pにするか、youtubeを見る
 をクリックしてください。


すると今日最初のアケボノツツジ。残念ながら空はまだ白く薄いピンクの花は、その光

の中に溶けている。



あっちゃん、ここは右に回り込むよ!



大岩が次々と現れると、最初のロープ場。以前はロープだけだったが昨年登った時にも

ロープと別にアブミがかかっていた。揺れるアブミに足をかけて登るのは少しコツがい

る。片足をアブミに足をかけ、もう片足を岩に足をかけて登って行く。

次のロープ場は傾斜もゆるく意外と簡単に登っていけた。ただ木の根にのってしまうと

ツルっと滑るので注意が必要だ。











大岩を回り込んだりロープを使って登ったりと子供がいたら喜びそうな、まるでアスレ

チックのような道。アケボノツツジも少しづつ顔出しをしてくれ始めている。














最初の展望岩の下で道を外してロープ場を通り過ぎてしまう。木の枝や幹を掴みながら

岩の頂部をめがけて登っていると、チェーンアイゼンが落ちていた。冬場に道を外れた

場所で、アイゼンがなかったら大変だっただろうな?

展望岩から南を見ると汐見川の下流はまだガスがかかっている。工石山や白髪山はガス

が流れて山容が確認できたが、反対の北側の二ツ岳は雲の上にチョコンと頭をだしてい

るだけだった。














ここで猿田峠でお会いした三人さんも登ってきた。『駐車している車が見えますよ!』な

どと話をしながら男性のザックを見てみると『granpa』ろ書かれた名札が目に付いた。

granpaさんですか?』と声をかけ『YAMAPでフォローさせてもらっています』と

言うと『おたくは?』と聞かれたので『KAZASHIと言います』と答えたら、YA

MAPで見覚えがあったらしく、そこから色々と話が始まった。








granpaさんたちには『お先に!』とあいさつをして、しばらく登って行くと大森山山頂

近くはなだらかな尾根道になる。後から出たはずなのにgranpaさんご一行はもう後ろに来

ている。ミツバツツジの濃い赤紫とバイケソウの緑が続く気持ちのいい尾根道。









わざとらしく疲れた顔をしてみる










大森山でザックを下ろして行動食を口にしていると、三人さんはすぐにやってきて、少

しして今度は先に歩き始めた。天気予報では午前中が晴れで、午後から曇りになってい

た。北側の法皇山系にはまだ雲がかかっているが、それでも青空が顔を覗かせている。

ただこれから行く佐々連尾山方面はまだ薄曇りだった。













大森山からの尾根はブナと笹の気持ちのいい道。大森山の手前から道の脇のバイケイソ

ウが何本も茎から刈り取られていた。切り口が真っすぐなので動物ではなく、人が刈っ

た様子だけれど、歩くのに邪魔になるほどでもないし、いったい何のため?だろう。

尾根の先の大岩に、先に歩き始めたgranpaさんが立っているのが見える。『速いな~!』











granpaさんが立っていた展望岩まで来ると西に土佐のマッターホルンと呼ばれる山頂近

くが尖った登岐山が見える。この猿田峠から玉取山、兵庫山、そして登岐山・野地峰

かけては、線で繋いでいる時にけっこうしんどかった区域だ。その登岐山までの稜線を

眺めながら、二人で『線を繋いででよく歩いたね!』と話をする。
















展望岩から見える一つ目のピークを過ぎると、佐々連尾山までは笹原の道。大森山辺り

は愛媛県側がなだらかな笹原だったが、この辺りは高知県側が比較的なだらかな笹原に

なっている。反対側の樹林帯も背が低く見晴らしのいい尾根道が続いている。














佐々連尾山には三人さんの姿はすでになかった。代わりに男女のペアが歩き始めたとこ

ろで『こんにちは』とあいさつをして山頂で入れ替わった。

時間は11時半前。当然あっちゃはお昼ごはんを食べる場所を気にしている。『もう少し

先のアケボノの丘に下りる途中の林道でいいですか?』と聞くと『ハイ!いいですよ』と

意外な返事が返ってきた。いつもなら今が待てないように言って、この山頂でごはんにし

ましょうと言うはずなのに・・・・でも考えたらすでにおにぎり2個は頬張っている。





佐々連尾山からアケボノの丘への分岐へと歩いて行くと、三人さんが尾根の先でお弁当を

広げていた。さすが360度の景色が広がる抜群のロケーションに、『いいですね綺麗な場

所で!』と声をかけて先を行く。











途中でピンクのテープが枝に巻かれた場所から北東に進んで下って行く。佐々連尾山から派

生するこの支尾根もブナの木の尾根道。林道の手前で最後に段差を慎重に林道へと降り

て、『さあそれではお昼にしましょう!』

横に長い岩をベンチ代わりにして腰掛けお弁当を広げていると、下から男性が登ってきた。

ちょうど我々が座っている岩が道を塞いでいる。『すみませんね!』と声をかけ、『アケボノ

はどうでした?』と聞いてみると『え~まだ綺麗でしたよ!』と教えてくれた。
















林道から鞍部に向かっての道もブナや大岩が点在する雰囲気のいい支尾根の道。佐々連

尾山
からここまでの下りで、今日初めて膝が差し込んできた。時々ポキポキと音をたて

ていたが、急な下りになるとやはり膝に負担がかかるようで、炎症を起こさなければと

思うが、それでも周りの景色がそんな不安を忘れさせてくれる。

















支尾根の右手にはミツバとアケボノの二つのツツジが競い合って咲いている。鞍部を過

ぎると巨大な岩が現れる。二度ほどそんな大岩を巻いて登って行く。













1289mのピークが近づいてくると、お目当てのアケボノツツジのお目見え!昨日の

雨風のせいか足元には結構花びらが散っているが、それでも見ごたえがある。昨年の青

空と比べると薄曇りなのが少し残念だが、それでもアケボノの丘、来て良かった!

先に来ていたgranpaさんたちも、あちこちの木に移動しながら写真を撮っている。























それにしても散っていなくてすべての花が咲いていたらどれだけの密度だろう。何枚、

何十枚と写真を撮り今日は満腹!二週間前にアケボノ狂想曲と謡ったものの、結局今日

で二回目のアケボノツツジ。それも今年は今日で終わりそうだ。



















名残惜しいがまた来年はタイミングもよく、もっと咲いていることを期待しながらアケ

ボノの丘
をあとにする。林道から鞍部はわずか100mほどの標高差だが、登りの急登

に息が切れる。相変わらずあっちゃんはいいペースで登って行く。

















アケボノの丘から一旦下って登り返すと20分弱で林道に出た。ここからは去年と同じ

ように佐々連尾山には戻らず林道を歩いて行く。ただし昨年は林道の最終地点から尾根

に向かって登って行ったものの、急登に飽きて途中からショートカットをしようとした

ら谷筋に当たってしまって、急登どころではない急斜面を四つん這いになりながら登っ

た失敗がある。二の足は踏むまいと今日は大森山の先の緩斜面を登っていた人のルート

をダウンロードしてきたので大丈夫だ。










林道に飛び出したところでgranpaさんたち追いついたあっちゃんが『granpaさんたちも

林道の終点まで行って急登を大森山の尾根へと登って行くそうよ』と教えてくれた。











ダウンロードしたトラックを見ながら尾根へと取り付く場所を見逃さないように歩いて

いたのに、世間話に夢中になってその取り付きから随分先へと林道を歩いているのに気

が付いた。『いかんいかんこれではいつも朝ドラの話をしていて道を間違えるあっちゃん

とルリちゃんではないか!』

地形図を見ると大森山への斜面は等高線も広く緩やかなようだ。少しだけ後戻りをして、

ダウンロードしたトラックとは違う場所から適当に取り付いて登って行く。













最初は杉林の中の斜面だったが、すぐに広い笹原に出た。ここからは笹原を横断する獣

道を時々横切りながら尾根に向かって真っすぐに登って行く。




















すると足元に白い物体が・・・・。二本の角からするとどうやら鹿の頭蓋骨の様だ。

その頭蓋骨をよ~く見ると角と角の間からちょうど縫い合わせたような黒い筋。

人間の頭蓋骨にも縫合があるように、鹿にも縫合があるようだ。








笹原にコバイケソウが目に付くようになるとすぐに尾根道だ。そして大ブナが点在し始

めると尾根道に出た。『林道からは今のルートが楽勝でいいわね!』とあっちゃん。











尾根からあとは下るだけ。ただしこの山域は地質なのか、笹原の尾根でも雨の後は割と

ぬかるんでいる。それが急坂下りやロープ場ともなればなおさら注意が必要だ。











尾根道から少し脇にそれると青空が広がり始めた西側の遠望が効いている。すぐに同定

できるのは、スキーのジャンプ台のような急斜面になった沓掛山。そこから続いている

ように見えるのがちち山だ。東赤石山から二ツ岳、赤星山まで続く稜線もきれいに見え

る。『線で繋ぐ西赤石山から阿讃山脈』で残すところ3回となる区間だ。











案の定まだ気温が上がらず乾ききらない道は、所々でぬかるんでいる。ストックで体を

支えながら注意深く下って行く。こんな所で転んでしまってはせっかく今まで養生して

いた膝が更にまた傷んでしまう。今までだったら何でもないロープ場での下りも、重心

が左ひざにかかると突然差し込んでくる。あっちゃんはいつものようにトントンと調子

よく下っている。

















すると佐々連尾山でお会いした男女のお二人が立ち止まって指さし何やら見ている。男性

が説明をしているようで、あっちゃんが『なにかいるんですか?』と聞くと『キツツキの

仲間だと教えてくれた』男性はガイドの様で鳥の事も詳しく色々とあっちゃんに話をして

くれている。『いた~見えました!』とあっちゃんが声をあげた。残念だが近眼の私には

どこにいるのかさっぱり見えない。



指さす場所をズームで撮るが、的外れだったようだ






『いつも木をつつく音だけは聞いたことがあるけど、姿を見るのは初めて!』といたって

感激したご様子の奥様。その後はルンルン気分で猿田峠まで下って行っている。

峠では先に林道を歩いて行ったgranpaさんたちは未だ着いていないようだった。振り返る

と朝は雲に隠れていた大森山の手前のピークがくっきりと見えた。











そのうちに先ほどのガイドさんたちそしてgranpaさんたちも降りてきた。猿田峠からは20

分ほどで白髪隧道に着いた。すでに車はガイドさんたちの車だけになっていた。











アケボノの狂想曲も狂う間もなく終わってしまった感があるが、それでも頑張って花を残し

てくれていたアケボノの丘。その年の表・裏年、そして直近での天気と花のジャストタイム

に出会えるのはなかなか難しいが、透き通った淡いピンクと、丸くふんわりとした何とも言

えず可愛らしい花びらのアケボノツツジ。また来年に期待して帰路に就いた。

春はアケボノ・・・・・アケボノ狂想曲の始まり

2024年04月19日 | 四国の山

花咲く春はとにかく忙しい『あっちの山に〇〇が咲き始めた』『こっちの山には〇〇が

咲いていた』と聞き耳を立ててというより、目を見開いてWebで見て回る。その点では

YAMAPを始めてから次々とアップされる活動日記で、情報が随分とタイムリーにな

り、割とタイミングを外さなくなってきて、YAMAPさまさまだ。

桜が散って次はと物色していると、工石山のアケボノツツジがチラホラアップされ始め

ていた。まだ少し早いようだが他にもいろいろと草花が咲いているようなので、今回も

買ったばかりの一眼レフの試運転をしに出掛けることにした。

ずっと山歩きをしていて何台もカメラを買い替えたけれど、いずれもコンパクトデジカ

メ。とにかく山歩きの邪魔にならないようにと重さといった点でも二の足を踏んでいた

一眼レフだったが、今回けがをして『ひょっとしたらもう山歩きができないかもしれな

い』と思い『のんびり歩くなら多少かさばっても一眼レフもありかな』と思った。

それとリタイヤ後の趣味の一つとしても、今から写真撮影を覚えておくのもいいかなと。

先週も一応持って出かけてみたら、今までのコンデジでは決して撮らないような素材を

撮っているのに気が付いた。名所に出かけなくても日常でもハッとする瞬間がある。そ

の瞬間を切り取れる写真は、感性が鈍らないようにするのに持って来いの道具だと思う。




ということで今回は奥様たちをお誘いして出かけてきた。

いつもの体育館の下は立ち入り禁止でコーンが置かれていたので、登山口近くの林道の

脇に移動してのスタート。青少年の家の県道を挟んでの山の斜面はまた一段と伐採の作

業が進んでいて、黒滝峰に迫る勢いだ。

足元には次々とかわいいらしい花が咲いているけれど、ほとんど名前が分からず、帰っ

てから他の方の活動日記を見てチェック。






ヒゴスミレ


エイザンスミレ



『今日は三辻山には?』とあっちゃんが言うので、『今日はやめときましょう。前回も通

行止めで迂回したように思うので』と話をして、そのまま工石山方面へ。

奥様たちも私に合わせてくれているのか、立ち止まっては花の写真を撮りながらの、今

日はのんびり歩き。



ジロボウエンゴグサ





フウロケマン




登山口にはけっこうな台数の車が停まっていたけれど、皆さんすでに登っているのか杖

塚にも人の姿はなく、広場の奥の水の流れからツチガエルの低音の鳴き声が聞こえてく

るだけの、いつになく静かな広場だった。



カタバミ







今日のお目当てはもちろんアケボノツツジだが、他にもバイカオウレンやシロバナネコ

ノメソウも見てみたいと、あっちゃんが視力のいいルリちゃんに『見つけてね!』と言

いながら、道の脇を覗き込みながら歩いている。



ミツバツツジ


ツルシキミ




『バイカオウレンはひのき風倒根あたりだと思いますよ!』と言うと『それじゃシロバ

ナネコノメを探しましょう』とまるでお宝さがしの様子。根曲がり杉まで来ると道は割

と平坦になってくる。








白鷲岩で今日お初のアケボノツツジ!何度見てもこの花は色といい形といい可愛らしい。

黄砂と雲のせいで三辻山の北側の峰には雲が登ってきていている。遠望は利かないが、

個人的には久しぶりの山から見下ろす景色が新鮮だ。














高いとこ先っちょ大好きのあっちゃんが、ルリちゃんに注意されながらもやっぱり岩の

端っこに立っている。











白鷲岩をあとに歩きながら、『たしか風倒根の辺りにロープを張っている場所があった

気がします』と言うと『え~そんな所あった~?』とあっちゃんは記憶にないらしい。

疑われながらも歩いて行くと道の脇にロープが張られ、その中にバイカオウレンがチラ

ホラ咲いていた。二月に加茂で初めて見てから二か月以上経つのに、加茂と比べると標

高が高いせいもあってか、まだ散らずに頑張ってくれていた。









風倒根から今日も赤良木展望台へ寄り道。この辺りは太平洋から吹き上げる風が強いの

か、途中の道でも風倒根のように倒れた木が多く、それを避けて迂回路ができている。














展望台からは、先ほどの白鷲岩よりももうひとつ雲がかかって真っ白で何も見えなかった。

そんな中で展望台の脇のミツバツツジの薄紫の花が一段と映える。














トド岩まで来ると雲は流れて北側の景色が開けてきた。ここでもアケボノツツジが今日

二回目のお目見え。ルリちゃんは決して危なそうなところまでは行かないが、あっちゃ

んは気が気でないルリちゃんを他所にまた先っちょに行っている。

















ほとんどの花がそうだが、アケボノツツジは特に青空が似合う。雲の隙間に覗いた青空

と一緒に撮れた写真はこの一枚だけだった。








北頂上には男女の団体さんが腰を下ろして休憩していた。去年は同じ時期にこの頂上を

取り囲むようにしてアケボノツツジが咲き誇っていたが、今日は全く見当たらない。や

はり今年は随分と遅れているようだ。

団体さんに挨拶をしてすぐに南頂上へと歩いて行く。途中の工石神社の鳥居を見てあっ

ちゃんが『こんな鳥居あったかな?』とおっしゃる。『え~~覚えてないんですか?みん

なで神社もお参りしたのに!』

それりゃ仕方がないか・・・・。先ほどまで奥様たちはいつものように朝ドラの話に夢

中だったのだから。











南頂上では二組の人がすでにお弁当を広げていた。ベンチに腰を下ろして今日はざるそ

ばとおにぎり。すると南の方でゴロっとひと鳴り。天気は回復していたはずなのに?






タムシバ


ヤマヤナギ







昼食の後はいつものようにシャクナゲ道をサイの河原へと下って行く。いつも『このシ

ャクナゲが全部咲いたらきれいだろうね』と言いながらシャクナゲの開花の時期には来

たことがなく、今年は是非にと思いながらも果たして・・・・?



バイカオウレン





シハイスミレ



途中の展望岩から南側の景色を眺めるが、やはり黄砂で霞んであまり遠くまでは見渡せ

ない。江戸時代から石灰岩の採掘が行われていたという、山がほとんど平らになった

佐鉱山
は確認できる。土佐鉱山よりさらに大規模に開発された鳥形山の採石場は中津山

から初めて見てそのとてつもない広さに驚いたが、この土佐鉱山もなかなかの規模だ。














サイの河原まで降りてくるとさっそくあっちゃんが何やら探し始めた。最初は休憩所か

ら水上を。『どこにいるんやろね』と言うので『水の流れの所ではなく、溜まりの所じ

ゃないですか』と言いながらそれらしい場所を転々と探していくが見つからない。

そりゃそうだ、この工石山にはもう何回も来て、このサイの河原で探してみたけれど、

見つけられたことがないサンショウウオだ。

















ほぼ諦めかけて休憩所から歩き出し、それでも諦めきれずに道の途中でまた沢に降りて

チラチラと探して見てみると、『イタ~~!』

慌てて近くにいたあっちゃんを呼んで『ほらほらあそこ!』とストックで指して教えて

あげると『キャー』と嬉しい悲鳴が上がった!

しばらく眺めていると水の流れに逆らえなかったのか、サンショウウオは下流へと流さ

れて行ってしまった。その姿を見送った後二人で手をたたいて喜んだ。





ヒノキ屏風岩からの眺望も黄砂の影響でイマイチ。すぐ西側に見える妙体岩も霞んで

見える。高いところ好きの奥様は相変わらず岩に登って行った。







南まわりコースは赤良木園地から派生する複雑な等高線上を辿るようにして続く道。ほ

ぼフラットな道に奥様たちのスピードも上がって行く。標高が下がったせいか、所々で

アケボノツツジが花を咲かせている。途中で見つけた『観音寺東小学校植樹』と書かれ

た標識に『なんでこんな所に?』興味津々のあっちゃん。











支尾根を回り込むたびに淡いピンクの花が目に飛び込んでくる。ただ登山道からは離れ

ているので間の木々が邪魔してきれいには撮れない。

















アケボノツツジもサンショウウオも見られて満足かと思いきや、まだシロバナネコノメ

ソウが諦めきれないご様子の奥様。すると杖塚の手前で二人が騒いでいる。近寄って見

てみると、どうやらやっと見つけたらしくて、お二人ともご満悦!














メインのアケボノツツジはまだまだだったけれども、色々なかわいい花を見られて、おま

けにサンショウウオまでも見ることができた工石山。今からしばらくの間はアケボノツツ

ジで山は賑わう事だろう。花音痴な私もこの花だけはずっと追いかけているので、当分は

楽しめそうだ!


今日他にも出会った花たち




















桜の花びら散るたびに・・・・。

2024年04月11日 | 四国の山

この春の桜の季節ももうそろそろ終わりを告げようとしている。そこで先週の花紀行に

続いて、今週も奥様と花めぐり。

桜の花と言えばここのところのお気に入りはしだれ桜の神山町。全国的に桜の名所とい

えば8割以上がソメイヨシノだが、ここ神山町ではしだれ桜が有名な町。人口5,000人

の町に6,000本の桜が植えられていて、その内の4,000本がしだれ桜だという。

ただ事前にインターネットを調べてみると、先週にはすでに町内の桜は散り始めとなっ

ていた。しかも昨日は雨が降り風も結構強く吹いていた。あまり期待はせずにと言い訳

をして車を走らせた。

途中、今日の目的のひとつの奥様の祖母のお墓参りを済ませ、国道492号線を南に木屋

方面に向かう。道は広くなったり狭くなったりで、大きなダンプカーが対向する度に

ハンドルをキュッと握りしめる。二年前に西の奥様たちと通ったときは、沿道のしだれ

桜が満開で、度々車を止めては写真を撮ったが、今日はほとんどが葉桜になりかけてい

て、あまり見栄えがしない。










木屋平から川井峠への道は国道439号線になる。『つるぎの湯大桜』の看板を見ながら峠

へと向かって高度を上げていくと、何本かのしだれ桜が満開になっていた。『ひょっとし

たら峠のしだれ桜はまだ咲いているかも』と思いながら車を走らせると、その期待を裏

切らずに花を咲かせて待っていてくれた。










たしかに峠は標高700mほどになるので、平坦部よりは開花が遅くなっている。20本

ほどの大きな桜の古木からは、長く垂れ下がった枝に幾重もの花が付き、まるで空から

降り注ぐ桜のシャワーのようだ。








参道に沿って歩いて行くと西側の眺望が開けて、一の森から剣山そして丸笹山が望める。

今まで見たことのないような大きなしだれ桜に、取りあえずは奥様にはご満足いただけ

たようだ。











川井峠から次に向かうのは神通滝。実は今日の私の目的のひとつは神通滝にあった。滝

に向かう途中にミツマタの群生地があるというのを知って、ぜひ一度見てみたいと思っ

ていた。峠から東に国道を下って神山町に入る。途中でいつもは雲早山に出かけるとき

に通る国道193号線に入って神通滝へと向かう。

前回WOC登山部で来た時に車を停めた、ワーゲンの車が捨てられている広場に駐車する。

その手前に『新しい遊歩道』と書かれた矢印看板に従って林道を登って行くと、広い駐

車場にきれいなトイレも新しく設置されていた。














以前は神通谷川の左岸に道が続いていたが、新しい遊歩道は右岸になっている。以前の

道からは行き止まりが神通滝になっていたが、右岸からだと川を渡ることになる。遊歩

道から神通谷川ははるか下を流れているので『果たして川を渡ることができるんだろう

か?』と思いながら歩いて行く。遊歩道は谷側には手すりが設けられているが、足元は

石でガタガタしていて、しかも意外と急な個所もあった。『これって遊歩道じゃなくて

登山道やね』と息を切らせながら奥様が言っている。







するとその遊歩道の先に滝が流れているのが見えた。滝の手前ではコンクリートの階段

を降り、木の一枚板を渡した場所で左岸へと渡って行く。








昨日降った雨で滝の水は勢いよく流れ落ちている。先月梶ケ森の龍王の滝を見た奥様だ

ったが、落差も一段とあり、滝口の光の中から輝き落ちてくる滝の水にひとしきり感動

の声をあげている。











感心して長い時間写真や動画を撮っている奥様の横で『ミツマタ』という名前がぐるぐ

ると私の頭の中を巡っていた。『新しい遊歩道にはそれらしい場所はなかった』、ひょっ

とすると以前の左岸の道にあるかもしれないと思い奥様に『一人で来た道を戻ってくれ

る、私は以前の道を歩いてみる』と話をする。というのも左岸に続く以前からの道は、

すぐ目の前で斜面からの落石で道の体をなしていなかったからだ。










以前からの道はほぼ斜面からの落石で埋まっていた。その土砂が谷側まで覆いかぶさ

って足元が危うく、ヒヤッとする箇所があった。それでも足元と山側の斜面を注意深

く見ながら歩いて行くと何本かのミツマタの木が斜面に生えているのが見えた。

少し山側に登ってみると何となく群生しているような雰囲気があったが、足元が悪く、

しかも奥様が一人で戻っているので時間的に難しく諦めて道に戻る。










ある程度下まで降りてくると道は杉林の中の道になり、歩きやすい道になった。ほど

なく車を停めた広場のすぐ下に飛び出た。するとちょうど上から奥様が降りて来てい

たので手を振る。車まで戻り奥様の顔を見ると涙ぐんでいる。『どうしたん?』と聞く

と、一人で降りて来ていて途中で林の中から物音がして、何かがいると思ってとても

怖かったと仰っている。『それはそれは』と言いながら思わず吹き出してしまう。








神通滝を後にまずは腹こしらえ。以前にも来たことのある『めし処 萬や 山びこ』

ランチを頂く。神山町にはこんなおしゃれなお店が至る所にある。








今日は30年ぶりに買った一眼レフ(以前はフイルムだったが今回はデジタル)のデビ

ュー。まだ設定があまりできていないし取説もないのでオートで撮影。それでも液晶の

モニターではなくファインダーを覗きながら撮っていると、何となく気持ちが高揚して

画角も色々試してみたくなり楽しくなってくる。







ここからはお決まりのコースでまずは『四季の里 創造の森』へ。やはりしだれ桜は前

回に来た時ほどではなく、半分以上が散っていた。







それでもしだれ桜の横の園では色の濃い八重桜が満開近くになっていた。その八重桜の

下でシートを敷いて花見を楽しむ年配の女性たちの笑い声が聞こえてくる。











神山温泉を挟んで流れる上角谷川沿いのしだれ桜は見ごろを迎えていた。











次に向かったのは500本のしだれ桜を個人が植えたという『ゆうかの里』は、山肌一

面を覆いつくすしだれ桜と黄色いレンギョウが咲く桃源郷だが、ここもやはりピークを

過ぎていた。








それでも足元を埋め尽くす花びらの絨毯と目の前が桜色の霞がかかったように見える景

色に、奥様もうっとりしている。










レンギョウもほとんど咲き終わっていたが、代わりにシャガとサクラソウが目に付いた。














そして最後は前回同様、神山森林公園へ。国営まんのう公園ほどではないが、かなり広

い園内にはまだ少ししだれ桜とソメイヨシノの花が残っていた。











花見も終わった平日のせいか人の姿もまばらで、二人で園内をのんびりと散策。散り始

めた桜と入れ替わるようにして若葉がイキイキし始めている。














約200種の木々が植えられている園内のあちらこちらに大きく育った木々が気持ちよさ

そうに枝葉を広げている。今回はおそらく1週間ほど訪れるのが遅かったが、『来年は

満開のときに来たいね』と奥様。









 

毎年桜を見るたびに思うのは、『あと何回、桜が見られるだろうか』と。80歳まで生

きられたとしても20回。20年と聞くとまだ随分あるように思うが、20回と聞くと

急になんだか寂しくなってくる。それは自身の親たちにとってはもっと極端に少ない回

数になる。せっかくの華やか桜の花を見て素直に見られない、もうそんな歳になった。










花・花・花に誘われて・・・・!

2024年04月03日 | 四国の山


以前に山友さんがアップしていた写真を見て、ずっと気になっていた高知県の花桃の名

所。高知には西川花公園をはじめ引地川・上久喜など桜以外の花の名所が至る所にある。

先月から天候不良は続き、今週に入ってもあまりよくない。唯一雨が降らない予報は火

曜日と金曜日だ。金曜日は会社の花見で休むのは無理だったので、アポイントが入って

いたのを無理やり変更してもらって、火曜日の今日出かけてきた。

西川花公園は高知市内からは東、上久喜の仁淀町は市内から西になる。距離で云うとや

はり仁淀町の方が遠く、途中の道もどうやら狭いらしいので、どうしようかと考えてい

たら、奥様がネットで調べて『香南市では他にもチューリップまつりやってるみたい』

とおっしゃるので、行先は西川花公園に決定して車を走らせた。

西川花公園では『西川花祭り』が31日までの予定で開催されていたが、例によって先

月の天候不順と寒の戻りで花の開花が遅れ、4月3日まで延長されていた。公園は9時

に開園するのでその時間に合わせて出かけてみると、二つのうちの手前の駐車場にはま

だ車がほとんど停まっていなかった。『早めに来て良かったね』と二人で駐車場から公

園までの道を歩いて行く。県道の両側で咲く桜の花がまるでゲートのようで出迎えてく

れて、その奥に菜の花の黄色い色が見え始めるとしだいに期待が高まっていく。





桜のゲートを潜り歩いて行くと右手にまずは休耕田を利用して植えられた菜の花畑が目

に飛び込んできた。そしてその奥に写真で見たとおりの花桃と桜の花の丘が見えた。








菜の花畑の中には遊歩道が造られ、ぐるっと周回できるようになっている。黄色い海の

中に飛び込むと、菜の花の独特な匂いが漂ってきた。何カ所かにベンチと大きさの違う

ドラえもんのどこでもドアの様なドアが設置され、撮影スポットになっていた。

奥様はいつものように写真撮影に夢中で、なかなか菜の花畑から出てこない。











公園の入り口にはゲートが設けられ開園時間以外は入園できなくなっていた。その先に

歩いて行くと、テントの下で地元の方が協力金を集めていた。協力金を払うとポストカ

ードを手渡してくれ、『開催日は明日まで焼けれど、明日から雨の予報だからちょうど良

かったですね』と声をかけてくれた。

公園内は坂道を登って行く。桜の花は満開だけれど桃の花はまだつぼみの部分も多い。











途中の展望所の東屋の前ではテントの下で出店が並んでいた。二人でドリップコーヒー

と紅茶を注文して、設置されたテーブルとベンチに腰掛け美味しくいただく。

さきほどの公民館の駐車場にはそれほど車は停まっていなかったのに、次から次と人が

やってくる。なかには大きなカメラを肩からぶら下げて、アングルを考えて移動しなが

ら何枚も写真を撮っている。

一服した後、さらに上へと坂道を登って行くと、道の脇の斜面には可愛らしいスミレが

花を咲かせていた。










公園にはもともとヤマザクラやソメイヨシノが咲いていたのを、休耕田をみんなでお花見

ができる地域住民の憩いの場にしようと、地元有志が奮起したのが始まりだそうだ。

そんななかで、仁淀川町久喜の桃源郷に魅せられて苗を取り寄せ、実生でコツコツと増や

し、やがて久喜の花桃が西川の土地で実をつけ花を咲かせ、西川生まれ・西川育ちの花桃

が誕生した。







花桃は一本の木どころか枝でも花びらでも色が混じっていて、それがなお一層賑やかさを

醸し出している不思議な花だ。













公園の丘の頂部にはお墓が並んでいた。そのうちのひとつのは『百田家』と墓石に刻まれ

ていた。漢字こそ違えど『モモ』とは何かしら縁を感じずにはいられない。

頂部からはまた麓に向かって下って行く。

麓ではなお一層人出が多くなってきていた。中には中国からの観光客もいる。『こんなとこ

ろでもインバウンド?』と思ったが、過疎化の地域が人で賑わうのは喜ばしいことだ。













菜の花畑のどこでもドアでは、家族連れが楽しそうに写真を撮っている。











西川花公園を後にチューリップ園に向かって行くと、会場は町中の広場のような場所だった。

奥様と『お腹が空いたから先にご飯にしようか』といって、さらに東にある一度訪れたこ

とのある『SEA HOUSE』というレストランで食事をとる。食事の後ここまで来るとも

う少し走れば伊尾木洞があるので、チューリップからシダ見物に予定を変更。

私は再訪だったが、初めての奥様はチューリップよりもこちらを随分と感心していた。

ただ西川花公園で写真や動画を撮りまくり、わずか2時間ばかりで最新のipone15のバッ

テリーが切れたと悔やんでいる。それにしても買ったばかりのiphoneのバッテリーが半

日ももたないなんて、どんな使い方をしたのか疑問だ?

今日は西川花公園久喜のどちらに行こうかと迷ったけれど、少なくとも二つの場所に

縁があるのを知って、次回は是非久喜や上久喜に出かけてみたいと思う。















あの頂を食す前に、かの頂の天円山へ!

2024年03月28日 | 四国の山

以前に立ち寄った鳴門の道の駅『くるくるなると』で見かけたメニューのポスターには、

何種類もの美味しそうな海鮮丼の写真が載っていた。なかでも目を引いたのは、丼ぶり

に山のように高く盛られた『海鮮てっぺん丼』だった。

ハマチ・タイ・ブリ・マグロ・サーモン・イクラがどっさりのった海鮮丼。その海鮮の

種類と量もさることながら、そのネーミングに一目ぼれ。てっぺんと聞いたら、やっぱ

り登ってみたくなるのが心情。ただこの時は徳島市内で徳島ラーメンを食べて来ていた

ので、次回にと思いながら道の駅を後にした。




今週はちょうどお休みが奥さんと重なり『どこか連れて行け』との間接的なアピールが

あった。桜のお花見はまだ少し先になりそうだし、どうしたもんかと考えていたら、こ

のてっぺん丼が頭に浮かんできた。『くるくるなると』の海鮮丼についてはその時に話を

していたので、『海鮮丼を食べに行こう!』と誘ったらすんなりOKが出た。

ただ食事だけで出かけるのはもったいないので、その前に腹空かしにひと山登ろうと思

い、すぐ近くの里山の天円山に的を絞った。

まずは天円山のてっぺんを目指し、そのあと海鮮丼のてっぺんを目指すのだ。

下山後のお昼の食堂の混雑時間を避けるため、天円山へはゆっくりめにスタートしよう

と出かけてみると、麓の駐車場にはけっこうな台数の車が停まっていた。











この天円山はいくつかのコースがあるようだが、今日は西尾根コースから登ってみる。

西尾根コースはいきなりの急登。表土が洗われ木の根が露出する坂を登って行く。『根っ

こ坂やね』と奥様。







根っこ坂を過ぎると道の両側はシダで覆われ始めた。特に急になったヶ所にはお助けロ

ープが付けられている。道の脇の杭に『ゆるやかな坂』と書いたシールを張っているけ

ど、『全然ゆるやかな坂じゃないんやけど!』







急登を登りきると本来これがゆるやかな坂といった感じの場所になる。振り返ると山と

山に挟まれ流れる大谷川の向こうに、大麻町の街並みが広がっている。







昨日までの雨の後でシダの緑も瑞々しい。奥様も立ち止まっては写真を撮っている。








※映像が粗い場合は右下の歯車を開いて、画質を1080に設定してください。


すると見晴らしのいい場所に『皇后 雅子様の桜』と書かれた杭の横に、少しつぼみが

開き始めた一本の桜の木があった。この時は何を意味しているのか分からなかったが、

帰って調べてみると、寒緋桜/緋寒桜と大島系の山桜との自然交配種と推定されるサクラ

で、雅子様ご成婚を記念して新種のサクラに「プリンセス雅」と名付けられた桜だそう

だ。地元の方がこの景色のいい場所に植えたのだろう。大きく育てば西尾根コースの景

勝地になりそうだ。











プリンセス雅の横には数珠なりに花をつけたアセビの木。少し北側を見ると四国電力の

鉄塔の横に、稜線からちょこんと頭を出した剣ケ峰のピークが見える。








するとまた急登が始まった。奥様も慣れない岩尾根だが、割とスムーズに登って行く。

この西尾根コースには丸太と板で作られたベンチが所々に設けられているが、そのベ

ンチには休という文字と番号がふられている。番号は山頂までの合目の意味だろうか?











私が通り過ぎようとしたら『これなんの花やろうね』と奥様が声をかけてきた。指さす

木を見てみると小さな花が咲いている、ヒサカキの花だ。気の早いツツジの花も所々で

咲いている。













阿波鳴門線の87番鉄塔近くまで来るとかなり遠くまでの景色が見渡せるようになる。蛇

のように曲がりくねった旧吉野川と、水面が光り輝くレンコン畑の水田。








鉄塔を過ぎると西尾根コースと猿の墓への道との分岐になる。猿の墓は西尾根をトラバー

スするようにして続く道。道の脇には小さな小さなスミレの花たち。今日はあまり期待し

ていなかったが、そこそこお花も見られて奥様も満足げだ。











トラバース道をしばらく歩くと剣ケ峰に続く稜線に出た。稜線からアップダウンをしながら

15分ほど歩くと今日ひとつめのピークの剣ケ峰に着いた。










ピークの先の展望所ではここでもスミレが群生いていた。そのスミレの花たちの中にハ

ナニラも久しぶりの日差しを浴びようと、思い切り花びらを広げている。











香川の里山でもよく見る、登頂記念の記帳ノートがここにもあった。香川では四角いお

菓子の空き缶に入れてあるのだが、ここでは珍しく仮設の電気のボックスに入れてある。








花を前にするといつまでも写真を撮っている奥様。登りで暑くなったので上着を脱いだ

せいで、日陰に立つとまだ汗で冷えてくる。『そろそろ行くよ』と声をかけて、天円山

ともと来た道を折り返す。

途中で登ってきた道と猿の墓との分岐。その分岐を登って行くと猿の墓があった。『なん

猿の墓?』と二人で訝しんだが、調べてみるとこの辺りで悪さをしていた大サルを退

治にきた漁師が返り討ちにあって亡くなり、その敵討ちに漁師の弟が退治したという話

らしいのだが、悪さをしていたサルの墓をわざわざ造るのだろうかという疑問が残る。










サルの墓から天円山山頂を目指して登って行く。何カ所かの急登を登って行くと分岐に

は必ずサルの墓への矢印案内板が建っている。大猿の悪さを聞きつけ兵庫県からわざわ

ざ大猿を退治しようとやってきて、亡くなってしまった漁師の墓の道標は全くないのに、

なぜにおサルなの?と思ったが、漁師の墓は天円山のさらに北に1.5kmほど歩いた場所

にあるらしい。











しばらくすると天円山山頂直下のコンクリート道に出た。道なりに登って行くと鉄塔広

場の上からは徳島の峰々が見渡せるが、なかなか山座同定するのは難しい。







鉄塔からコンクリート道をさらに登って行くとうわさに聞いていたヤギたちが出迎えて

くれた。総勢五匹のヤギたちは私たちを見つけると立ち上がり、まるで道案内をするよ

うにして、山頂までを歩いて行く。










山頂にはベンチが並んでいて、ザックを下ろして腰掛けザックから水筒を取り出そうと

すると早速物欲しそうにして近づいてきた。水筒をだしてインスタントコーヒーにお湯

を注いだ後、おやつに持ってきたカステラを出そうとしたら、ヤギたちがザックに顔を

近づけてきたので、少し危険を感じておやつを食べるのはあきらめた。










天円山は別名天ケ津峰ともいい、山頂には天ケ津神社が鎮座している。この神社には、

天鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られていて、この天円山に西側にある大麻山

には、もともと猿田彦命が祭られていたという。山頭越には二人の夫婦が向かい合っ

ていたが、ここでは二人は少し離れた山にいらっしゃる。(猿田彦命はその後は麓の大

麻比古神社に合祀されている) 二等三角点 雨ケ壷 434.26m

食べ物をもらえないと分かったヤギは座ってまわりの芝生をもぐもぐし始めた。立派

な角の間には淡路島に続く大鳴門橋が見えている。この山頂から景色は申し分ない。




















天ケ津神社では天鈿女命に、前回山頭越で不謹慎にもおっぱいを触ってしまった無礼

をお詫びした後、ベンチでコーヒーを飲んでいると二人の男性が登ってきた。

そのうちの一人の男性がザックの中からキャベツを取り出し、足元にばらまくとヤギ

さんの争奪戦が始まった。








しばらくその争奪戦を眺めた後山頂を後にする。コンクリート道から登山口と書かれた

道標から山道へと分け入る。最初は313mの標高点へ向かってのトラバース道。時々道

幅が狭くなり危うい個所もあるが、前を行く奥様は快調にとばしていく。










313mまで来ると南へ下がる支尾根の道になる。この道が西尾根と東尾根との間にある

神社コースかな?時折木々の間が開けると天円山山頂が望める。西側に見えるのは剣ケ

からの支尾根だろうか、尾根に沿って感じのいい間隔で立木が並んでいる。あの支尾

根も剣ケ峰へ登るコースになっているようだ。








こちらのコースも急な坂ではロープが張られているが、けっこう古いのか握ると粉をふ

いている。登りはともかく下りの急坂はやはり慣れないのか奥様のスピードが落ちる。

ロープ場を過ぎると『大谷見晴台』と書かれた展望所。








こちらのコースは山頂からは二度鉄塔広場を通過する。二つ目の鉄塔を過ぎると右手に

社殿があった。その奥には日本の石仏とは雰囲気の違う石像が立ち並び、その奥に御嶽

神社奥の院
の石祠があった。その石像の衣装からするとどこか中国や韓国といった雰囲

気が漂っている。













奥の院からもまだ急坂が残っていた。振り返るとどんどん奥様が離れていく。『大丈夫

か?』と声をかけると『膝が痛くなってきた』と言う。岩場の足元が怖くて、足を突っ

張ったせいもあるが、ここにきて疲れてきたのもあるのだろう。














それでも何とか下りきり、御嶽神社の裏手に出る。神社の周りにもたくさんの石像が立

ったり座ったりしていたが、それにしてもユニークな石像ばかりだ。











駐車場まで戻ると、朝とは違う車がまだ何台も停まっていた。少ししんどそうにしてテ

ンションの下がっている奥様に、『それじゃ海鮮丼に行きますか!』と明るく声をかけて、

道の駅へと車を走らせる。





くるくるなるとは平日にもかかわらずほぼ満車状態。自身の停めた車の前には、神戸・

京都・三重などの県外ナンバーの車ばかり。『春休みやからかな~』と奥様。

お目当ての海鮮丼のある大渦食堂は、もう13時30分を過ぎているのに、食券を買う人

の行列ができていた。先に奥様に席を取ってもらって食券を買うと、ほどなく食券に

書かれたナンバーが呼ばれて、海鮮丼が出てきた。

やはりメニューの写真よりは小ぶりなどんぶりだったが、一人ではなかなか食べきれ

ない量だ。最初はワサビ醤油で、次にゴマダレそして最後は魚のだし汁でお茶漬けと、

味へんも楽しめて二人とも大満足でてっぺんに登った気分になった。土産物売り場も

人で混雑していて、目新しいお土産や珍しい食品が色々と売られていた。

それにしても最近のサービスエリアや道の駅は侮れません!

花の季節を前にして、まずはお腹を満たした花より団子の一日だった。
























『線で繋ぐ西赤石山~阿讃山脈』碁石山・峰畑山・五郎山

2024年03月23日 | 四国の山


『私たちは金曜日に堀切峠から曼陀峠を歩きます!』とあっちゃんからメッセージが届

いた。この区間を歩くと法皇山脈から阿讃山脈が繋がることになる。『ご一緒にいか

がですか』と書いてあったが、金曜日は県外の業者からアポイントが入っていたので、

渋々諦めていたら、前日にその業者から『申し訳ありません、どうもインフルエンザに

かかったみたいで、明日はお会いできません』と連絡がきた。『それはそれは、お大事

に』と電話を切ったあとニンマリ!すぐに奥様たちに『明日の集合時間は何時ですか?』

とメッセージを入れた。『9時に曼陀峠集合で、そこから移動して堀切峠を10時スター

トです!』とルリちゃんから返信があった。事情があってと書いてあったが、歩行距離

の割にはスタート時間が遅いなと思いながらも、少し早めに家を出た。








時間に余裕があったので曼陀峠に向かう途中で豊稔池ダムに立ち寄ってみる。ゆる抜き

の写真はよく目にしていたが、今日初めて訪れた。石積みの風情のあるアーチのダムか

らは、ゆる抜きほどではないが、配水量の調整のためか放流されていた。











※映像が粗い場合は右下の歯車を開いて、画質を1080に設定してください。


豊稔池ダムをあとに集合場所の曼陀トンネルの手前の広場に向かうと、すでに奥様たち

は来ていて、急いで車を乗り換えまずは一台を曼陀峠にデポする。そこからまた一台で

堀切峠に移動。奥様たちの集合した時間が早かったおかげで、予定していたより30分ほ

ど早く峠に着いた。堀切トンネルが開通してからはほとんど往来がなくなり、朝の冷え

た空気とともに峠の道はひっそりとしていた。







峠は四差路になっていて西に行くと翠波高原、東に行くと呉石高原への道になるが、最

初なぜかルリちゃんは翠波高原に向かって歩き出そうとするので、呼び止めて反対の東

に向かって歩き出す。するとすぐに道の脇に『峰の地蔵尊』と彫られた石柱があった。

その奥の建屋の中に大きなお地蔵が建っていた。私の身長以上はあるとても大きな、そ

して比較的新しそうなお地蔵さんだった。








この区間はほとんど舗装路の道。堀切峠に『E-システム新宮工場』と書かれた看板があ

ったが、その工場のトラックだろうか、道幅いっぱいの大きなトラックとすれ違う。

そのトラックを見て『産廃の会社だろうか、こんな山の中にあるなんて、どうせロクな

捨て方してないだろうな』と知りもしないのに嘯く私。

道の脇のフキノトウはもう花が開いてしまっている。











土佐北街道のお茶屋跡と書かれた道標の先に広大な太陽光発電所。その太陽光発電のパ

ネルの奥に、雪を抱いた稜線が見える。佐々連尾山辺りだろうか?








ちょうど堀切トンネルの上あたりに、歴史の道選定記念の碑である「うすくこく遠近分

て夕日影霞む浪まの沖の嶋々」と書かれた、藩主・山内豊雍公の歌碑がある。ここから

南に新宮へと土佐北街道が続いている。








歌碑からしばらく歩くと作業車の音が聞こえてきたと思ったら、大きな建屋が見えてき

た。タイヤショベルカーが道の北側から横断して南側の建屋に何やら運んでいる。

北側の建屋の周りには木くずが積み上げられていた。

ここでは木くずや汚泥を発酵させて肥料を作っているようだ。その発酵過程で、けっこ

う強烈な匂いがしている。『なるほど、こんな匂いのする施設は民家のない山の中でな

かったら無理だな』と、さきほど変な勘繰りをしたことを反省。

その工場の屋根越に佐々連尾山から大森山そして猿田峠が鞍部になっているのが見えた。

山肌に雪を抱いた稜線は、何となく北国の山を連想させていい感じに見える。











電波塔が並ぶ当たりのピークには 四等三角点 堀切 793.46m があったが道からは少

し登らなければならないようなので今日はパス。(といってももう訪れることもないのだが)

途中で『龍王山』と書いた道標があったが、地形図にもYAMAPにも山名は載っていない。











今日一つ目のピークの呉石山へは道から少し外れて登っていく。

YAMAPでは呉石山となっているが、国土地理院の地形図には山名は載っていない。

山頂は 三等三角点 黒石 826.89m 今日の行程での最高地点となる。













三角点の脇に背の高いヒノキの木。見上げると上の方で二股に分かれている。見たこと

のあるような形をしていると思ったら、音楽の時間に見た音叉だった。『ねぇご飯はどこ

で食べるの?』と、毎度のことだが気の早いあっちゃん。『道路では食べるところがない

わよ』と、とにかくお昼ご飯の心配をしている。







呉石山山頂からは雑木の中を下って行くとまもなく作業道に出た。クネクネと曲がった

作業道を道なりに歩いて行くと舗装路に出た。そこには呉石高原まで50mと書いた道

標が建っていた。













その道標からすぐに三差路になって広場になった場所になる。日当たりもよく道の脇に

は、腰掛けるのにちょうどいい太い木が積まれている。『それじゃお昼にしましょうか』

と声をかける。今日はおにぎり弁当と無印良品のミネステローネ。食後にはルリちゃん

からもらったお菓子を頬張る。













ここまで約5km、まだまだ先は長いが、幸い膝の調子も悪くないし舗装路歩きは単調だ

がスピードが上がる。道標に書いていた呉石高原はお昼ご飯を食べた場所の南側に見えた

耕作地らしかったが、高原といった雰囲気は全くなかった。

そしてこの道沿いには東予変電所から讃岐変電所までの間の、四国中央東幹線の巨大な鉄

塔が続いている。











道標は呉石高原から境目に表示が変わった。ここの二股で左に進んで行き、しばらくし

て二つ目のピークの峰畑山の尾根へのルートから、外れて行ってるのに気が付いた。

少し迷ったがまだ時間的には余裕があったので、引き返して作業道を歩いて行く。







作業道からは右手の木々の間から、尾根と空が見えていた。できるだけ作業道から段差

のない場所を選んで、適当に尾根に向かって登っていく。













尾根に出てしばらくは灌木の中を右に左に木をよけながら歩いて行く。しばらくすると

境界杭が続いているのに気が付き、杭を見失わないように歩いて行くと、割と幅のある

道になった。どうやら鉄塔巡視路に出たようだ。














途中で分岐になり左に道が続いていたが、峰畑山からは折り返してこの道を下ることに

なる。尾根の灌木の中と比べると随分と歩きやすい道。すると右手に鉄塔広場が見えた。

四国中央東幹線の鉄塔は足元まで来るとさらにその巨大さを実感する。







広場からは霞んではいるが、善通寺五岳の火上山から我拝師山、その左手には天霧山

見える。その右手には雲辺寺に向かって幹線の鉄塔が続いている。








鉄塔からはまた灌木の中を進んで行くと 二等三角点 峰畑峰 747.92m 。







山頂からは引き返して鉄等巡視路の分岐から右に道を下って行く。ここまではまだまだ

快適な道だが、落ち葉で滑りやすいのかあっちゃんが木の枝を拾い杖変わりにして下っ

て行っている。











一旦舗装路に出た後すぐにGPSを見ながら右の県境の線に沿ってさらに下って行く。

『あっちゃん、拾って持っている木の枝、長すぎません?』

道の脇には国土調査を終えた印の杭が続いている。










掘割のようになってくぼんだ道には、木の枝や落ち葉が積もって歩きづらい。特に弓な

りに折れた杉の枝は、引っ掛かると足に絡んで躓きそうになる。『危ない、危ない。今

一番イヤなパターンだ』できるだけ膝に負担がかからないように慎重に下って行く。








それでも20分ほど下っただろうか、やっと目の前が明るくなり集落の上にある墓地に飛

び出した。1区画が広い立派な墓地の奥に梅の木が1本。その木の足元には季節外れ?

の色違いのクリスマスローズが咲いていた。














今までの山道で今日は全く花を見かけず、時々日陰に薄く雪が残ってまだ春遠しといっ

た雰囲気の殺風景な景色だったが、ここまで降りてくると、いっぺんに里は春といった

感じになった。














境目峠の切通の道を左に見ながら、へんろ道と書かれた道標に沿って分岐を右に山手に

登っていく。途中の分岐でへんろ道からは分かれて左に折れてさらに登っていく。

今日の行程の道は奥様たちにとってはほぼ舗装路で大したことのない道。スタート

してからすっと二人でおしゃべりに忙しそうだ。

 














阿讃山脈の南側になるこの辺りは日差しが届いて暖かい。そんな陽気に誘われてか、気

の早い桜が花を開かせていた。








地形図に載っている県境の線に沿って道は続いている。この道から右が徳島県、左が愛

媛県になる。途中で畑に行儀よく整列して植えられた木は何の木だろうか?
















この間にいたるところで見かけた『川之江市 自然遊歩道』と書かれた道標だが、帰っ

て調べてみても判らない。四国中央市になる合併前のものだから20年以上前にできた

ものだろうけれど、四国のみちと一緒で、今は手が入れられずに荒れて遊歩道というよ

りは登山道といった雰囲気だ。










最後にまたこの遊歩道から外れて県境を山の中へ分け入る。しばらくすると今度は四国の

みち
に出た。













最後に見た自然遊歩道の道標に書かれていた七田は阿讃を越えて北側の集落かと思ったら、

この四国の道の地図を見ると、南側にある集落のようだ。どうやら途中の自然遊歩道の道

標は、四国のみちの道標を兼ねていたのかもしれない。








ここからほどなく歩くと五郎山に着いた。前回阿讃縦走路で歩いた時は、曼陀峠をスター

トして、このピークを巻いて進んでしまい見逃した山頂だった。今日三つ目のYAMAP

の山頂ポイントをゲット!このピークは香川・徳島・愛媛の三県の県境になる。

三等三角点 海老済 595.08m








五郎山から下ると前回この山に登らず通り過ぎてしまった場所に出た。確かに右の方が

登山道らしくて意識していないと気が付かないわな。

その分岐から東に進むと南の眺望が広がる場所があった、ピラミダルな形で中津山とす

ぐに同定できたが、左に見えるのは寒峰からの稜線、右の稜線に少し雪を抱いた稜線が

見えるのは天狗塚だろうか?

















眺望箇所からは尾根を少し進んで、尾根から左に降りていくと朝車をデポした曼陀峠

着いた。YAMAPでは15km、6時間の行程だった。これで今日の目的の法皇山脈

阿讃山脈を繋ぐことができたし、当初思っていた果たして今までで一番長い距離を歩く

事ができるだろうかという不安も、途中で二度ほど膝が差し込んで激痛が走ったが、そ

れさえなければ何とかなりそうだという手ごたえを得ることができて、二つの課題をク

リアできた有意義な一日だった。誘ってくれた奥様たちに感謝だ!















今日途中で出会ったおじいさんは、定年後に農家を始めてシャインマスカットやトマト、

今の時期は紅はるかで干し芋や菜の花も出荷しているそうだ。そのバイタリティーや。

私と一回りは違いそうな風貌だが、その農作業の合間に画を描いたり、山にも登ってい

ると楽しそうに話をしてくれた。















彼岸に入ってやっと登れた干支の山

2024年03月21日 | 香川の里山

今日の天気予報はジェットコースター並みに慌ただしく、晴れマークがついているのは

午前8時から10時の間でその後は雨、そして夕方になってまた晴れマークになってい

た。『歩けるとしたら朝の2時間が勝負かな』と思って、地元の雲附山でもと考えたが、

せっかくなら未登の山がいいなと思って探してみると、そういえば今年はまだ干支の山

に登ってないのに気が付いた。年末に奥様たちと話をしていたのは干支の山の太竜寺山

辰ケ山そして西龍王山の三つの干支の山を廻るという計画だったが、それも今回のケガ

で流れてしまって、干支の山をトンと忘れてしまっていた。ではでは香川の干支の山は

と考えたら、ほとんど登ってしまっていて、しかも2時間という時間制限のある中で登

れる山といえば、香川町の龍満池の北側にある龍満山の一択になった。




朝早くに目を覚ますと枕もとの窓を激しくたたく風の音。『ん、嵐?』と思うぐらいの

風と雨の音だった。『天気予報は外れたかな』と思いながらも支度をして車に乗り込み

龍満池を目指すと、高松方面の空が少しづつ回復していった。県道13号線から川東小

学校の東の交差点で北に曲がって、川東八幡宮の手前で道の脇が広くなった場所に車を

停め、八幡宮の脇の坂道をまずは油山を目指して登っていく。







境内の脇を立派な本殿を横に見ながら登っていくと広場に出た。広場には四国のみちの

道標と、油山の謂れが書かれた説明版が建っていた。もともとこの山には油が流れ出て

いた事からその名がついた不思議な山。四国のみちの道標に沿って正面の道を登ってい

く。











道は『高松市夢づくり推進事業』の『油山遊歩道整備事業』として整備された歩きやす

い道だ。ほどなく尾根に出ると左手には東屋があり展望所になっている。少し樹木が伸

びてはいるが正面には高松空港の管制塔が見えた。










展望所の眺めを確認した後、分岐から反対の尾根を進んでいくと、『ツリーハウス』と

書かれた立派な看板と、その先に看板に違わぬ立派なツリーハウスが建っていた。

今までツリーハウスは色々と見てきたけれど、これだけの大きさのものはなかなかない。

しかもターザンロープやブランコまである。これも油山遊歩道整備事業の一環のようだ。











少し踏板の幅が狭く登りづらい階段(おそらく子供用なのだろう)を登っていくと、北

側の眺望が広がっていた。同じような三角の形をした、クレーター五座実相寺山

の横に、対照的に平らな形の屋島が並んでいる。

少し視線を左に振ると峰山と高松の市街地、そしてシンボルタワーが見える。











ツリーハウスからは少し下って登り返すと油山山頂。山頂の周りは木々を刈ってあり、

広場にはベンチが置かれていた。







途中の立派な道標に比べると、山頂に山名標が見当たらない。代わりに小さなシールの

ようなものが木の枝に巻かれていた。するとその木の向かいの木の幹の元に、朽ちた山

名標が落ちていた。その山名標を撮ってセルフタイマーで自撮りしてみると、慌ててい

たのか『天狗の腰掛け』と書かれた裏側を向けて写していた。







今日はこの山頂から南側にある電波塔まで降りれれば、そのまま作業道を利用して下っ

て、北東のこんもりした山にある矢延平六神社に南側から登り北側に降り、そのまま西

に歩いて龍満山に取り付く予定だったが、天狗の腰掛けの大岩からは道はなく、落ち葉

が堆積した急な斜面で今の膝の状態では下るのは無理だったので、そのまま尾根を折り

返すことにした。










尾根道を戻って八幡宮からの分岐をそのまま真っすぐ歩いて行き、貯水槽の横を通りさ

らに下って行くと大きなお家の裏側に出た。そのお家のフェンスの脇の法面のコンクリ

ート上を歩いて行く。この法面がけっこう高さがあって慎重に歩いて行く。











邸宅のフェンスと法面のフェンスとの間を抜けて団地内の道路に出る。そのまま道なり

に舗装路を下って行くと春の花が目に付く













先ほどの邸宅といいこの団地には大きな立派なお家が目に付く。







団地の道を下って行くとガソリン道に出た。昭和4年から廃止になる昭和16年の間、

仏生山と塩江温泉の間を結んだガソリンカーが走っていた廃線の跡が今は町道になって

いる。そしてその名残のトンネルが今も残っている。そのトンネルの先で県道を渡ると、

今日本来の目的の干支の山の龍満山の取り付きがある。







県道の切通の法面に設けられたコンクリートの階段を登っていくと、二体の仁王像が出

迎えてくれる。その仁王像の間を通って登っていくと今度は新四国88カ所の石仏が並

んでいた。








道はきれいに笹が刈りはらわれ、少し高度が上がってくると正面に実相寺山とほかの

レーター五座
が見渡せた。今日はウエストポーチだけで三脚を持ってこなかったので、

石仏の台座をお借りして自撮りをしてみる。







石仏には札所の番号と仏像の名前、そして寄贈者の名前が刻まれている。途中で大きな

石碑とその説明版らしきものが建っていたが、錆びていて全く読めない。








その石碑から尾根を歩いて行くとほどなく龍満山山頂についた。山頂には龍現神社の石

祠があったが、ここでも山名標らしきものは見当たらず、文字の消えた札が木の枝にか

かっているだけだった。











石祠の横には標石がほぼ埋まりかけた 三頭三角点 川東 146.86m。この標石が尾根

道の真ん中にある為か、いつもは標石のすぐ横にある標示杭は、道の脇の木々の中に建

っていた。







 



山頂からは北に向かって尾根道を進んでいく。途中で道が行き止まりのように見えたが、

左に下る道が続いていた。ただザラついた花崗岩の風化した今一番要注意の下り坂。

腰を曲げストックを突いて慎重に降りていく。正面に火ノ山、そして十瓶山の奥には飯野

が頭を覗かせていたが、そんな景色に見とれる余裕はなく、足元を注視しながら降りる。













その坂を下ると小さなお堂があった。明治五年(1872)3月17日、徳島県の剣山か

ら剣大権現の分霊を迎えてこの地に奉祀したのが始まりという剣山大権現社だった。

この山は正式には龍満山と呼ばれるが、剣大権現を祭祀してからは剣さん山とも呼ばれ、

浅野方面からは横岡山と呼び慣らされているそうだ。








剣山大権現社を過ぎどんどん下って行くと水道局の施設の横を通り、チェルシー(旧マ

ツノイパレス)の裏側に出た。相変わらず吹く風が強く木々を大きく揺らしている。











そこからは龍満山のすそ野を龍満池に向かって歩いて行く。山神の大山神社を過ぎ住宅

地の中を通り塩江街道に出る。




塩江街道を横断して歩道を龍満池へと歩いて行く途中で、歩道の横の側溝の蓋をしてい

るグレーチングでストックが引っ掛かった。引っ掛かりを無理して引っ張りそのまま歩

いて行くと、ストックでアスファルトを突く音が金属音に変わった。『あれれ、先っち

ょのゴムがない!』

先週奥様たちと歩いた時にあっちゃんがストックの先のゴムを落としていた。『またで

すか、これで何回目?』と偉そうに言ったばかりなのに、私もこれで3回目!

膝をついてグレーチングの中を覗き込むと、確かに側溝の底にゴムが落ちていた。側溝

の中を覗き込む姿を見て、横を通った人が訝しいげな顔して歩いて行った。もちろんグ

レーチングは持ち上げようとしても持ち上がらなかった。







龍満池の遊歩道ですれ違った女性に『風が強いですね!』と声をかけられた。湖面に浮

かんでいるカモたちも池の波に奔騰されて必死で泳いでいる。池の南側からは先ほど歩

いてきた龍満山と油山が見える。目の前には八幡宮から真っすぐに池の真ん中まで続く

参道の最後にある御旅所が、池に浮かんでいるように見える。






龍満山


油山


御旅所



龍満池を一周して車を止めた場所まで戻り、その先にある御旅所への参道を最後に歩い

てみる。道の両側には桜が植えられ並木道になっていて竜桜公園と名付けられている。

一つだけ花をつけた木があったが、ほかの桜の開化はまだまだ先のようだ。











池の中央部に続く参道は、池を水面をなぞって強風が吹いている。ゆっくりと歩いてい

ても足元をすくわれそうになる。しかも水面にたつ波が飛沫となって衣服を濡らしてい

く。御旅所まで着くとすぐに引き返しまたまた罰ゲームのような参道を歩いて戻る。

道の脇には植えられたばかりの桜の苗木がじっと強風に耐えていた。










何とか参道を歩き切りホット一息。最後に石段を登って八幡宮に参拝してほぼ2時間。

車まで戻るとフロントガラスを雨粒が濡らし始めていた。







帰り道にベースキャンプでストックのゴムをゲット。自宅に着く前の短い時間でも空の

模様がコロコロと変わっていった。暖冬だった冬の季節から三月に入って寒の戻りで、

例年よりも早かった花の開花も例年近くに戻った様子。お彼岸に入ったのでそろそろ暖

かくなってほしいものだ。










ユキちゃんアワちゃんにふられてセリちゃんに・・・。

2024年03月14日 | 香川の里山


実は先週の土曜日はお休みをとって、独りで久保谷ユキワリイチゲ(ユキちゃん)

見に出かけようと思っていたら、思わぬ話の展開で奥様をさかもとのひな巡りに案内す

る事になってしまった。

その後次々とYAMAPの活動日記に久保谷のユキちゃんとアワコバイモ(アワちゃん)

がUPされているのを見て、今週は出かけてみようと2ヶ月半ぶりに西の奥様たちを誘っ

てみた。

去年の3月22日に三人で歩いた時は、往路ではあまり目立たなかったユキちゃんが、

頭山
まで歩いて、折り返して午後に下山する頃にちょうどきれいに花弁が開いて奥様たち

が度々立ち止まっては写真を撮っていた。

今年はどこのお山の花も早く咲いているので、今日ぐらいがちょうどいいかもしれない。


集合時間ギリギリに着いた大師堂の川向の駐車場には、すでに車が十台近く停まってい

た。車の横で身支度をする人。その中でまんのう町でネイチャーガイドをしている横山

さん
が、参加者の四人の女性を前に何やら説明をしていた。今日は同じように久保谷の

花を愛でるツアーのようだ。その参加者の中にはWOC登山部何回か一緒に歩いたYさん

の姿もあった。『お久しぶりです!』と声をかける。




西の奥様たちにも『お久しぶりです!』と話をして久保谷橋を渡ってスタートする。

昨日降った雨のあとで渓谷に流れる水の量が多い。その水温の低い水の流れを撫でて

吹く風が冷たくて、身震いひとつ。










YAMAPの活動日記に写真が上がっていた上流部の伐採地。その作業の注意喚起の掲

示板が道の脇に掛けられている。讃岐竜王山の東側もそうだったが、この山域でもけっ

こうな範囲で伐採が行われているようだ。





舗装路が途切れ渓谷沿いの山道になると、最初にU字溝が崩れた荒れた場所に出る。

『こんな場所があったかな?』とあっちゃんと二人で話しながら歩いて行くと、直ぐに

渡渉のヶ所になる。ここからは右に左にと何度も渡渉を繰り返すことになる。

道沿いには所々に絶妙なバランスでケルンが積まれている。














(画像が荒い場合は、右下の歯車マークを開いて画質を1080に設定するときれいになる)



水の流れが早く水量も多いので、水の中の岩を飛び石の様にして気をつけながら渡って

行く。今日の冷たそうな水にドボンでもしたらシャレにならない。渓谷の両脇には大き

く斜めに露出した和泉層群の断層が見られる。










その断層の先には左手にけっこうな高さの滝。ここでも二人で『こんな滝、流れていた

かな?』と。去年歩いてからまだ1年しか経っていないのに、人の記憶は頼りない。と

いうか、我々の記憶が曖昧なだけ?







この渓谷沿いの道は四国のみちになっていて、途中の何ヵ所かでその道標が立っている

が、途中で地形図にも載っていない分岐で『征木・立石峠』への新しい道標が立ってい

た。ローカットのシューズで来たルリちゃん。渡渉できる箇所が違ってくるので、先に

渡ったあっちゃんが指示している。








谷あいにもそろそろ陽が射し始めた。ただお目当てのユキちゃんは、まだ口を閉じたま

まうなだれている子ばかり。そしてアワちゃんも口をすぼめている子がほとんどだ。気

温が上がり陽がもっと当たる昼からの帰り道に期待をしよう。













道沿いの所々にある石仏は西国三十三番観音霊場の石仏で、大師堂から三頭越を経て、

三頭神社まで1丁ごとに建てられていたそうだ。道が少し左手に振ってヒノキの林の

中の道になる。その道沿いの水の流れはいよいよ細くなり、最上流部となる。その水

のが途切れる最上流部の、さらに上部は伐採で遮るものがなく明るく光っていた。

今日の谷あいの水が薄く濁っていたのは、この伐採が影響していたのかもしれない。
















最上流部から右に折れヒノキ林の中を登って行くと作業道ができていた。トラックや重

機が通るぬかるんだ作業道を横断して、少し歩くと三頭越に着いた。







いつものようにニヤケタ顔でアメノウズメノミコトのおっぱいを触ると、それを見ていた

向かい側のサルタヒコノカミの顔がやきもちを焼いているのか引きつっている。











するとあっちゃんが例によって『お昼ご飯かな?』と言ってきたので、ルリちゃんが

『なによん、まだ10時30分で!』と即却下。

『ユキワリイチゲが開いてくれるのは昼過ぎですから、今日は三頭神社まで行ってみま

しょう!』と言って三頭越をあとにする。

植林地の中を抜け舗装路にでると陽が当たり始めた。その舗装路を南に向かって歩いて

いくと、左手の景色が広がってくる。眼下には吉野川がくねくねと大蛇のように蛇行し

ながら流れているのが見える。







三頭神社はハンググライダー場のある丘に登らず、舗装路をそのまま下がっていくと神

社の駐車場についた。駐車場にはハコバンが一台停まっていた。すると何やら神社の方

から音が聞こえてきた。『何か聞こえませんか?』と奥様たちに言って耳を澄ませてみ

ると、神社の方から聞こえてきたのはサックスの音だった。

『練習しているのかしら?』『それなら邪魔したら悪いわね』とあっちゃん。それでも

せっかくここまで来たので石段を登って境内に入ると、やはり男性がひとりでサックス

の練習をしていた。我々に気づくと吹くのを止めて片付けし始めたので、こちらも気を

使って簡単にお参りを済ませて、きれいに清掃された神社の境内をあとにする。










ハンググライダー場の丘に登ると。先ほどとは反対側の吉野川が見下ろせた。ルリちゃ

んが見る先には烏帽子山から石堂山・矢筈山の山並みが雪を抱いている。

その反対側には竜王山。その裾野は南に向かって緩やかに広がり、入倉の集落からかなり

上の方まで伐採が進んでいるのが見える。ハンググライダー場には吉野川の川べりから、

まだ春早い冷たい風が吹き上げてくる。『ここではお昼ご飯は無理ね!』とあっちゃん。







去年もお昼ご飯を食べたすぐ下に見える東屋でお昼にすることにして、『とりあえず三

角点には行きましょう』と言って、山頂札のかかる木から少し南に歩いていくと 四等

三角点 三頭 734.16m
 三角点の横には年季の入ったキティーちゃんのプレート。










ハンググライダー場まで戻り丘を下って東屋でお昼にする。そういえば昨年この場所で

お昼を食べている時に話題になったのがWBCの決勝戦の様子だった。ネットを見なが

ら日本が優勝したのが流れて三人で喜んだ。その時の中心人物は大谷選手だったが、今

日の話題も大谷選手の結婚の話。何かしら不思議な感じがする。













お昼ご飯を食べて時間を見るとまだお昼前。下っていくには少し時間が早いと思って、

『時間つぶしに近くの三角点に寄ってみましょう』と提案して、舗装路から三頭越の方

には行かずに、そのまま歩いていく。819.7mと地形図に載っている三角点の真南まで

来たが、斜面はコンクリートで覆われていて登れる場所ではない、地形図には手前に実

線が載っているので引き返して、実線のある場所から取りついて山の中に入っていく。

実線は三角点の北側を通ってぐるっと回って三頭越の方に繋がっている。かっては車が

通れるくらいの道幅があるが、今は灌木が生い茂ってまっすぐは歩けない。







途中から三角点を目指して左に斜面を登っていくとヒノキの林から飛び出て、背の低い

草木の生える場所に出た。するとそこには懐かしい形をした車が二台捨てられていた。










後ろのトラックの荷台の横には〇〇農園と書かれた文字が消えかかっていた。今は灌木

が生い茂ってはいるが、西側は何か作物を育てていたような開けた場所になっている。

地形図を見ると、この場所から南側は等高線の間隔が狭く急峻な地形になっているが、

この辺りだけは間隔が広くて平らな場所になっている。

ただし三角点はまだ少し先のようだが、耕作地跡はトゲのついた枝でとてもじゃない

が中には入っていけない。平地から少し下がってヒノキの林の中を歩いていくと、

三等三角点 倉尾 819.79m が草木に埋もれた場所にあった。 







三角点を確認して廃車のあった場所まで戻りそこからさらに実線まで戻る。途中に捨て

られたリアカーと捨てられた車がもう一台。







その廃車から先が次第に道が怪しくなってきた。倒木が道を塞ぎ、灌木が行く手を阻む。











最後は枯れた竹が道に覆いかぶさり、まともに歩くことができない。無理やり進もうと

するが、方向を間違えているのにルリちゃんが気づいて少し引き返して進んでいく。














竹藪をクリアするとあとは随分とマシになり、最後は三頭越への道に飛び出した。







三頭越まで来ると4人の男女が休んでいて、久保谷側から女性の親子が登ってきた。時

間はちょうど良さそうだが、果たして・・・・?と思いながら久保谷へと下って行く。

下りも真っすぐに歩いているには膝の痛みはないが、体の向きと膝から下の向きが変わ

り違ってくると少し違和感がでてくる。もちろん段差のある場所はゆっくりゆっくり亀

さんのようにして歩く。










渓谷沿いは朝と比べると随分と明るく陽が当たってはいるが、肝心の花たちが見当たら

ない。特にアワちゃんは周りの枯れ葉と同系色なので、よくよく探しながら出ないと見

つけられない。それでも何とかひとつふたつ見つけては写真を撮る。













奥様たちも熱心に写真を撮っているが、相変わらずほとんどのユキちゃんは朝とあまり

代り映えしない姿で、何やらいじけて口をとがらせて俯いているように見える。











それでも何輪かは少しだけ花を開かせた姿を見せてくれた。昨年も書いたがユキワリイ

チゲはルリイチゲとも呼ばれているそうで、その名の通り瑠璃色のきれいな花びらだ。











すると白い岩の上に鮮やかな青い色をした実が一粒落ちていた。慌て者の鳥が口にくわ

えたのを落としたのだろうか。これがアカリプタさんが載せていたジャノヒゲ:和名(異

名:リュウノヒゲ)の実だった。








奥様たちも目を皿のようにしてアワちゃんとユキちゃんを探しながら降りてくるが、今

日はそれらしく咲いていたのは数輪だけだった。それでもアワちゃんが少しは愛想を振

りまいてくれて、何とか何枚かはマシな写真が撮れた。

今日は陽が当たっても、昨日降った雨で谷の水が多くなり、谷底の気温が下がったまま

だったのかもしれない。

















大師堂の駐車場まで戻ってくるとまだ数台車が停まっていた。今日は皆さん同じように

残念な気持ちで降りてくるのだろう。このままふられぱなしでは気が収まらない。

奥様たちとはここで別れて、以前にねこバスさんがアップしていたセリバオウレンのセ

リちゃん
に会いに行くことにする。何やら若いころに古馬場のスナックであまり相手に

されず次のお店にはしごしていた時の気分だ。




三頭トンネルを抜けて美馬町側から阿波竜王や讃岐龍王の南側を走って、相栗峠を通っ

て塩江町へと下って行く。相栗峠に向かう途中の林道からはまた雪を被った山並みが見

渡せた。剣山系の山々だろうか?。遠くに臨む山並みは夏場の色よりこの時期の雪を抱

いた所と緑の山肌のコントラストがある方が風情があってきれいに見える。















最初は分からなかった群生地も地形図を見ながら探し当てると、セリちゃんのお店?は

同じような顔をした色白の子たちが大勢いた。ともすると踏みつけそうになるのを足元

に注意しながら写真を撮っていく。










セリバオウレンのセリちゃんはバイカオウレンのバイちゃんに比べると背が高くて首が

長い。そのせいか右に左に顔が向いていて優柔不断にも見える。小さく小粒なバイちゃ

んの方が可愛らしいかな?今度は違うお店に出かけてみよう。














YAMAPのスタートボタンを押し忘れて三頭越で入れたため、歩行距離は7.2kmにな

っていたが、下山後の駐車場であっちゃんが『今日は9kmでしたよ!』と教えてくれた。

膝は少しの痛みと違和感があったが10kmくらいは歩けない距離ではないことが分かった。

あとは標高差と急な下りの道。痛みは多少我慢すればいいのだけれど、段差で滑りでもし

たら怖いし、炎症をおこしてまた水が溜まって膝が曲がらなくなるのが辛い。

まぁとにかく無理せず付き合っていくしかないけれど、あの高い山並みをまた歩くことが

できるかが、まだまだ気がかりだ。



まさかの雪をかぶった苔の名所の山犬嶽!

2024年03月10日 | 四国の山


自身のホームページを見ていると、昨年の同じ時期に『さかもとのおひな巡り』に出か

けていた。3月3日は過ぎていたのにと思ってネットで調べて見ると、今年は3月10

日まで開催されているらしい。その話しを奥様にしてみると『土曜日は予定がはいって

いるけど、日曜日に変更するから』とおっしゃる。つまり連れて行けという事らしいの

で、土曜日は休みを取ってどこかの山を軽く歩こうと思っていたのが、仕方がないので

ご案内する事にした。

でも少しはこちらの希望も聞いてもらって近場の山を歩いてみることにした。昨年はす

ぐ近くの稼勢山と樋口山に登ったが、眺望もなく上り下りも意外と急な場所があった

ので、少し離れてはいるけれど、登山道がしっかりしている山犬嶽に苔を見に行くこと

にした。

奥様には『まだ今の季節だと苔の色は冴えないと思うけれど』と一応ことわりを入れて、

苔を見た後に『さかもとのおひな巡り』に行ってみようということになった。


徳島南部自動車道ができたお陰で、徳島市内を通らずに郊外の津田町まで抜けられるよ

うになったので、勝浦町や上勝町に行くのに随分と楽になった。

津田町から勝浦川の土手を走り、国道55号線を横断して県道16号線で勝浦町に向か

うと、『生名ロマン街道』と書かれたサクラ色の幟が道沿いに立てられていた。

勝浦川の河川敷を黄色く染める菜の花とさくら色の幟が春の訪れを感じさせる。さらに

は白装束で歩くお遍路さんを何人も見かける。『この近くに札所があるんかな?』と二

人で話をしていると、『20番札所鶴林寺』の標識が目に入った。お遍路さんも春の風物

詩のひとつだ。

『道の駅・ひなの里かつうら』の横を通り少しだけ『ビックひな祭り』の話をすると、

奥様の帰りの寄り道のリストに入ったようだ。そうこうしていると助手席でスマホをし

きりに見ていた奥様が『白鳥の河津桜が満開なんやて!』と。『なぬ、この上さらに寄

り道しろと・・・・。』時間的には余裕があるとはいえ、今日はのんびりと思っていた

のに忙しくなりそうだ。

新坂本トンネルを抜け上勝町に入ると路面が濡れている。フロントガラスにも小さな雨

粒がつく。川向の月ケ谷温泉の施設を過ぎる頃には、奥に見える山の頭が白くなってい

る。『霧氷かな?』と前回の梶ケ森で霧氷を見た奥様が言う。『いや、あれは雪やな』。

いつも山犬嶽に登るときは樫原の棚田のさらに下に車を停めて登山口まで下道を歩いて

いたが、それだと舗装路を往復3kmほど歩くことになる。するとYAMAPに最近、

峠の反側の府殿の棚田側に数台置ける駐車場ができていると書いていたので、今日は

そちらに停める事にして、上勝町役場の手前で『スーパー林道』と書かれた標識のある

三差路を右に折れて進むと『スーパー林道起点』と書かれた大きな標識のある橋を渡る。

そこからは集落の中を標高を上げて行くのだが、山道に慣れている私でも慎重になるく

らい道幅が狭い。空からは薄くスライスした鰹節のような大きな粒の雪が降ってきた。

『帰りの下りはこっちの道は怖いな~』と思いながら進んで行くと、どんどん周りの雪

は深くなっていく。














集落を過ぎ杉林の中の道になっても、林床にも雪が積もっている。『これは苔の色どこ

ろか、雪で苔は見られんでどうする?』と聞くと、『せっかくここまで来たんやから』

と意外な返事が返ってきた。先日バレンタインデーのお返しにトレッキングシューズを

買わされ高いお返しになったのだけれど、どうもそのトレッキングシューズの試し履き

をしたいようだ。駐車場は道の両側が広げられ5台以上は停められそうな雰囲気だ。





駐車場からは少し歩くと樫原との峠になる。峠から見える景色は一面の雪景色。さっき

まで春の訪れを感じていたのに一気に冬の気分に押し戻された。













峠から少し登って行くと最終民家があり登山口になる。案内板やその横の地図を入れた

ポストを見ると積雪5㎝弱といったところだろうか。








『犬は喜び庭駆け回る』じゃないけれど、真っ白な雪に奥様のテンションも上がってき

た。降ったばかりの雪なのか、柔らかいパウダースノーのようで、踏むと直ぐに地面が

現れ土色の足跡が付いて行く。











いつものように鳥居を潜り山の中へと入って行く。








前回来た時にもあったスラックラインのベルトがまだ残っていた。ストックを使って乗

ってみるが、足元がフラついて腰が引いてしまう。交代して奥様が乗ると私より体幹が

強いのか歩き出そうとした。やるな~!








道は杉林の中を続いている。分岐には大きな道標が立っているので、その矢印に従って

歩いて行く。風もなく時折枝から落ちてくる雪の音と、雪を踏みしめる自身の足音が聞

こえるだけで周りは静まり返っている。













この登山道にはミニ88ケ所の石仏が並んでいるが、雪をかぶった大岩の下でじっと佇

んでいる石仏が凍えているように見える。













コケの名所まで来ると登山道から外れて、足元が危うい。本来なら緑の苔で覆われた森

の中のはずだったが、やはりまっ白な雪景色が待っていた。











いつも写真に撮る丸い苔玉の親分が積み重なった場所も、変哲もない雪景色だ。ただ恐ら

くこの山の、そしてこの苔の庭の雪景色を見る事はもう二度とないだろう。














せっかくなので苔玉に被った雪を掃ってみると、若々しい黄緑色が現れた。陽も当たら

ず冷たい雪の下でもなお枯れずに雪解けを待つ姿に、感動すら覚える。








そんな思いにふけっている横で奥様が何やら雪だるまを作ってスマホで写真を撮ってい

る。新しく買ったiphone15。撮った写真を比べて見ると、光の表現やバックのボケ感も

明らかにコンデジより上だった。『凄いやん!』と言うとニンマリする奥様。



iphone15


コンデジ



『今度は苔が緑で一番きれいな季節に来よう!』と約束して苔の庭をあとにした。登っ

てくるときには気づかなかったミツマタが、道の脇で黄色く色づき始めてたのに、かき

氷のように雪をかぶって季節は後戻りした。














車まで戻り峠から下りは樫原の方へ走ると、やはりこちらの方が道幅もあり走りやすか

った。峠から少し下がっただけで雪は無くなり、樫原の棚田には緑が見えた。





上勝町には他にも変わった施設が色々とある。途中にある上勝町ゼロ・ウェイストセン

ター
RISE & WIN Brewingに立ち寄りながら坂本へと向かう。














さあここからは奥様が楽しみにしているひな祭り。腹ごしらえにふれあいの里でランチ

を頂く。千円にしては量も種類もあって『安いよね~』と満足のご様子の奥様。食堂で

は周りは女性ばかり。そんな中で少人数の男性は肩身が狭い。当然おしゃべりの大音量

は女性陣。その横でニコニコ顔で話を聞くだけの男性陣。




食事が終わる頃には小雨が降ってきた。傘を差しながら八幡神社の段差のある不整形な

石段を登って行くと、それまで小雨で少し寒々としていた景色がいっぺんに明るくなっ

た。境内に入る鳥居に早速つるし雛、そして花で飾られた花手水と、ひな人形だけでな

色々な人形や花で彩られている。







メインの石段の雛飾りには、昨年には無かったハートの形の花飾りが施されていた。そ

して拝殿には毛氈が敷かれてひな人形が飾られていたて、何だか去年より随分と賑やか

で派手になった感じがした。











境内では他にも色とりどりの人形が飾れていいたが、木の上から見下ろす『さるぼぼ』

が素朴で一番の好印象だった。







その賑やかな境内とは逆に、旧街道の沿いの民家の軒先に飾られたひな人形は最初の2

軒だけで『この先にはひな飾りはありません』と張り紙がしてあった。何かしら理由が

あるのだろうけれど、神社が派手だっただけに一抹の寂しさを感じた。







坂本八幡神社でたくさん写真が撮れた奥様はここでも満足顔。そして車で次に向かう途

中で時間が押してきているので『もうビックひな祭りか河津桜かのどちらかやな』と言

うと『え~~』と不満げ。ビックひな祭りは個人的に何度も見ているのでパスしたかっ

たが、奥様は納得できないらしい。仕方がないので道の駅の駐車場に車を停める。

すると会場の人形交流館に入る前に、その横の『JA東とくしまよってネ市』でお買い

物をしたいといいだした。『ハイハイ』と言いながら後ろをついて行くが、何を買おう

かと色々と迷っている。勝浦町の名産のミカンの棚の前では。ミカンが入った袋を取り

上げては何度も品定めをしている。女性が買い物をしだすと時間の感覚がなくなるとい

うのを改めて痛感する。

人形交流館に貼られたビックひな祭りのポスターには『元祖!ビックひな祭り』と書い

ていた。恐らく全国には他にもビックひな祭りを謳っている所があるのだろうけれど、

先日来の『日本一低い山』の文字が頭に浮かんで可笑しくなった。











ここでも奥様は熱心に写真を撮っていて、なかなか前に進まない。ここに来る途中で4

00円の入場料がいる話をすると、『え!入場料とるん。』と言っていたのに、『これ

で400円は安いわ!』と手のひらを返した。







ビックひな祭りでも十分に写真を撮ったあとは最後に白鳥町へと向かう。徳島では相変

わらず空は暗い灰色。高速で大坂トンネルを抜けたら瀬戸内側は晴れている事を期待し

たが、狭い範囲で青い空が見えるだけだった。

それでも湊川の河川敷に設けられた駐車場は、もう夕方だというのに車で一杯だった。

警備員に誘導されて駐車場に車を停めて、川の土手の舗装道を歩いて行く。道の反対側

には屋台が立ち並んでいる。北側は青空がのぞいていたが、南側は曇り空。










せっかくのこの桜並木、できたら青空と陽の光が欲しかったが、贅沢は言ってられない、

満開のこの時期に間に合っただけでも良しとしよう。雪の山から満開の桜の咲く郷へと、

一日で季節を跨いだなかなかない珍しい経験のできた日だった。











明日はRISE & WIN Brewingで買った『山犬嶽』の地ビールを奥様とふりかえりの話をし

ながら飲むとしよう。


雲と水と花を求めて梶ケ森

2024年02月29日 | 四国の山
今日は夕方から整形外科の予約を入れているので、時間の読める場所で、かつ奥様が喜び

そうな花の咲く場所で、かつ少しは山の雰囲気を味わえる場所はないかと考えていたら、

アカリプタさん梶ケ森の雲海と龍王の滝、そして南大王の福寿草の活動日記が目に入っ

た。しかしいつもの龍王の滝の駐車場からはまだ登れる状態ではないし、奥様もいきなり

登山という訳にはいかず、それなら山荘まで車を走らせれば、あとは山頂までのウォーキ

ング。山頂で雲海を眺めながらのコーヒータイムの後は、車で滝の駐車場まで降りて、

10分ほど歩けば龍王の滝。そこでマイナスイオンを浴びて、今週末まで開催している、

南大王の福寿草まつりを覗いてみるプランに決定した。梶ケ森にはもう何度も来ているけ

れど、雲海を見られたのは数回だけ、そして南大王は途中で看板を見るだけで行ったことの

ない初めての場所なので楽しみだ。




ところが高速を走って大豊ICで降り、国道32号線を走っても空は青空澄み渡り、雲海

の雰囲気は全くない。『今日は雲海はでていないな~』と途中で言い訳して、国道439

号線から山道に入る。すると道が細くなり枯れ枝や石ころが落ちているのを見て、助手席

で『キャ~キャ~』と奥様が騒いでいる。私にとってはまだまだ走りやすい道なのだが、

慣れない奥様にとっては怖いらしい。いつもよりスピードを落として走って行く。龍王の

滝から上の道を山荘まで車で走るのも初めて。冬季閉鎖している山荘前には当然だが車は

一台も停まっていなかった。







山荘の駐車場から山頂へ車道を歩いて行くと道の脇には雪が少し残っていた。するとその

道の先の木の枝がキラキラと光っている。『何だろう?』と思いながら近づいて行くと、

霧氷が融け始めて透明の氷の部分が残って、その氷に陽が当たって輝いていた。










まだ白い氷が残る木は青空の下でまるで花を咲かせているようだ。恐らく霧氷を初めてみる

奥様は、熱心に写真を撮っている。











山荘から続く直線の道が右に折れると次第に周りの景色が開けてくる。天狗の鼻越しに見

えるのは牛の背と天狗塚。さらにその奥に見えるのは西熊山だろうか三嶺だろうか?










明るい日差しが当たる南側はほとんど霧氷が付いていないけれど、山頂の電波塔近くになる

と北側には霧氷の林になっていた。











山頂にはザックを背負った男性が一人一眼レフで写真を撮っていた。『こんにちは!雲海が

でていなくて残念ですね。』と声をかけると、『でも霧氷がきれいですよ』と山頂から東を

見て教えてくれた。教えてもらった方を見ると、普段登ってくる登山道の斜面一面に白い霧

氷の花が咲いていた。







先日、娘にアマゾンでIPHONEを買ってもらって、帰省に合わせて届く様にしてもらい、

設定も全て娘にしてもらった奥様。今まで使っていたIPHONE10から最新の15では、

さすがに画面も写りも違うらしくて、もう何枚撮るの?というくらい写真を撮りまくって

いる。背が低く細い幹の木はまるでダンスを踊っているように見える。霧氷がついたアセ

ビの木はまるでカリフラワーの様。







山頂にある電波塔からは大きな音をたててけっこうな氷の塊が落ちてきている。








山頂の西端まで歩いて行くと遠くに石鎚山系の山々が並んでいる。そして東端からは牛の

背から祖谷山系の山々、そして緩やかに裾野を広げ堂々とした風格の国見山が見えた。











ベンチに腰掛けザックからおやつを取り出しコーヒーを淹れ一息入れる。雲一つないとは

今日のこの空。時々飛行機がその青い空に白いラインを引いていく。














登りは車道を歩いて来たので、下りは少し登山道を下ってみる。雪の残った道を歩くのは

しばらく里山でお茶を濁してきたのでとても新鮮だ。







ただ急な下り坂はやはり膝が痛くなる。一度車道に出てからは、ゆっくりと車道を歩いて

降りる。山荘まで戻り車に乗り込み、龍王の滝の駐車場へと降りて行く。駐車場には車が

一台停まっていた。さっき山頂であった男性の車だろうか。そして山際にブロックの上に

クリアのケースが置かれて注意書きが書かれていた。徳島大学の環境応用化学研究室がP

M2.5の調査をしていると書いている。徳島市内の大学からこんな山の中でデーターを採る

なんて・・・・・と思いながら横を通り過ぎる。





駐車場から龍王の滝は杉林の中の薄暗い道を10分ほど歩いて行く。途中から岩場になる

と歩き慣れていない奥様は足の運びが心許ない。










道の右下から聞こえていた水の音が、正面からも聞こえてくると龍王の滝が姿を現した。








いつもは龍王の滝と書かれた標識の辺りで写真を撮るくらいだが、今日はよく見ると滝壺

の際に大きく垂れ下がったツララが見えた。高知県にある滝で氷瀑になる滝は珍しいそう

だが、氷瀑にこそなっていなかったが、滝の岩壁を伝った雫が長いツララを作っていた。

龍王の滝のマイナスイオンをたっぷり浴びた後は福寿草の里へレッツゴー!














駐車場から八畝の棚田を眺めながら一旦砂防ギャラリーの手前まで下り、南大王川を渡っ

て集落の中をくねくねと登って行くと、南大王の広い駐車場に着いた。案内所で入場料を

払って『歓迎 福寿草まつり』と書かれた横断幕を潜って、石畳の道を登って行く。














いつもは寒峰や鶏足山、最近は阿佐尻山へ登って見ていた福寿草。先日は牧野公園でも咲

いていたが、ここでは5万株以上の福寿草が自生しているのは西日本でも珍しいそうだ。












駐車場から民家の間を縫うようにして続いている石畳を歩きながら、道の脇の畔に咲いて

いる福寿草を何枚も写真に撮って行く。











道の最上部にはテントが張られうどんやチラシ寿司が売られていた。その横の建屋の中で

は囲炉裏の中で芋と豆腐の田楽が焼かれていた。テントでは若い女性が、囲炉裏ではおじ

いさんが愛想よく『まあ座ってゆっくりしていきまい』と声をかけてくれた。

ちょうどお腹もすいた頃、うどんとお芋の田楽でお昼ご飯にする。囲炉裏の煙が立ち込め

る中、後から来た人たちがその囲炉裏の周りに座っておじいさんと会話をしている。薪の

煙の臭いを嗅ぎ、薪の炭から登る火の粉を眺めているとゆっくりとした時間が流れていく。

頂いたうどんは腰があって(冷凍かな?)出汁もしっかりしていてとても美味しかった。

その販売所の女性に、朝通りすがりに気になっていた定福寺の下の国道沿いに咲いていた

桜の花の名前を聞いてみると、『う~~ん、何ていう名前だったかな』と悩んでいる。す

るとその横にいたもう一人の女性が、『あんた、直ぐ近くに住んでいるのに』とツッコミ

を入れた。しばらく待ったが名前を思い出しそうにもなかったので、『早咲の桜ですね』

と言ってテントを後にした。







休憩所でお腹を満たして登ってきた石畳の道が急坂だったので、集落の中の舗装路を降り

て行く。稲を刈った跡の田の向こうに1102mの標高点の辺りだろうか、随分と伐採が進ん

だ尾根が見える。










梅の木の足元にも福寿草が咲いている。それにしても奥様、直ぐにスマホの容量がいっぱ

いになるんじゃないかなと思うくらい、ずうっと写真を撮っている。







駐車場から国道に出る間で、土砂崩れ防止のコンクリートの苔が生えた所を削って画を書い

ていた。誰が書いたのか?なかにはトトロの画もあって面白い。











福寿草でお腹がいっぱいになった後だけれど、今日のとどめで国道439号線の山手にある

定福寺に立ち寄る。梶ケ森に登るときにいつも定福寺の奥の院を通って登るので馴染みのあ

る名前だが、本寺をお参りするのは初めて。この寺には万葉植物園があるとされていたので、

事前にチェックしておいたのだ。








万葉植物園は全国にあり、万葉集に収録された歌に詠まれている植物を見る事の出来る植物

園だそうで、この定福寺はもともとその万葉植物の3分の2が自生している自然の植物園に

なっていて、全国で6番目の土佐豊永万葉植物園として開園したという。

本堂でお参りしているとほうきを持った老人が本堂の横から現れた。『どちらからお越しに

なった』と聞かれたので、『香川からです』と答えると、『それはそれは遠くからありがと

うございます』と仰った。どうやらこの寺のもとの住職のようだ。

住職にも『この下で咲いている桜は何て言う名前ですか』と尋ねると、『あれは個人が植え

た桜で、その人もなくなってしまった』とちょっと違う答えが返ってきた。

『この町も2万人以上いたのに今では3千人を切ろうとしている』『私もそろそろかなと思

っている』と嘆いている。まだまだお話が続きそうなので、『植物園はどちらですか?』と

尋ねて話を変える。教えてもらった通り植物園は本堂の東側のひっそりとした場所にあった。





植物園といってもその面影はなく、境内の中の道の脇に万葉集の歌碑が立ち、その足元に花

の名前を書いた木の札が立ち並んでいた。けっこうな数の花が自生しているようだが、この

季節にはほとんどが咲いていない。そんな中ですぐに目についたのがこのユキワリイチゲ。







そして植物園で目にした花たち

ユキワリソウ





コトブキフクジュソウ





バイカオウレン





セリバオウレン






この季節の花たちも、もう終わり掛けなのか少し元気がなかったが、境内の石段の周りにも

色々と小さな花が咲いていた。










定福寺をあとに国道に降りるともう少しで満開になりそうな桜並木。二度聞いて分からなか

った桜の名前は、家に帰って調べてみると寒緋桜だった。これでモヤモヤ感もすっきりして、

思っていた以上に花を見られた奥様も大満足の一日になった。







帰宅後に出かけた整形外科では、急な差し込む痛みは『半月板が損傷しているので仕方がない』

と言われてガクリ (T_T)/~~ 何か改善する方法はありますかと聞くと『大腿四頭筋を鍛えるの

もひとつの手段です』と教えてくれた。幸い手術をするまでではないと言われたのがせめても救

い。とは言え大腿四頭筋を鍛えるのには普通に考えると膝に負担がかかる。急に改善する術もな

くまだまだ時間がかかりそうだが仕方がないか!



今日も午前中にサクッと三石山

2024年02月25日 | 香川の里山


今日は午後から娘が彼氏と一緒に帰ってくる。何やら話があると言うのだが・・・・・。

ヌ・ヌ・ヌ、とうとう来たかという思いとやっと来たかという複雑な気持ち。

それならそれまで時間があるので少し歩いておこうと奥さんを誘ってみた。

いつもは門入ダム湖をぐるっと一周するのだけれど、久しぶりにみろく公園を歩いてみよ

うと思い立った。ダム湖の周りと違って、みろく公園なら何かしら花が咲いているかもし

れないし、公園の一番奥のピークは三石山。YAMAPのポイントにもなっているので一

座ゲットできる、そう思って出かけてきた。


この公園にも子供たちが小さいころによく遊びに来ていたな~と思い出しながら駐車場に

着くと、駐車場には車がけっこうたくさん停まっていて『どうしたんだろう?』と思って

いたら『Vitality Walk Challenge』なるイベントが行われていた。オンラインアクテビティ

イベントと呼ばれるもので、各自でイベントを設定して、完了後はYAMAPのように、

各自のマイページから記録をアップしたらデジタルの完走証が発行されるらしい。

大勢の人が集まっている会場を見ながら公園の奥へと歩いて行くと、以前はなかった立派

な遊具が出来ていた。







その遊具の横を通ってさらに奥へと進んで行くと道の脇にクリスマスローズが植えられて

いて、奥さんは熱心に写真を撮っている。その先からアスレチックコースと書かれた道標

に沿って尾根を登って行く。







少し広場になった場所にはロウバイが咲いていたけれど、もう終盤なのか少し黒ずんでき

て、反対側の斜面の梅林の花も遅いのか早いのか疎らに咲いていた。それでも奥さんは楽

しそうにスマホで写真を撮っている。







三石山へは乾いた花崗土の尾根に階段が続いている。昨日会社の階段を降りていた際に膝

が差し込んでから痛みが続いている。足を滑らせない様にゆっくりを登って行く。








すると見覚えのある展望台が現れた。展望台には観光用双眼鏡が据えられていて、試しに

覗いてみると、肉眼では本当に小さく見える五剣山がかなりのアップで見る事ができた。

デジカメもこれくらいのズームができたら、また違った楽しみ方ができるだろうな~。










展望台の横に三石山と書かれた山名標が建っていたが、山頂はもう少し上になる。歩いて

行くと可愛らしい鳥居と石祠があり、すぐ傍の木に山名札が掛けられていた。








本格的な山歩きはまだまだ先になると思って、先日久しぶりにショートカットのトレッキ

ングシューズを買ったので、今日はその試し履き。買い物のときに一緒に行った奥さんに、

オレンジ色のシューズは『少し派手かな?』と聞くと、『年取ったら派手なくらいなのが、

えんじゃわ』と言われて気になりながら買ってみたのだが、丁度今日着てきたソフトシェ

ルの上着のアクセントの色と同じ色で、『まぁ山の中ならこれくらいの方が目だっていい

か』と納得。山頂からの帰りの下りでやはり少し膝が痛んだ。その左の膝を無意識に庇っ

ているのか、前回の前山を歩いた時と同じように右の太腿から臀部が少し張ってきた。











尾根道を下る途中から三石岩と書かれた石の標識に従って、横道へと歩いて行き、最後は

みろく池の遊歩道を廻って駐車場へと戻る途中の突堤からは、先ほど登った三石山が見え

た。その標高はわずか179m。その10倍近くの標高のある山々に、いつになったら登

れるのやら。突然やってくる差し込む痛みに不安は消えない。














それでもまだ時間があったので、門入ダムにも寄ってみた。1周3kmを歩いて、初めて

ダムの事務所でダムカードを頂いた。今日の成果はYAMAPのポイント1座とこのカー

ド一枚!このダムカード、県内では17カ所のダムでもらえるらしい。その内東讃では7

ヶ所のダムでもらえるので、今度また違うダムででももらってこよう!



タイムリミットは午前中!ならばと前山へ行ってみた。

2024年02月15日 | 香川の里山

『今日は仕事午前中までやから!』と奥様。『ハイハイ言わんとする事は分っております』

先週のバイカオウレンで出血大サービスしたので、今週は大人しくなるかと思っていたが、

逆効果だったようだ。まぁでもまだ一日お山歩きできるほどには膝は回復していないので、

『まっ、いいか!』とポジティブに捉えて、お昼過ぎには帰って来られるお山をチェック。

そう言えば以前に鵜岬さんがYAMAPで『瀬戸内海の絶景が目の前に!』と活動日記を

アップしていたのを思い出した。その大屋敷の前山はほとんどが舗装路だったとも書いて

いたので、まだまだ不安の残る膝でもゆっくり歩けば問題ないだろうと思い出かけてきた。





坂出市の大屋敷町の厳島神社がスタート地点。最初の鳥居を潜って坂道を登って行くと結

構広い駐車場があった。時間は9時丁度。3時間ほどで周回して戻って来られれば、13

時前には自宅に戻れる計算だ。駐車場から境内へ入ると朱塗りの立派な社殿が正面にあっ

た。駐車場を利用させてもらうので形だけでもと参拝して、戻って石段を降りて行く。

境内からは大屋敷の街の向こうに番の州の工場の煙が上がっているのが見える。










石段を下りて東に神社の立派な石垣に沿ってコンクリートの道を登って行くと、ため池の

土手の改修工事が大規模に行われていて、道の脇にはミニ八十八カ所の石仏が並んでいる。










そして紅白の梅に水仙も咲いていて、まだ少し肌寒いが春間近な雰囲気を感じながら坂道

を登って行くと、その坂道の奥には垂直に切り立った岩肌が見えている。











『岩登りができそうな立派な岩壁だな~』と思いながら歩いて行く。そういえば30年以上

も前に、会社の同僚の女性に誘われて山登りを始めたのだが、その時にこの辺りの岩場にも

来た記憶がある。(もちろんその時は登ったのではなく、岩登りの見学だった)といっても

その岩場はここではなく、五色台トンネルの南側の青梅辺りから見える岩壁だとずっと思っ

ていた。(ミカン畑の中を登って行くと岩場があった記憶があったので)







農業用の揚水機場の横を通り更に登って行きながらふと足元を見ると、今日はそういえば

登山靴だ。おおよそ2カ月ぶりに登山靴で歩いている。ここ何年こんな長い期間登山靴を

履かなかったのは初めてかもしれないな~。久しぶり過ぎて、いつも膝の用心の為にと持

って歩いているストックを持って歩いていないのに、ここまで来て気づいた。ん~ん最後

の下り坂が心配になってきた。










標高も上がって来て次第に尾根に近づいて来た。九十九折れの道の折り返しの所で反対方

向に踏み跡が見えた。『ひょっとしてあの岩壁の足元に?』と思いながら興味本位で歩い

て行くと、案の定、山手側が岩壁になってきた。

更に少し下がって行くと目の前に小さな小屋が現れた。小屋の壁には『しわく山の会オレ

ンジヒュッテ』と書かれている。やはりこの岩壁はロッククライミング場になっているよ

うだ。すると30年前に来たのもこの岩場かもしれないと思い始めた。










小屋の横を通りさらに下って行くと、岩壁の下の土だまりが少し広くなった場所にベンチ

が置いてあり、その前の岩壁にはボルトが打ち込まれていた。その岩壁でなんちゃってク

ライマー(登っている振り)。しばらくの間ほぼ垂直に切り立った岩壁を下から眺めた後

小屋まで戻ると、岩に小さな名札がかかっていた。どうやら登るルートによって名前がつ

いているようだ。










岩場を後にコンクリート道まで戻りさらに登って行くと稜線に出た。ここから地形図には

鎌刀越と書かれた峠らしき名前が載っていたので寄り道してみる。しかしYAMAPに載

っているポイントまで歩いてみるが峠らしい雰囲気がなく、峠によくあるお地蔵さんとか

も見当たらない。仕方なく引き返してみるとコンクリート道に出る手前に何やら石仏が見

えた。近づいて見ると屋根の下に大きな石仏と小さな石仏が二体。その手前には、石の道

標が立っている。するとこの場所が鎌刀越なのかもしれない。大屋敷町と北側の王越町

行き来があった峠だろう。YAMAPのポイントとはズレていたが取りあえず確認ができ

たので、今日の目的地の前山へと歩いて行く。














少し歩くとコンクリート道の北側の木にピンクのテープが掛かっている。ここから道を外

れて尾根へと登って行く。斜面を登り尾根に出ると雑木の中に赤テープが続いている。

尾根の北側は先ほどと同じような岩壁になっている。恐らく北側の王越から見ると、大屋

敷の岩壁と同じような岩肌が見えるのだろう。











さらに登って行くと尾根に岩が転がり始める。陽の当たらない山の北側でなく、陽が当た

る尾根にあるせいか、苔も大きくは育たず小さな緑の苔が岩にはまとわりついている。

周りは海沿いの山の特徴的なウバメガシの林。足元のワックスが掛ったようなツルツルし

た小さな落ち葉が足を滑らせ、今の私には最大の天敵だ。














岩庭を過ぎると尾根はほぼ平らになる。あちこちの木に赤テープが巻かれているが広い尾

根はどこが山頂かが分かりずらい。木々の間を探しながらうろつくと白い山頂札が掛かっ

ているのが見えた。周りの木々と比べるとひときわ大きな木の向かいに二枚の山名札が掛

かっていたので、一応ここが前山山頂なのだろう。








山頂から次は絶景が待つパラグライダーのテイクオフ場へと北西に歩いて行く。広い尾根

は迷いやすいがテープがそこら中に巻かれている。ただテープを探して前を見ながら歩い

ていると、足元の枯れて落ちた枝に足を引っかけて転びそうになる。その度膝が差し込み

痛みが走る。前を見て下を見て忙しくしながら歩いて行くと急に右手の景色が変わった。

『ここがテイクオフ場?』と思ったが、どうも写真で見た景色とは違っている。

それでも王越町と王越山そして乃生湾の先に瀬戸内海が広がる絶景だった。どうやらこち

らは王越フライトエリアと呼ばれる場所らしかった。










一つ目のテイクオフ場から先には道の横に農業用のモノレールが続いていた。そしてその

先に大きな岩の緑の苔が髪の毛に見えるお母さん岩。










その岩を過ぎて電波塔を二つ、横目に見ながら緩やかな坂を下って行くと写真で見た景色が

広がっていた。瀬居島と番の州の工場。その瀬居島の右手には瀬戸大橋も見える。













視線を左に移すと林田の埋め立ての奥に、これぞ讃岐の里山!といった感じのおむすび山

が霞んだ平野に浮かんでいるように見える。予定ではこの景色を眺めながらコーヒーを淹

れて、買ってきたお菓子を頬張るつもりだったが、あまりゆっくりしていると奥様と約束

した時間に間に合いそうにない。仕方がないのでコーヒータイムは諦め、少しの間腰を下

ろして景色を愉しんだら下山開始!











道は同じように北西に向かって緩やかに下っている。途中で道の脇に石積みの中に石仏が

見えた。この場所も南北で行き来のあった場所かもしれない。







テイクオフ場から10分強でまたコンクリート道に出た。ここから左に折れてまた登って

きた時と同じように九十九折れの、今度は下り坂が始まる。道の下には至るところでゴミ

が捨てられている。こんな所まで車で来てわざわざと思うのだが・・・・。











それでも時々木々の間からは先ほど見たのと同じようなのどかな瀬戸内と、讃岐平野の里

山の景色を見る事が出来た。すると軽トラックに積んだ伐採した木を道の下に捨てている

お爺さんの姿があった。『こんにちは!』と挨拶をして横を通り過ぎる。

しばらく下っていると、そのお爺さんが軽トラックで下って来て、『この先に猪避けのゲ

ートがあるから、閉めて降りてくれるか!』と声をかけられた。『ハイ、分かりました』

と調子よく返事をして降りて行くが、そのゲートがいっこうに現れない。











そうこうしている内に麓の県道の手前まで降りてしまった。地形図に相模坊大権現と書か

れた場所の横の倉庫で作業している人の姿があったので、声をかけて事情を説明。降りて

来た途中のミカン畑の持ち主の人だったが、『そんなゲートあったかな?』と言っている。

『ゲートと言ってもワイヤーメッシュを立ててるだけやから、イメージと違うかもな』と

言われたが、猪避けと聞いていたので今まで散々見て来たゲート。『もう登ってよう戻ら

ないんで』と泣きをいれると、『もうミカンの収穫も終わってるからエエやろ~』と言っ

てもらった。取りあえず気にはなりながらも、下道を車を停めた厳島神社へと歩いて行く。










それにしても緩やかだった尾根の道とは違い、ミカン畑の中の急坂の下り坂は膝に堪えた。

ズキズキと痛みを感じながら、まだ着かないかまだ着かないかと思いながら歩いた。

やっとの思いで着いた厳島神社の最後の石段は足をあげるのが精いっぱいだった。何とか

石段を登って鳥居の前でお礼をして車へと戻る。







左の膝を無意識に庇っていたのか、登りでは右の臀部が直ぐにパンパンに張り、下りでは

やはり膝が痛む。まだ今日くらいの歩行時間だといいけれども、長い時間歩くと炎症をお

こしてまた水が溜まるような気がするので、まだまだ無理は出来ない。今まだこの季節だ

とそれ程暑くもないので里山歩きができるけれど、暑くなってくるとそれも厳しくなって

くる。周りは春が近づいているのに私の春はまだまだ遠い。


※よく膝に水が溜まるという水とは、関節液の事だそうだ。関節液は関節包の中にあって

通常は関節の潤滑油の役割をしている。その関節液の量を調整しているのが滑膜。滑膜は、

新しい関節液を作って分泌すると同時に、古い関節液を回収する働きを担っている。関節

の炎症などの理由でこの新陳代謝のバランスが崩れ、関節液の回収が追いつかなくなった

時、膝に関節液が溜まるようだ。溜まった関節液には痛みや炎症を起こさせる物質がたく

さん含まれているという。通常は1~3ml程度の量なのだが、前回抜いた水の量は25ml

もあり膝が曲がらなかった。差し込む痛みの原因は分からないので今度先生に聞いてみよ

うと思うのだが、出来るだけ炎症が起こらない様に歩くのが今後の課題になる。

今のうちに奥様サービスでバイカオウレン巡り

2024年02月12日 | 四国の山

まだしばらくは本格的なお山には出かけられそうにない。ならば今まで休みといえばほと

んど山ばかりで、ほったらかしにしているお家の奥様のご機嫌を今の内にとっておこう。

丁度、週中の休みが合ったので、巷で写真がアップされているバイカオウレンを見に出

かけないかと誘ったら、即OKの返事が返ってきた。私自身もこの花を見るのは初めてな

ので楽しみにして出かけてきた。出かける前にYAMAPをチェックしていたら直近で、

GAKUGAKUさんが活動日記をアップしていて、その中で加茂の自生地はお昼からの

方が陽が当たるので良いと思うと書かれていたので、少し予定を変更して牧野公園へ先に

出かけてその後に加茂の自生地を覗いてみる事にした。


高松自動車道と高知自動車道を通って、国道33号線を西に佐川町へと走る。去年も横倉

に登った時にも通った道。途中道すがらで施設や店舗を色々と詳しそうに説明をすると、

『いいわね、あちこち出かけていて!』と思いもよらぬ嫌味な返事が返ってきた。さっき

まで機嫌が良かったのに、どこに地雷が埋まっているか読めない・・・・(汗)

それでも自宅からおおよそ2時間強で佐川町に着いた。街中の街道を進んで行くと四国銀

行の隣に以前はなかった『観光用駐車場』と書かれた看板のある広い駐車場が出来ていた。










街道から南に折れると司牡丹酒造の酒蔵が立ち並ぶ趣のある道になる。旧坂口家の住宅を

改装したカフェを横目に見ながら緩やかな坂道を登って行くと青山文庫の駐車場と観光パ

ンフレットを置いた無人の案内所。更に進んで行くと子供たちの賑やかな声が聞こえてき

たのは一番奥まった場所にある花園保育園の子供たちだった。すると保母さん連れられた

園児たちが、道の脇から青源寺への道の石垣を登っている。少し下手にはちゃんとした道

があるのに、わざわざ石垣を横から登っているなんて、今どきにしては珍しくて何だか微

笑ましくなった。








牧野博士が東京からソメイヨシノの苗を佐川町に送り、その後地元の有志が青源寺の土手

に植えた事から、日本桜の名所百選に選ばれた牧野公園のソメイヨシのあゆみが始まりま

す。その後の紆余曲折経て現在は小中学生も一緒になった住民ボランティアの手でリニュ

ーアル事業が行われていて、約700種類もの植物が楽しめる公園へとなっている。




公園入口から坂道が続いて行く。その道の両側には植物の名前を書いた小さな名札があち

らこちらに立てられているが、まだこの季節咲いている花はあまり見られない。

早い時間から訪れている方が多いのか、坂の上から年配の主に夫婦が次々と下りてきてい

る。案内所で手にしたMAPを見ながら坂道を登って行くと、途中にトイレと売店のある

場所に、ユキワリイチゲの写真が載っていた。花見棟と書かれた建物前にはユキワリイチ

ゲだけでなく他にも、セツブンソウやセリバオウレンの小さな花が咲いていた。














九十九折れの坂道を登って行くと佐川の街が見降ろせる。遠くには横倉山が手前の山の尾

根の上に顔を覗かせている。







馴れ馴れしく博士の肩に手を置く




トイレのある公園の最上部から回り込んで下って行くと、木漏れ日の差す林床一面に白い

金平糖が散りばめられた様に見えるバイカオウレンが咲いていた。













ロープで囲まれた小道に次々と観光客がやって来ては屈んで写真を撮っている。奥様も立ち

止まっては何枚も撮っていた。バイカオウレンの林床から先には牧野博士の分骨した墓石。

そのお墓から一旦上に戻って登って行くと、陽に当たってキラキラと輝く福寿草が咲いて

いた。加茂のバイカオウレンに行く前に立ち寄った牧野公園で、思わぬ珍しい花を見る事

ができて奥様の気分も上々!(笑)











公園からの帰り道、近くの街中を散策。司牡丹酒造の酒蔵が並ぶ街並みは風情があって二

人で久しぶりに小旅行気分。


















佐川町を後にまずは腹ごしらえ。日高町はオムライス街道と呼ばれてオムライスで有名だ

が加茂の群生地は通り過ぎてしまう。それならと横倉山に出かけた際に途中で目にして気

になっていたまる美食堂に入ってみた。店内は外の見た目通りの昔ながらの食堂といった

雰囲気。レジの横におばあちゃんが腰掛けていて、その息子夫婦なのか奥さんが愛想よく

お茶を持ってきてくれた。メニューを見るとオムライスもある。

さっそく奥さんはオムライスを注文、私は中華そば。どちらも素朴な味で美味しくいただ

いた。食べ終えてお金を払おうとしたら『よかったらどうぞ!』と缶コーヒーを差し出し

てくれた。中華そばはは600円なので缶コーヒー代を差し引くと実質500円弱になっ

てしまう。小さなお店で大丈夫かなといらぬ心配をしてしまう。








お腹を満たした後は今日のメインの加茂へ向かう。車は県道沿いの集落活動センター加茂

の里が駐車場になっている。入り口には地元のボランティアの人たちが、車の誘導や案内、

入園料の300円を徴収していた。車を停めてお金を払うとボランティアの人が自生地の

地図を描いた紙を渡してくれた。その地図に従って線路を渡って集落の中へ。その集落の

建物が途切れた場所から山の中へ道が続いていた。最初から意外と急な登坂。しばらく歩

くと背中にじと~と汗が出てきた。その急坂を上りきると道の横に昔懐かしいリアカーが

放置されていた。更にその横に木の枝に赤テープが巻かれて山道らしき道があった。恐ら

清宝山への登山道だろう。今日は観光なので山道はパスしてまた今度!











そこからは少し下りの道を歩いて行くと道の上に『バイカオウレン祭り』と書かれた横断幕

が掛かっていた。お祭り自体は2月10日かららしく、平日もあって人出はさほどでもな

かった。その横断幕から右手にお目当ての自生地が広がっていた。谷あいの杉林の林床に

はバイカオウレンが数十万株も咲いているという。バイカオウレンの花を見るのも初めて

だけれど、花の群生地としてこれだけの数の花が咲いているのを見るのも初めてだった。

奥様も熱心に写真を撮っているけれど、コンデジでもピントが合わないこの小さな花はス

マホで撮るのはなかなか厳しいだろうな。GUKUGAKUさんが書いていた通り、西からの

日差しが当たり明るくなった林床に杉の木の影ができて、光と影の変化が合ってとてもい

い雰囲気だ。



















自生地はロープが張られてその中を一方通行で周回する道になっていた。この自生地をボ

ランティアの人たちが落ち葉を取り除いたり、他の草を抜いてバイカオウレンが埋もれな

い様に手入れをしているそうだ。本来なら1000mぐらいの山林で生育するといわれて

いるバイカオウレンが、わずか100mほどの標高のこの場所で自生しているのは、よっ

ぽどこの谷あいの環境が合っているのだろう。














一通り写真を撮って周回路を回った後、少し上手にある案内図に書かれている苔庭まで歩

いてみる。こちらもバイカオウレンの自生地と同じような林床に、何種類もの苔が生えて

いてその横に苔の種類が書かれた名札が立っていた。













苔庭を一周して、もう一度自生地を廻ってバイカオウレンを見納めする。














小さな花たちを堪能した後高知市内まで戻りひろめ市場へ。初めて来たという奥様はカツ

オのたたきをはじめ色々と料理を取って、チューハイまで注文した。運転手の私はひろめ

市場で初めてアルコールを飲まずにノンアルコールで我慢の出血大サービス!

その甲斐あってか帰りの車中で奥様は上機嫌。これでお山に出かけるようになっても文句

を言われることもないだろうか、逆にどこかに連れて行けとせがまれるようにならないか、

どちらに転ぶかは神様がどちらに味方するか次第・・・・・?






足慣らしにホームマウンテン屋島に!

2024年02月03日 | 香川の里山

年明け二週目に整形外科でMRIを撮って、腫れていた膝の水を抜いてもらったら、それ

まで曲がりにくかった膝関節が随分と楽になった。それでも半月板損傷は再生されるわけ

でもなく、歩くと痛みが走った。

その翌週は白鳥神社の北側の松原にある御山に、登るというよりは歩いた。さらにその翌

週は、徳島の弁天山、日峰山、芝山と、とくしま植物園を散歩してトータルで3.5km歩い

た。少しづつ歩く距離は延ばしたがそれでも今までの山登りに比べると程遠い。

なので今週はもう少し距離を延ばしてみようと考えたが、今の一番の天敵は『落ち葉の積

もった坂道』だ。登りにしても下りにしてもとにかく落ち葉が積もっているこの時期に、

坂道でその落ち葉で足を滑らすのが一番怖い。乾いた花崗土の坂道も同様だ。

ならやはり平らな道で距離を延ばすのが一番なのだが、ただのウォーキングではつまらな

い。せっかくなら景色のいい場所で気分転換になる場所を歩きたい。となると一番に思い

つくのが子供のころからよく遊んでいた屋島山上だ。

両親の実家が麓にあり、親戚の土産物店が山上にあり子供のころからなじみの深い屋島。

山頂部を構成する硬質の讃岐岩質安山岩が急斜面を形成し、山腹の風化した花崗岩が緩

斜面となる寺勾配(お寺の屋根のような勾配)をしていることから屋島と呼ばれるよう

になったようで、ほとんど平らな山上は子供のころの遊び場だった。

いつもなら麓に車を停めて山上へと登って行くのだけれど、まだやはり坂道が怖いので、

車で山上へ走って、山上駐車場からスタートする事にした。


まずは南嶺を歩いて具合が良ければ北嶺まで距離を延ばしてみよう。それとこれまでほ

ぼ手ぶらだったので、今日はザックを背負って歩いてみる事にした。車の座席からザッ

クを降ろして担いで見るとやはり膝に重みを感じた。

駐車場から瑠璃宝池(血の池)の横を通り、今は廃墟となったホテル甚五郎へと向かう途

中に脇道があった。山上の道はほとんど歩いているはずだが初めて見る道。そのまま奥

へと進んで行くと、墓石が立ち並ぶ広場があった。

屋島寺に関係のある墓石だろうか何かの史跡だろうか??森の中にあって周りはきれいに

掃かれて手入れされていた。








その墓石から元の道に戻って歩いて行くとホテル甚五郎。周りのホテルは解体され更地に

なっているが、このホテルだけはいつまでも残っている。建物のガラスは割られ、落書き

だらけの様子は、せっかくの風光明媚な観光地にあって異彩を放っていた。




甚五郎の前を通って山上の南端になる冠ケ嶽へと向かう。途中に蝋梅の木が一本。透明感

のある薄黄色の花をつけていた。花びらに顔を近づけて匂っていると、後ろから来たご夫

婦のご婦人が『あらこんな所に蝋梅があったのね』と。『え~いい香りがしますよね』と

答えると、『ほんとにね』とにっこりと笑ってくれた。




屋島ケーブルの山上駅の手前の遊歩道には、今はほとんど見かけなくなった木の丸太にク

レオソート塗り込んだ電柱が並んでいた。20年近く前に廃止となったケーブルの山上駅。

昭和初期に建てられたとは思えないモダンな駅舎も、白かった外壁も黒ずみ見る影もない。










山上駅から冠ケ嶽へは地道になる。途端に鳥の鳴き声が騒がしくなった。




屋島神社からだと直登して冠ケ嶽の岩壁直下まで登って、岩壁を西に回り込むとこの場所に

出る。冠ケ嶽からは曇り空だが南から東の景色が見渡せた。










南の前山の頭腰に見える山並みは高仙山あたりだろうか?少し戻って道の西側を下って行

くと、冠ケ嶽の直下にロープが掛った場所があり直登出来る。さすがに今日は近くまで慎

重に降りて行き、岩壁を覗き込むだけにした。ほぼ垂直な数十メートルの安山岩の岩壁を

目の前にして股間がザワッとした。







冠ケ嶽からケーブル山上駅まで戻り遊歩道を歩いて行くと、発掘調査後石積みが復元され

屋嶋の城(やしまのき)。屋島は先ほどの冠ケ嶽のように、山頂付近は岩壁で周囲は囲

われていて、天然の要塞になっていたが、地形的に敵の侵入を受けやすいような場所には

この様な石積みの城壁と門を築いて防備を固めたそうだ。




その屋嶋の城から少し西に歩き遊歩道から林の中へ入って行くと、一等三角点 屋島山

県内に7つある一等三角点の内のひとつになる。





三角点から更に西に行くと麓からのへんろ道、そして屋島寺の山門の前に出る。その山門の

手前から背の低い石垣を越えて林の中へ入って行くと、西尾根展望台へのショートカットに
なる。







この西尾根は以前に一度だけ下ったことがあるが、それこそ落ち葉の急坂を転がる様にし

て下ったのを思い出す。展望台に着くと小さな粒の雨が降ってきた。眼下は低い雲に覆わ

れてあまり眺望はきかない。














西尾根展望台から林の小道を戻って獅子ノ霊巌へ。最初の冠ケ嶽や西尾根展望台には人っ

子一人いなかったが、ここまで来ると観光客の姿があった。新しくできた施設やしまーる

を二人で歩く男女。展望台から瓦投げを愉しむ外国人の家族連れ。








ここのところ左膝を庇って歩いていたせいか、右の臀部が張ってきた。でも膝の調子は悪

くないので、北嶺まで歩いてみる事にする。水族館の横を通り、駐車場を横目に見て歩い

て行くと談古嶺の手前で北嶺への分岐となる。その道はドライブウェイのトンネル上まで

下り坂になっている。長い下り坂もゆっくりゆっくりと歩いて行けば問題なかった。

いつもなら遊歩道から外れて尾根道を歩くのだが、今日は無難に遊歩道を歩いて行く。途

中には新しく展望台の工事が行われていた。











一旦下って登り返していくと遊歩道は二手に分かれている。その先には千間堂跡がある。

千間堂は屋島寺の前身となる寺院があった跡地。鑑真和上が都へ向かう途中で屋島を訪れ、

お堂を建てて普賢菩薩を安置したと伝えられている場所。その跡地の広場には以前は東屋

とトイレが在っただけだったが、今はきれいな休憩所とトイレが出来ている。

その広場から尾根を歩いて行くと山頂の北端の遊鶴亭になる。この辺りになると道の両側

はウバメガシの林。遊歩道の舗装はそのウバメガシの落ち葉で埋まっていた。











遊鶴亭からはいつもと変わらぬ瀬戸内の海の穏やかな景色が広がっていた。沖を行くフェ

リーも何だかのんびり動いているように見える。














しばらくそんな景色を眺めた後、千間堂の広場に戻ってお昼ご飯にする。今日は先日買っ

た無印良品のスパイシーチキンカレー。カレーをお湯で温めて、ナンはアルミホイルに包

んで温めて頂いた。無印のレトルトカレーは何と57種類もあって、たくさん並べられた

中から選ぶのに時間がかかった。その中で選んだスパイシーチキンカレーは名前の通り、

けっこう辛めのカレーでとても美味しかった。








お昼ご飯を食べ終えて担いだザックはスタート時より随分軽く感じた。千間堂広場からの

帰り道。やはりちょっと遊歩道から外れて尾根筋を歩いてみたくなった。安山岩の露岩を

登り、とにかくウバメカシに足を取られないようにゆっくりと歩き、そのまま駐車場へと

戻って行った。最後に屋島寺に立ち寄り『早く膝がよくなりますように』とお願いして家

路へ。先週に比べると距離が延びて、10km弱歩けたがそれでもまだまだ本調子にはほ

ど遠い。お腹周りの浮き輪がどんどん膨らんできているような気がする今日此の頃です。